「共産党は、それまでの自民党政治の進めてきた大規模公共事業に 対し、無駄な公共事業を削れと小泉構造改革に康応するかのように主張したとこ ろであるが、公共事業に代わる雇用機会をいかに生み出すのかという雇用政策論 は提起されなかった。
すなわち、共産党の大規模公共事業への批判は、それが持っていた雇用創出効 果への分析が欠け、雇用論抜きの公共事業批判の一翼を担ったと考える。
今後日本では、公共事業への総括も含めながら雇用政策を打ちだすことが緊急 の課題であるが、共産党としても雇用対策の一環としての公共事業への評価と雇 用政策としての公共事業論に立たないのであれば、公共事業以外での雇用対策に 関する政策を明確に打ち出すことが求められよう。」(日本に福祉国家を氏の 「共産党の雇用政策の批判的検討」より)
日本共産党は、こんどの総選挙政策で一九九〇年代に国と地方で年間五十兆円 にも膨れあがった公共事業を、バブル経済前の水準である二十五兆円程度にまで 段階的に削減することを提起しています。
「そんなことをしたら、中小建設業の雇用と仕事が心配」という声があがって いますが、安心してください。自民党政府は、これまで大型開発は熱心に進めて きましたが、これは大手ゼネコン事業が中心で中小建設業者には仕事が回らない ようになっていました。これを、学校や住宅、福祉施設など国民の暮らしを支え る公共事業に切りかえれば、中小建設業者の雇用と仕事は確保できます。
国民生活優先受注率を逆転
たとえば、東京都が発表している調査では、臨海開発事業は、最盛期だった一
九九一年度の大企業の受注率が95・6%。これにたいし中小企業の受注率は
4・4%にすぎませんでした。ところが二〇〇二年の住宅局関連事業では、中小
企業が93・9%、福祉局関連は85・4%に達しています。
国民生活優先の公共事業は、巨大開発より、地域経済や中小企業、雇用への波
及効果がずっと大きくなります。
浪費型開発を民主党は推進
日本共産党は、早くから「公共事業の流れを従来の産業基盤優先の方向から逆
転して、生活基盤優先の方法へと流れを変えること」(一九七七年の『日本経済
への提言』)を提起してきました。日本共産党と住民との共同が力になり、「脱
ダム宣言」をおこなった長野県では、棚上げされてきた河川の改修や補修事業、
森林の整備などを計画しています。同県の栄村では、小規模に水田整備(「田直
し」事業)をおこなうことで、費用は国・県の補助事業より平均で四分の一に抑
えることが可能になりました。岩手県紫波町では、地元産の木材を使った学校づ
くりで産業振興に結びつけています。
ところが小泉内閣は、無駄と環境破壊の大型公共事業を推進しています。目玉
にしている「都市再生」は、大規模工場跡地を買い上げ、バブル期に計画され、
とん挫した開発の焼き直しです。民主党は、容積率の緩和などをおこなう「都市
再生」関連法に賛成し、新しい浪費型巨大開発の推進勢力になっています。』
(2003年11月4日(火)「しんぶん赤旗」『ああ、そうなんだ 経済・くらし/公共
事業半減で仕事は?』~日本共産党中央委員会ホームページより転載)
日本に福祉国家を氏は「共産党は、それまでの自民党政治の進めてきた大規模
公共事業に対し、無駄な公共事業を削れと小泉構造改革に呼応するかのように主
張し」てきた、と述べ、さらに「共産党の大規模公共事業への批判は、それが
持っていた雇用創出効果への分析が欠け、雇用論抜きの公共事業批判の一翼を
担った」と主張する。しかし、事実は、共産党は日本に福祉国家を氏が想定する
ような、単純な悪玉論的公共事業批判をしたことは小泉政権下においてすらな
く、あくまでも公共事業のあり方―大型公共事業ではそれを直接受注できるのは
結局大手ゼネコンだけであり、仮に下請け、孫受け、ひ孫受けという形で中小零
細事業者にも仕事が回ってきたとしても、当然現場により近いところに行けば行
くほど利幅は小さくなり、しわ寄せは押し付けられ、それに対して歯向かうこと
も出来ないあり方―を問うているのであり、その上で、生活密着型の公共事業な
らば、―個々の事業規模は小さくとも、総体で見れば圧倒的多数の雇用を担って
いる―中小零細事業者がより直接的に受注できる=途中で利益を抜かれることな
くより現場に近いところにお金が行き渡り雇用維持にもより直接的、効率的に役
立ち、かつ国民、住民生活の改善にも直結、財政的にも安上がりであると主張す
るのである。
このような従来からの共産党の立場は、次期総選挙へ向けた政策でも基本的に
維持されている。
おそらく、日本に福祉国家を氏は、このような公共事業に対する共産党の従来
からの主張について知らなかったのではなかろうか?しかしながら、共産党の公
共事業と雇用における主張を知らず、また、知ろうとすることもなしに、公共事
業に関連させて「共産党の雇用政策の批判的検討」を行おうというのは、あまり
杜撰ではなかろうか?共産党の公共事業と雇用における主張を知らず、また、知
ろうとする気もないのであれば、最初から「共産党の雇用政策の批判的検討」な
どに絡めず、ただ雇用対策における公共事業の重要性だけを述べれば良いのでは
ないのか。
もっとも、その点は置いたとしても、
「実は、日本の社会科学者の間で、1970年代以降の自民党政治の中で、地方・過 疎地への傾斜的公共事業が実施され、雇用創出や地方への所得の再分配が行わ れ、欧州諸国より社会保障・福祉などの支出は小さいながらも、大きな公共事業 が雇用機会を作り出し、国民の生活保障機能を担ってきたという「日本型生活保 障システム」論が提起されているところである。」
として従来型公共事業の問題点は一切不問にしたままに、ただ雇用面で果たして
きた機能のみを一面的に強調する、日本に福祉国家を氏の主張には疑問を抱かざ
るを得ない。そもそも、引用にあるような「日本型生活保障システム」の根幹を
成す従来型公共事業が「小泉構造改革の中で批判の対象となり、公共事業の大幅
削減された」ということ自体、国民の少なからぬ部分が、ここでいうところの
「日本型生活保障システム」=従来型の公共事業の<費用対効果>に重大な疑問
を抱いていたという背景があったればこそのことではなかったか?その疑問に答
えることなく、ただ、いわゆる「日本型生活保障システム」擁護するだけで、日
本に福祉国家を実現できるのか?さらにいえば、昨今の緊急、重大問題となって
いるいわゆる<派遣切り>―企業、雇用から<切られて>しまったとたんに、生
活保護(かホームレスか)しか行き場がない、という事態、これこそ―政府は
もっぱら公共事業や補助金で企業に対して予算をばら撒き、企業を介してその従
業員とその家族、あるいは下請企業を経てさらにその従業員や家族へ、と所得が
再配分され(この方式では末端に行けばいくほど、最初にばら撒かれた額に比し
て、得られるものは小さくなっていく)、その影で、一般的な社会保障・福祉は
後回しにされてきた、まさしく―「日本型生活保障システム」の欠陥、矛盾と破
綻の現われではないのか。
日本に福祉国家を実現する上でまず課題となるのは、共産党系の社会科学者の
間で開発主義、企業主義的統合・企業社会的統合といわれてきた「日本型生活保
障システム」から、企業を介さずとも享受することが出来る、直接的、一般的な
社会保障・福祉や財政出動のあり方(それは、例えば農業分野においては、補助
金や土地改良事業といった間接的バラまきから戸別の直接所得保障へ、という形
で共産党のみならず民主党からも提起されるようになった)への転換ではないの
か。