原仙作さんの昨2008年3月21日付一般投稿欄への投稿に関連付けるわけではあ りませんが、最近公刊されたノーマ・フィールド(シカゴ大学教授)著『小林多 喜二――21世紀にどう読むか』(岩波新書新赤版1169:2009年1月20日第1刷 刊)では、小林多喜二が目ざした文学と社会正義とを、一個の人格の中で多面 的・重層的かつ公平に解明しながら、重厚に多喜二像を描いています。みなさん にもぜひお勧めしたい一冊です。
その中で、フィールド教授が繰返し指摘しているのですが、多喜二は、小作人 や貧農、そして労働者が「如何に惨めか」を描くところに止まるのではなく(そ れも必要であるが)、それらの民衆が「如何にして惨めか」までをもリ アルに描くことに全力を傾けた、という趣旨の記述が再三出てきます。小作人・ 貧農・労働者の現状を「告発」するだけではなく、その「社会的しくみと根源」 を文学特有の力で示すことによって、社会変革への民衆の合流を促そう、という 強烈な目的意識です。フィールド教授自身の、現代日本文学に対する静かな 叫びが聞こえてくるようです。
もちろん、多喜二は民衆の合流を「文学として」行おうと呻吟していたのです から、出来合いのマルクス主義的な政治分析をそのまま文学的構図に置き換えて プロットするような、粗雑なスキルを少しでも抜け出ようと、伏字なしの自著を 献呈しながら「あなたの立場から御遠慮のない批判を」と懇請して、志賀直哉に 意見を求め、実際に志賀を訪問したりしています。有名な「主人持ちの文学」論 の話で、フィールド著の53~54頁の記述は、原さんの上記投稿の指摘と考え併せ ると、深く示唆的です。
ところで、私などの学生時代を想起すると、あれこれの社会的問題が、社会が
持つ矛盾に起因するものであり、だから社会変革と結びつけて解決を目ざさなけ
ればならない課題になるのだ、ということは、「時代の空気」のように、暗黙の
共通認識となっていたように思います。
その「共通な時代の空気」をもたらしてくれていたのは、未熟な私たちに向け
て幾世紀にもわたる学問の地層からメッセージを発する、当時若手から中堅クラ
スの知識人(故島田豊氏がいわれた労働者知識人を含めて)たちだったように思
います。ところが現在では、そのような機能を果たす「若手から中堅クラスの
(労働者)知識人」の分厚くあるべき地層・豊潤にあるべき水脈が、息も絶え絶
えになっている、と感じられるのです。
その当然の結果なのでしょうが、現状にプロテストする若者の論調を見ても、
現状が「如何に不当か(=告発)」「その不当さを如何にして改善するか(=政
策論的主張)」は明示的に強調されるものの、現状が「如何にして不当か(=不
当な現状を成り立たせている社会構造認識・歴史認識)」については、政策論の
中に埋没させられてしまい、「社会時評」の域を脱していない印象を受けるので
す。
例えば、「製造業派遣」「日雇い派遣」が派遣労働のあり方としてひじょうに おかしいから、それを禁止するよう法改正をすべきだとか、そもそも労働者派遣 を厳格に限定し、労働者派遣事業法制定前または制定当初の状態に戻すべきだと かの政策的主張、「フリーターや派遣労働者は、自ら自発的にそのような『自由 な』就業形態を選択しているのではなく、ほとんどが、やむなくそうせざるをえ ないのだ」という実態を示した「ワーク・ライフ・バランス」の議論の欺瞞性の 告発、さらには、教育を通じた文化的資源の貧困は、格差社会を通じて「相続再 生産」されることの告発等々、かなり盛んに行われています。それに異論はまっ たくありません。
しかし、このような現状が「ルールなき資本主義」であるとしても、それは、
従来の「ルールある資本主義」の一つの「必然的発展」として出てきたものでは
ないのか。「ルールある経済社会」とは、「ルールなき資本主義」を、再び昔の
「ルールある資本主義」に戻せという政策的主張なのだろうか。果たしてそのよ
うな主張は、「社会科学的」に現実性を持つものなのか。1961年綱領流にいえ
ば、「この課題は『革命の課題』なのか『改良の課題』なのか」という風にも言
えるでしょう。
そうした問題意識を、「若者」から感じることはないのです。
もともと社会構造にまで認識を「踏み込ませる」ためには、単なるジャーナリ スティックな事実認識でない、ある程度学問的・社会科学的な素養に基づく認識 が必要です。それが圧倒的に足りないと感じる。 しかも、彼ら自身は、むしろ 個別の市民運動などの経験主義に半ば浸かってしまい、全体としての自分たちの 位置づけに無関心になっている。自分たちの運動から出てきた課題を進めるた め、他の市民運動などとの「ネットワーク化」には熱心でも、それらが社会構造 の中でどのような位置にある課題なのかを、深くは考えないのです。彼らにその ことの重要性を伝達する機能を果たすべき「地層・水脈」が、極めて薄くなって いるからです。
この点例えば「党の理論的停滞」に関する「日本に福祉国家を」さんの2008年 12月19日付投稿の論旨では、
> かつて日本の経済学研究では、マルクス経済学が大きな地位を得ていたが、 ソ連崩壊以降、大きく退潮し、マルクス経済学研究の衰退すると同時に、大学で もマルクス主義の講座や学科目が大幅に減少し、マルクス主義研究の教員が退職 後は補充もされない状況が続いている。
ことを「客観的情勢による」原因として指摘しています。
しかし、大学の管理運営に研究者の意向が極端に反映されない状況下でも、ス
トレートな原論系ではない財政学や地方行政論のように、分科として、マルクス
主義的手法を温存しながら、講座を存続させ実質的に研究を発展させる類のこと
が本当に困難なのか、それよりも、研究者自身が、いつの間にかドリフトし
てしまったことこそが原因なのではないか、という疑問を拭えません。
もちろん、マルクス主義研究者がすべてマルクス主義者ではありませんから、
「ドリフト」を不当だと断言はできませんし、また原さんが言われたように、思
想自体の変化である“転向”を非難しても始まりません。しかし、学問研究がもっ
と厳しかった戦中時代に、何とかして科学的社会認識の方法を発展させようとし
た非マルクス主義者・故川島武宜氏の努力(物権法特別講義をベースにした『所
有権法の理論』)と比べてみても、あまりに腑甲斐ないという感想を禁じえない
のです。
その原因は何なのか、原さんの2月20日付投稿や、人文学徒さんの同22日付投 稿などを拝見して、改めて考えを進めているところです。「日本に福祉国家を」 さんも「主体的原因」として「党内議論・論争が皆無の状況」を指摘されていま したが、「(民主集中制に基づく党内言論統制に)嫌気がさして論争に関与しな くなる」というようなことが、研究者のあるべき姿だとは到底思われません。そ の辺りに、問題意識を覚えているのです。