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戦前の日本共産党とソ連共産党に関しての検討

2009/1/24 日本に福祉国家を 50代

 日本共産党は、ソ連崩壊時にもろ手を挙げ歓迎すると評すると共に、それ以降もソ連とは社会主義・共産主義とは縁のない体制とも、巨悪とも評価した。  戦前におけるコミンテルン時代の共産党の歴史的経緯を踏まえ、共産党のソ連・ソ連共産党への評価に関して批判的に検討するものである。

 戦前の日本共産党は、コミンテルンに加盟しており、自主独立の立場ではなく、コミンテルンの日本支部という位置づけであり、日本共産党はコミンテルンの方針・決定には絶対に従わなければならないという民主集中制の原則にあった。

 コミンテルンの本部は、モスクワに置かれており、ソ連共産党が指導政党としてコミンテルンに多大の影響を与えてきた。

 すなわち、コミンテルン本部はソ連共産党の指導下にあり、戦前の日本共産党はコミンテルンを通じて、ソ連共産党の間接指導を受けていたこととなる。

 戦前における日本共産党の綱領の一つである32年テーゼは、モスクワのコミンテルン本部で作成されてものである。その作成には、野坂参三など日本人メンバーとともにフィンランド出身で戦後ソ連共産党の幹部になるコミンテルンの極東の責任者オットー・クーシネンも重要な役割を果たした。当然32年当時であれば、ソ連の指導者スターリンの意向がコミンテルンや32年テーゼにも強く反映されていたことは言うまでもない。コミンテルンの歴史的誤りといわれている社会ファシズム論(社会民主主義をファシズムと同列にとらえ、社会民主主義との闘いを強調したもの)も、32年テーゼに反映されており、ソ連共産党の誤りが、国際共産主義運動・日本共産党の運動論の誤りにも連動していたものである。

 共産党は、自党を侵略戦争に反対した唯一の政党と自慢するが、その基本的方針は、コミンテルンを通じソ連共産党から授けられたものである。

 すなわち、戦前の日本共産党は、今日の共産党が言うところの社会主義・共産主義とは無縁の巨悪でもあったソ連共産党の指導を受け、侵略戦争反対の闘いを行ったということとなる。もちろん、侵略戦争に反対するために命をかけて闘った多くの一般党員の献身的努力には敬意を表するものである。

 共産党は戦前侵略戦争に反対をした唯一の政党の誇るが、かつてはコミンテルンの一員として、ソ連・ソ連共産党の間接指導を受けていたという事実を隠す傾向がある。

 党の80年史では、1930年代後半にはコミンテルンが変質し、コミンテルンを舞台に粛清の嵐が吹き荒れるという事態になったが、32年テーゼの頃にはコミンテルンは健全であったとの見解を取っているが、32年テーゼ当時のコミンテルン・スターリン体制下のソ連が健全であったというのはかなり無理があるのではないか。

 やはり、戦前の共産党がコミンテルンを通じ、ソ連・ソ連共産党の指導下にあったという事実を認めた上で、戦前の共産党の歴史への総括を明確にすべきではないのか。

 少なくも、共産党に都合の良い戦前侵略戦争に反対したという側面のみ強調し、コミンテルンを通じソ連共産党の間接指導下にあったという事実を隠蔽するということは、国民への詐欺行為となろう。

 田母神論文問題もあり、コミンテルンに関しては今後も十分な歴史的検討が必要とも考える。