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一般投稿欄

桜さんの「自由な研究で」へのコメント

2009/6/12 日本に福祉国家を 50代

 桜さんの党員投稿欄での09年6月6日付けの「自由な研究で」に関するコメ ントをさせていただきたきます。
 桜さんの投稿では、「日本でケインズ・ベバァリッジ主義を経ていないという ことを、日本での革新自治体への流れが、日本においてケインズ・ベバァリッジ 的な流れを経験するチャンスであったが、社会党の路線変更により革新自治体が 消滅する中で、日本でケインズ・ベバァリッジ的なものを経験せずに今日を迎え た大きな要因」というのが論旨であろうと考えます。
 まず、ケインズ・ベバァリッジ主義に関しては、ベバァリッジ報告が出された のが1942年であり、その時代的限界によりそれには福祉サービスなどは触れ られていないなど限界性もあったと議論されていますが、その路線をより徹底し 発展させたのが、社会民主主義が主導したスウェーデンなど北欧諸国であり、 1960年代以降福祉サービスの大きな発展など福祉国家の典型事例となったと 理解します。
 日本の革新自治体の関しては、それが一番発展した1970年代のその中心を 担った社会党・共産党の両党は福祉国家志向をもたず、イデオロギー的に革新自 治体が福祉国家へとは結びつき得なかったというのが私の見解です。それは社会 党・共産党の両党が社会主義革命の実現を目標に掲げ、福祉国家やケインズなど は社会主義への変革を遅らせる修正主義として、反動的思想として位置づけられ ていた問題があります。すなわち、社会主義革命を行うことが一番重要であり、 革新自治体などはそれへの通過点である意義があったが、福祉国家の資本主義の 下で福祉を充実するという考えは、実現するはずの無い、労働者国民の社会主義 革命への自覚を妨げるまやかしに過ぎないという位置づけがなされてきました。
 1970年代の革新自治体を主導してきた社会党・共産党のイデオロギーを分 析すれば、福祉国家という考えを受容できる余地は無かったものと考えます。
 それと社会党・共産党の共闘が終焉を迎えたのは、社会党の路線転換だけでも なく共産党自身が革新統一戦線を維持する上での努力をなさないという問題も あったと考えます。
 1980年代には、原水禁・原水協の統一世界大会の開催など原水爆禁止運動 の統一の機運が盛り上がりましたが、その過程で共産党と統一推進の原水協の対 立が生じ、1984年吉田嘉清問題といわれた共産党による原水協弾圧事件が発 生し、大量の原水協内の共産党員が除名処分される事態となり、それ以降原水爆 禁止運動の統一の芽は摘み取られました。
 それと自由な研究に関してですが、共産党内でも学問研究の自由を侵害する事 件が1980・90年代には多数発生しました。特に、ネオマルクス主義という 理論がヨーロッパで発展し、日本共産党内の学者党員でもそれを研究する人が現 れたところ、共産党が弾圧を行い、ネオマルクス主義などを研究する学者党員を 査問・除籍などの処分を行い、共産党内で学問研究の自由が保障されない時代が 続きました。
 学問研究の自由は、大学でも共産党内でも守られなければならない絶対的なも のでしょうね。