人文学徒さんよりいただいた宿題の二本の論文を読ませていただきました。論
旨として、客観主義哲学に依拠していることが、共産党の最大の誤りであり。停
滞の要因でもあると、述べられていたと思います。私は、哲学が専門領域外であ
るため、人文学徒さんと意図が十分読み取れていない部分もあるかと存じます。
史的唯物論の土台と上部構造の関連に関しては、伝統的にマルクス主義の中で
は土台還元説的な、上部構造領域の相対的自律性論ではなかったと思いますが、
第二次大戦後のヨーロッパでのグラムシ研究の進化やネオマルクス主義理論の勃
興や言説理論などにより、上部構造の相対的自律論的理解が広がり、主流化しま
したが、日本の共産党の場合、上記のような理論に否定的態度をとり、そのよう
な研究スタンスの学者党員を弾圧するということが、1980年代以降頻繁になった
と認識しております。この問題では、不破哲三の史的唯物論理解が土台還元説的
ゆがみがあったのではないか、そしてそのことがグラムシ研究などヨーロッパの
新しいマルクス主義の受け入れを頑なに拒む要因となったのではないかと推論し
ているところです。
哲学的には、不破哲三の史的唯物論の社会構成体に関する理論枠組みを再検討
してみることも重要かと考えております。
次に、私としては1980年代が共産党の大きな転換点であったと感じておりま
す。以前どなたか投稿されておられましたが、1956年上田耕一郎と不破哲三の共
著の『戦後革命論争史』の出版に関して、1983年に赤旗が両氏の自己批判文を掲
載していました。内容は「党員として、一般の書籍にて、党の理論問題への発言
をしたことが誤りであった」という内容でしたが、1956年の本の出版に関して、
1983に自己批判文を書かされること、当時共産党の最高幹部であった両氏が、自
己批判文を書かされる、というきわめて異例の事態が起きたと記憶しています。
他にも1980年代は、原水協弾圧事件・ネオマルクス主義弾圧事件なども頻発
し、多くの党員が処分され、党から去る事態となりました。
上田耕一郎・不破哲三両氏の自己批判文提出問題は、共産党議員や職員におい
て、コピー機に徹しなければならない、という認識を広げたことと思います。
オリジナリティー性のある研究や発言をすれば、自分が両氏のように規律違反
で処分される、という状況が生まれ、スターリン時代のソ連のような民主主義や
党員の創造性が全く欠落した民主主義なしの独裁制に転換したと認識しておりま
す。
もう一つには、80年代には共産党の統一戦線拒否の姿勢が目立つようになりま
した。
原水禁運動統一の動きを弾圧し、全労連の結成などを強引に進め、80年代を境
に、共産党と社会民主主義者の統一戦線組織が消滅し、労働運動の分野などでの
骨肉の争いをした90年代以降の状況が生まれた。
このことが、共産党が理論面・運動面での大きな停滞状況を引き起こし、1990
年代以降の青年学生運動の停滞にも結びついたと考えております。そのような意
味で、共産党の1980年代は大きな転換点ではなかったかと考えております。
窮乏革命論の議論に関しての私の見解は、社会変革に一般の国民が参加する回
路は二つあるのではないかと考えております。
一つには、今日のワーキングプア問題や派遣切り問題のように、経済的困難か
ら社会矛盾を感じ、社会運動に参加するという回路もあろうかと考えます。これ
は、人文学徒さんのいわれる窮乏革命論的な流れであろうと思います。
もう一つの回路は、昔青年学生運動でよく言われていた「知的目覚めを社会進
歩に」という流れであろうと思います。以前では、東大の学生のように希望すれ
ば高級官僚のような社会のエリートとしての道を歩めることが約束された人々
が、マルクス主義など世界観・人生観上の大きな刺激を受け、学生運動など社会
運動に参加するという流れもあったと理解しています。
窮乏革命論的回路は、今日の派遣切り問題に伴い、蟹工船がブームとなり、青
年の中で共産党が話題になるという状況が当てはまりますが、「知的目覚めを社
会進歩に」ということ自体が民主運動の中で言われなくなっているし、今共産党
が知的目覚めを引き起こしうる知的に優れた理論や文化など全く発信できていな
い状況です。すなわち「知的目覚め」という回路は、1990年代以降閉じられたま
まで、今日でも未だに開かれていないと考えます。
窮乏革命論的な、派遣切りされた労働者が、怒りのみではなく、あるべき社会
像をしっかり確立し、変革の主体として成長するためには、人文学徒さんの言わ
れるような、社会観とともに文化性や人間性も含めた文化運動が重要だと認識し
ますが、土台還元説的な共産党の運動論では上記のような視点が極めて弱いと思
います。
同時に、貧困状況から社会運動に立ち上がるということともに、高学歴の知識
人(研究者や学生や院生や学校教員や自治体労働者など)も、社会運動に参加す
る状況を作らなければ、日本の社会運動はきわめて幅の狭いものとなるでしょ
う。そのためにも文化運動的・あるいは社会的な真理を探究するような理論活動
が重要だと考えます。
共産党員が今のような党中央の提起することは絶対真理であり、それを信じ、
コピー的宣伝に徹するという運動論では、知識人の心はとらえられないことで
しょう。
今ドイツの左翼党が面白いようですよ。人文学徒さんと原仙作さんが、共産党
と社民党の合同に関して投稿されていましたが、ドイツ左翼党は、旧東ドイツの
政権党であった共産党のグループと社会民主党の急進左派のグループ(社民党か
ら脱退)が合同し左翼党を結成し、国民のそれなりの支持を集めているようで
す。そこの党首は元社民党の幹部であり、蔵相なども務めた理論家オスカー・ラ
フォンテーヌ氏であり、理論的に先進国の左翼として斬新な提起を期待すると同
時に、組織的にも共産党と社民党が統一し、統一戦線組織としてどのように運営
するのか注目しています。ラフォンテーヌの著書は和訳が出ていましたよ。
最後に、今私として分からない問題が、21世紀の現代の先進国で、マルクス理
論がどこまで有用なのか、という問題です。
1990年代以降日本の社会科学研究では、マルクス主義が大きく退潮をし、反体
制的社会科学研究では福祉国家研究など、どちらかといえば社会民主主義的な研
究が隆盛を極めてきました。
共産党も科学的社会主義といいながら、マルクスを語れるのは高齢の不破哲三
のみであり、その一方で社会科学研究の領域で活発に議論されてきた福祉国家研
究などの成果も、ほとんど吸収していません。
大学でも現役・若手教員ではマルクス研究は極めて低調です。90年代に多くの
大学の経済学部では、マルクス主義経済学という科目が社会経済学、社会主義経
済論が経済体制論と、教科名・学会名の変更までしています。
しかも、マルクス主義専攻の教員が退職すれば、補充もされないことが一般的
です。
人文学徒さんは、今後日本でマルクス主義研究は復活するとお考えなのでしょ
うか。ご見解をお伺いできればと存じます。
今後とも、人文学徒さんや原仙作さんなどとの有意義な議論をし、少しでもま
ともな日本の社会を実現するため、多くのことを学べればと思います。よろしく
お願いします。