日本共産党のソ連への評価の経緯を見る中で、日本共産党の改善されるべき体
質を指摘するものである。
今日、日本共産党はソ連を社会主義をめざしながらも、社会主義とは縁とゆか
りも無いものに転化したものと評価し、また歴史的巨悪とも評価している。
その評価は、ソ連崩壊以降採用された評価であり、かつては社会主義とソ連を
評価していた。
かつて、故上田耕一郎氏は彼の代表的著書(『先進国革命の理論』大月書店、
1973年)において、「あの資本主義包囲網のなかで、一国における社会主義革命
と社会主義建設の勝利の可能性にさらに明確な展望をあたえ、世界革命運動との
連帯と相互支持のもとで。ソ連の社会主義建設の事業をおしすすめたスターリン
の業績は、十分に評価される必要があることはいうまでもない。」(13頁)
と、ソ連を社会主義と規定すると同時にスターリンの業績に肯定的評価を与え
た。この評価は、上田氏の論文要旨からは、彼が積極的に評価したというより、
当時の党中央の出版許可を得るためにそのような表現をしたものであると推量さ
れる。少なくとも、1973年当時の日本共産党の中央委員会がスターリンの業
績を肯定的に評価する立場に立っていたことを物語るものである。
このスターリンへの評価は、奇妙な問題にも気付く。1956年、ソ連共産党
20回大会において、フルシチョフがスターリン批判を行い、多数の無実の人々
を殺害するなどの犯罪行為の一端が公表された。それ以降の歴史研究の中で、ス
ターリンの時代のソ連で大量の国民殺戮が行なわれたことが解明されており、そ
ういう状況を踏まえた上で日本共産党の中央委員会がスターリンへの肯定的評価
を下すという奇妙な現象が存在する。
かつて、スターリン時代の国際共産主義運動の中では(日本も含む)、ソ連・
スターリンを頂点とした体制が存在しており、スターリンは世界の共産主義運動
全体の偉大な指導者としての位置にあり、そうした名残があり、日本共産党とし
て、国民の大量殺戮を行なったスターリンの業績を、それを知りながらも
1973年に肯定的評価を行なったものである。
それ以降も、ソ連の矛盾や誤りが明らかになる中で、社会主義生成期論などが
生まれたが、それはあくまでソ連を社会主義としたうえでの議論であり、ソ連崩
壊以降ソ連は社会主義ではないとの評価を下したものである。
一番の問題は、社会主義やソ連への評価の問題で、日本共産党中央委員会が過
去の誤りを認め総括することなく、見解変更を積み重ねた、という経緯が存在す
る。
共産党中央は、他の問題でも過去の誤りを認めることなく、見解変更のみでそ
の場を取り繕う対応を行なう傾向が強い。過去の誤りは誤りでしっかり総括・自
己批判し、その上での方針変更しなければ、誠意ある対応とはいえないものであ
る。
今後、共産党としての社会主義論を語るときには、日本共産党自体がかつてソ
連そしてスターリンの肯定的評価を下していたという事実を重く受け止め、他人
事としてではなく自らの問題としても20世紀社会主義の誤りの総括をしなけれ
ば、今後の社会主義論を語ることはできないと認識する。