本欄でも2~3の方が取り上げていたが、昨年来、あれよあれよという間に巷
には失業者が溢れる騒然とした時代となり、多喜二の「蟹工船」の再評価もあっ
て若い人の間で共産党への関心が高まっているという。志位委員長は週刊誌で毎
月1000人程の若者が共産党の門を叩くと豪語していたが、私にはこれら新規
入党者のうち、どれだけの若者が共産党員として定着するだろうか、と言うこと
の方がむしろ気にかかる。共産党の中央集権組織の息苦しさに辟易していた私の
体験からして、労働組合員としての経験も乏しい今の若い人たちが、この共産党
の民主集中制を簡単に受け入れられるだろうか、と思わざるを得ないからであ
る。
原仙作氏の労作「三重の原罪を背負った日本共産党の民主集中制」を読ませて
もらって、あらためて氏の深い学識に感心すると共に、共産党が入党者を増やし
ているといっても、それは時代を瞬間的に反映した一時的な現象に過ぎないの
に、久方ぶりの脚光に高揚感を抑えられないらしい党幹部の姿に、私はとんでも
なく現実離れをした光景を見ているように思えて仕方がないのである。党員増は
もちろん歓迎すべき現象だが、しかし停滞久しい党内の現状にメスを入れなけれ
ば、やがて新規入党の若者も失望に変わることは目に見えているとは思わないの
だろうか。その改革のターゲットとはむろん民主集中制である。共産党は国民目
線で自身を見詰め、時代錯誤の民主集中制等を大胆に廃止するなど、自己革新を
しなければ永遠に出番を失うこともあり得ると思うのだ。
さて、入党を決意したほとんどの人は、共産党に対して素朴な理想と期待を
持って入党署名をしているはずである。党運営も一般的な意味での民主主義が機
能していると思い込んでいる人が大半だろう。しかし、入党して少し経験を重ね
ると、入党時抱いていたイメージと実際に中に身を置いて見る共産党の実像との
違いに、戸惑いと失望を覚える党員は少なくない。もちろん入党時には党の綱
領・規約や党員としての心構えをある程度は教えてはくれるが、そこは共産党の
強面を隠してやんわりと党を理想化して語ってくれるだけだから、入党後しばら
くして実感する上意下達の組織構造と、自己の民主主義との概念のギャップにや
がて気がつくのである。党員として自己矛盾の始まりである。更に経験を重ねる
と、規約の中の選挙条項のきれいごとと実態の差に驚くことになるのである。
さて、現代社会にあってはどんな組織も一応民主と集中で成り立っており、む
ろん政党であっても例外ではない。その民主と集中の強弱、バランスはその組織
がいかなる目的をもっているか、そしてその時代の社会状況を反映したものに
なっている、とする原氏の指摘は、普通の人なら疑問を挟む余地はあるまい。し
かし、繰り返しになるけれども、その常識に反する組織原理をもつのが共産党
だ。共産党は現在の日本に存在する任意の組織にあって、唯一、超中央集権構造
をもつハードな組織といっても過言ではあるまい。しかも、民主集中制を説明す
るに当たって、唯物弁証法やレーニン等の組織論を引用しながら、さも難しげに
素人の出る幕ではないといった形で論じてくるから、一般党員は感覚的に「おか
しいな」、と思いながらも、黙って口を閉じるしかなかいわけだ。
原氏はその金科玉条の民主集中制のよりどころ、不破氏の「レーニンの組織
論」をそれ自体が意図的な作り話だったと豊富な資料を駆使して完膚なきまでに
覆したから、共産党にとっては痛烈だ。共産党の反論を期待したいところだが、
おそらく「しんぶん赤旗」等で公式に取り上げることはないだろう。それ自体、
党内へ深刻な波紋を起こしかねない危険があるからだ。「さざ波通信」など取る
に足らない雑音として無視を決め込むのではあるまいか。
それにしても、雲の上の指導部を選ぶのに都合のいい組織構造と選挙の仕組み
を備え、「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」等といった
馬鹿げた規約をもち、支部を超える仲間内の交流さえタブー視する民主集中制と
は、結局、最上級機関が思うままに下部をコントロールするために特化した組織
原理と云えるだろう。このような化石化した閉鎖組織が、21世紀の議会制民主
主義の日本で、国民の多数の信任を受けるはずもあるまい。民主集中制を後生大
事に手放そうとしない、特権指導部の頑迷さが何故なのか私には謎である。
最後に原氏の労作に拍手を送るとともに、これからも鋭い共産党論や時評を期
待しています。