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「樹々の緑」さんの投稿へのコメント

2009/3/15 日本に福祉国家を 50代

 09年3月12日付の「樹々の緑」さんの投稿「追伸:原仙作さん・人文学徒さんへ」を読ませていただきましたが、私の投稿への言及もされていましたので、若干のコメントをしたいと存じます。

 まず、知識人論に関して触れられていますが、私も同様の認識を共有するものであり、 3月11日付の「人文学徒さんへの返答」でも知識人論に関して私としても論及させていただきました。やはり、知識人分野は日本の民主勢力の大きな弱点分野でもあり、その問題への検討は重要課題となっていると考えます。

 次に、「ルールなき資本主義」の問題に関して論じられていましたが、この問題に関しての私の見解を申し上げたいと存じます。
 資本主義は、時期的にいくつかの指導理念に基づき運営され、それにより資本主義の内実は大きく異なるものと考えます。
 イギリスに限定して考えれば、まず19世紀資本主義は、アダム・スミスの「神の見えざる手」論に基づき運営されてきた夜警国家の段階と考えます。
 すなわち、市場には「神の見えざる手」が働き、市場原理に任せればうまく経済社会は運営され、国家の介入は最小限の軍事や警察などの領域に限定されるべきという夜警国家・市場原理主義段階だと考えております。
 このような理念で、市場原理主義的な時代がつつきますが、20世紀に入り、今日の経済危機の直前と同様な、金融資本の暴走がおきバブル現象も生じました。また、社会的格差も現在以上に開き、ごく一部の資産家が国の富の多くを独占する状況が生じました。
 このような市場原理主義的経済運営は、1929年の世界大恐慌で破滅し、1930年代の世界での不況と大量失業の時代を迎え、第二次大戦勃発へと結びついたと考えられます。
 このような市場原理主義的経済社会のありように疑問を持ち、その打開の方向性を模索した人物がケインズでありました。  
 そのケインズの理論に基づき、アメリカのニューディール政策など、不況と失業を克服するため、国による大規模公共事業の実施などの試行が行われました。
 第二次大戦後の先進諸国では、このケインズ理論が経済社会の指導理念と位置づけられ、国家による経済への介入が恒常的に行われ、完全雇用の実現が図られ市場経済のもつ不安定性を除去するための努力も行われました。同時に、第二次大戦後の先進諸国は、社会保障の拡充が進み、国の重要な政策分野として社会保障や福祉が位置づけられることとなります。
 このような第二次大戦後の先進国でのケインズ理論に基づく社会体制を、一般的にはケインズ主義的福祉国家体制と評され、まさに「大きな政府」の時代が到来し、黄金の60年代といわれた全盛期を迎えました。
 しかし、1970年代の石油ショックを契機に、欧米では完全雇用が実現できなくなり、失業率が高止まりするなど機能不全が現れました。
 私の理解では、これは経済のグローバル化が大きな要因であり、60~70年代にかけ、日本そして後に韓国・台湾などの経済発展が欧米諸国の製造業の基盤を侵食する状況が生じました。
 このようなケインズ体制の不具合に対し、ケインズ理論と福祉国家を厳しく批判したのがフリードマンなど新自由主義経済理論であり、国の経済への介入に批判し、福祉国家体制にも批判を集中し、「小さな政府」や規制緩和で市場にすべて任せよという市場原理主義的な社会への改革を唱えました。このような新自由主義的経済理論は、米レーガン政権や英サッチャー政権などで、主導的経済理論となり、日本でも小泉政権による規制緩和や「大きな政府」から「小さな政府」への移行など新自由主義的経済運営が追求され、格差・貧困の拡大など大きな社会矛盾を引き起こしながら、昨年の秋以降の世界経済危機による壊滅的打撃を受けたという流れです。
 新自由主義は、現在の日本ではほとんど信頼を失い、ポスト新自由主義への模索が始まっている状況と理解します。
 私としては、「ルールなき資本主義」とは新自由主義的政策によりもたらされたものであり、ケインズ時代は、国による経済介入である程度のルールは存在したし、社会保障なども大切にしようとの意向はありましたが、それが新自由主義により否定されてきたものと理解しています。
 今日資本主義は大きな矛盾を持ち、指導理念が崩壊した状況ですが、それが単純には社会主義という選択にはならないでしょう。少なくとも、先進国における社会主義のビジョン・青写真は全く無く(共産党にも)、現実的には、「資本主義の下での民主的改革」という方向性しか選択肢は無いでしょうが、「ルールある経済社会」・資本主義の下での民主的改革の、どのような指導理念をいかに確立するのかが大きな課題となるでしょう。ケインズ理論のバージョンアップで対応できるものか、それとも全く新たな経済理論を必要としているのか、経済学者の間でも見解は分かれているようです。
 ただ、大きな理論的な難問は経済のグローバル化であろうと考えます。今、先進国では中国などの低賃金労働(平均月給2万円程度)を前に、労働条件の「底辺への競争」が生じており、日本でも非正規雇用を増やさなければ、中国などの安価な労働力との対抗ができないという資本側の主張の論拠となっていると理解します。
 経済のグローバル化問題への更なる研究、グローバル化の下で、先進国での労働者の生活や権利そして福祉など社会保障をいかに守るのか、という理論的探求が重要となっていると認識します。
 私としては、「ルールなき資本主義」を正す、資本主義の枠内での民主的改革の理念・理論の構築が緊急の課題と考えます。

 次に、「樹々の緑さん」の研究者のドリフト問題に関しての、私の見解を述べたいと存じます。
 社会科学の研究者の間で、マルクス主義研究が衰退した問題の、一つの要因は共産党内での80年代のネオマルクス主義弾圧ではなかったのかと理解しています。80年代に院生などの若手研究者は、今中核的な研究者として活躍していますが、やはり共産党がネオマルクス主義弾圧など党内での学問研究の自由を認めない対応をしたことは、左派的な社会科学分野での若手研究者の間で、共産党への大きな幻滅をあたえ、知識人分野での共産党の影響力を大幅に低下させたものと理解しています。
 かつて共産党員のマルクス研究者は、研究の一線から退いている場合が多く、ほとんど著書なども出さなくなっています。
 ただ研究者のドリフトの問題は、必ずしも否定的にはとらえていません。90年代以降、マルクス研究は大きく衰退しましたが、その代わり左派的社会科学者は、福祉国家研究や社会民主主義研究など今までの日本では十分に研究されてなかった分野での研究を飛躍的に高めました。今までマルクスが多く引用されていたのが、最近では福祉国家の世界的研究者であるエスピン・アンデルセンの理論が多く論じられるようになりました。
 共産党員と思われる研究者も、福祉国家研究やアンデルセン研究に従事する人も多く見かけるようになっています。
 共産党の社会科学研究の停滞と裏腹に、連合総研や連合系官公労(旧総評系)で作るシンクタンクである生活経済政策研究所などの日本での社会民主主義の研究拠点に、多くの左派的社会科学者が参加するようになっています。
 そのような意味では、「資本主義の枠内での民主的改革」に寄与する理論的活動は大いに蓄積されてきたと理解していますが、共産党がそれを全く学ぼうとしない、「資本主義の枠内での民主的改革」への理論構築を放棄した近年であろうと考えています。
 いづれにしても、研究者の側の責任ではなく、80年代の共産党が行った党内での学問研究の自由を認めないという党運営は、共産党の理論戦線に大きなダメージを与えたと理解します。共産党は、科学的社会主義を看板に掲げているが、マルクスを論じられるのは高齢の不破氏のみであり、将来的にいかなる指導理論でいくのか注目しています。やはり、マルクスだけでは21世紀資本主義・社会の理論課題に取り組むことはむずかしく、アンデルセンなど最近注目されている社会科学者の研究成果を受け入れ、理論構築することが必要ではないでしょうか。