赤旗日曜版09年6月14日付けで、「マルクスは生きている 不破哲三さんに聞く<中>」の「社会的バリケード」の発展に関しての所論の批判的検討を行うものである。
不破氏は、マルクスの「社会的バリケード」論との関連で、ヨーロッパの「ルールある資本主義」を論じているが、不破氏によれば資本主義の下での「社会的バリケード」の発展の歴史的経緯は、ロシア革命・人民戦線・戦後の国連の結成・EUの結成という経緯の下、「社会的バリケード」がヨーロッパ中心に発展し、今日のヨーロッパの「ルールある資本主義」へと発展したと述べられているが、そこでは意図的にヨーロッパの社会民主主義勢力による「社会的バリケード」の形成への努力は触れられていない。
ロシア革命により社会主義体制が成立し、その後第二次大戦後に社会主義国が世界的に拡大をし、米ソ冷戦時代を迎えたことは、資本主義が社会主義・社会主義国のこれ以上の拡大を防ぐために社会保障の拡充や労働者の保護政策の発展を促進する条件となり、ソ連・東欧など社会主義体制の崩壊後は各国で社会保障など削減への圧力が強まり、新自由主義的政策が勢いを増すという状況を見れば、米ソ冷戦が資本主義国の「社会的バリケード」の拡充を促進した要因の一つとみることができよう。
次に、不破氏が触れるフランスの人民戦線は、1935年コミンテルンが社会民主主義主敵論の社会ファシズム論を反ファシズム統一戦線論へと路線変更し、共産主義者と社会民主主義者などの統一戦線の拡大により達成されたものであるが、人民戦線はきわめて短命に終わり、バカンスの制度化などの成果はあってものの、多くの制度的前進にはつながらなかったという評価ができよう。コミンテルンの内部でも反ファシズム統一戦線方針が採択された後、2年後の37年にはスターリンによる粛清の嵐が吹き荒れ、世界の多くの共産主義者が処刑されるという悲劇が生じ、最終的には独ソ不可侵条約により反ファシズム統一戦線の動きが消滅しており、その成果はあまりにも小さく過大評価することはできない。
やはり、第二次大戦後ケインズ・ベバリッジ型福祉国家といわれる福祉国家をヨーロッパの社会民主主義勢力が積極的に推進したことがヨーロッパでの「社会的バリケード」の結成には決定的であった。同時にカトリックなど保守主義勢力も、西ドイツ・オランダ・イタリアなどのヨーロッパ大陸諸国の福祉国家建設に大きな影響力を持ち、社会民主主義勢力とは異なった形で「社会的バリケード」の形成に役割を果たした。
不破氏は、意図的にヨーロッパの社会民主主義勢力などが果たした「社会的バリケード」形成への役割を無視する意図があるようである。
最後に、不破氏は日本に関して「社会的バリケード」の形成が遅れた要因を、ロシア革命後終戦までの戦前の日本の暗黒政治に要因を求めているが、私の見解では、1960年代以降の高度経済成長(日本が経済的に先進国の水準に達する)からの時期に、共産党など日本の左翼が社会主義革命を目標に掲げ、日本の左翼の中で福祉国家論が修正主義としてまったく否定され、語られなかったことが、ヨーロッパと比べ「社会的バリケード」が著しく不十分な要因と考える。
ドイツも、1930年代初めより第二次大戦終結までは、ナチスの支配する暗黒政治が続いていた。しかし、第二次大戦後は、西ドイツではカトリックの影響のあるキリスト教民主・社会同盟と社会民主党の政権交代の中で、高度な福祉国家(ドイツでは社会国家という)の建設に成功している。
現在の共産党も、公式には福祉国家論への見解を一切出していない。世界の、特にヨーロッパの社会民主主義への評価と福祉国家論の日本の左翼での受容が「社会的バリケード」結成・拡充にとってきわめて重要と認識する。