投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

原仙作氏の「三重の原罪を背負った共産党の民主集中制」についての所感

2009/2/24 道祖神 50代 元公務員

 原仙作さんの「民主集中制」に関する表記論文を読んだ一人として、論点の中で感じた点を述べさせていただこうと思います。
 論文では、いわゆる「分派」の禁止を科学的社会主義運動の到達点としてとして位置づけようとする、不破氏や榊氏のいわゆる共産党の見解について、そうではなく、当時の内戦を抱えたソ連共産党(ボリシェビイキ)の一時的な緊急措置であったとする原氏の見解が、非常に説得力のある形で、展開されていると思います。ただ、この議論のさらなる展開を期待したい一人として、以下の問題を提起したいと思います。それは、共産党見解のように、「分派」を禁止したことが、社会主義運動の到達点との捉え方では、レーニン以後のソ連共産党が何故スターリンによる独裁体制を招いたかの説明がつかないということです。社会主義運動の到達点といえば、それは「理想的」な組織論のはずですが、そのような「理想的」組織論を有したソ連共産党がなぜ、スターリンの独裁、粛清による対立者の抹殺に及んで行ったかが説明できないと思うのです。このような、ソ連共産党の変質過程については、現在の日本共産党からは明確な説明がされておりません。もしかしたら、論じること自体を外国の共産党への干渉として控えているとしたら、これほどのナンセンスはないと思うのです。結局、「分派」を禁じた組織論、いわゆる「民主集中制」そのものに、レーニン以降のソ連共産党の変質とその後の崩壊への過程を必然的に内包していたと考えられると思います。これに関して、共産党からの予想される反論は、「民主集中制そのものの欠陥ではなく、その当時の指導者だったスターリンの専制的性格が、その後の悲劇を招いたのだ」とする反論である。しかし、このような反論は無意味であろう。仮に、このような独裁的性格を有した人物が指導部に存在した場合でも、その人物による独裁体制を阻止できるような組織論でなければ、到底、理想的な「組織論」とは言えないのである。党内で議論のできない組織、対立候補もないような役員選挙、これでは、到底民主的組織とは言えない。いみじくも、原さんが指摘したように、現在の共産党では、少数意見が党大会などに反映できるような可能性はない。日頃、国会論叢などで、「少数意見の尊重」を主張する共産党が、その内部は、自らの主張と180度相反する組織なのである。共産党指導部は、原氏の論文を無視するのではなく、最低限、原氏の論文への反論を提示すべきであろう。また、小生の指摘した問題についても、是非反論を示してもらいたい。
 レーニンの率いたボリシェビイキは社会民主党内の分派の一つでした。レーニンの最大の禍根は革命以後の一時的な「分派」の禁止が、「民主集中制」の名のもと、「正統的」組織論に変えられ、その結果がスターリンの独裁体制を招いたと思います。