2007年の参議院選挙で国民はついに自民党を見限り、民主党を大勝させて与野党逆転を実現させた。共産党も議席を減らしたが、その後に開かれた5中総で志井委員長は、『自公政治「ノー」の審判は明瞭となりましたが、それに代わる新しい政治はなにか、という問題について、国民の選択が明らかになったわけではありません。民主党は、「反自公」を前面に掲げ、批判票の受け皿となりましたが、自公政治に対する路線的な対抗軸は示せませんでした。』と述べ、「新しい政治のプロセス」がはじまったという認識を示しながらも、民主党が自公の対抗軸になり得ないということをことさら強調したのだった。
共産党は続いて開催した6中総、7中総でも、共産党の闘う目標として、「政権の担い手の選択でなく、政治の中身の変革を――きたるべき総選挙の焦点はここにあることを正面から訴え、自民、民主が政治の中身を変える意志も能力もないということを事実で示しながら、わが党のめざす政治の中身の変革を」と訴え、更には「中身を変えないで、担い手だけを変えても、日本の明日は開かれない」等々と規定した。
8中総では『自公も、民主も、日本の進路についての「旗印」を示せない』と双方をなで切りにし、自公も民主も同種同類、従って政権交代をしても意味は無いという論旨を内外に強くアッピールしてきたのである。
ところが、先の都議選で参議院選につづいて民主大勝、自民惨敗となって政権交代が現実化すると共に、共産党も議席を13から9に減らした結果、これまでの自民党と民主党を同列視することを修正して、「建設的野党」方針を打ち出した。党の命運のかかる総選挙の直前になって、「確かな野党」から「建設的野党」への変貌である。「確かな」から「建設的」へ、文字数にすればわずか三文字の違いだが、同じ野党でもその意味する質的違いは大きい。
つい昨日までは、自民・民主は同種同類、、「自公も民主も日本の針路に旗印を示せない(8中総報告)」と規定していたいた共産党だが、都議選後は手の平を返すように、「行動する是々非々」路線に修正したのである(路線を転換したという人がいても特段不思議ではあるまい)。志井委員長は首班指名で決戦になった場合は「政権延命を許さない立場で民主に投じることもある」とも語っているから、共産党も政権交代の流れに乗ることを鮮明にしたと言えそうだ。
この方針転換の理由を、「8中総の決定を土台にしながら、情勢の進展にそくして発展させることが必要と考え」たと、志井委員長は説明しているが、「情勢の進展」とは共産党独特の持って回った言い方で、要するに都議選の結果、民主党中心の政権交代が民意ということがはっきりした、共産党の独自路線も理解されなかった、この流れには逆らえないということであろうか。
共産党の自負心はどこへやら、という感がしないでもないが、5中総以来の「新しい政治のプロセス」が始まったものの、自公、民主、共に政治の担い手たり得ないとしてきた、これまでの孤高の独立独歩路線にあっさり決別したのである。
ただこの路線修正は、当然と言えば当然。共産党は何故もっと早くからこういった現実路線を選択しなかったのだろうか、と思う人は私だけではあるまい。5中総以後、「自公と民主は同種同類」を指針として運動してきた党員にとっても、突然の路線修正にはとまどいを隠せないだろう。もし共産党が「建設的野党」として是々非々路線を早くから確立し、野党共闘にも前向きにとりくんできたのなら、情勢はもっと早く動いていただろうし、共産党自身への国民の評価も違っていたのではないだろうか、そんな思いがしてならない。
ただ、この路線の修正が、幹部会レベルで唐突かつ木に竹を接いだように決められたことには、やはり違和感をぬぐえないも事実である。繰り返しになるが、「情勢にそくして発展させた」とは詭弁であって、要するに民意は2年前の参議院選の結果によって明瞭に示されていたのに、ことさら「国民の選択が明らかになった分けではない」と強弁してきた、その民意の見誤りの事実に指導部は足を取られる状況になっただけなの話なのである。
であるなら、指導部としてはその事実を素直に認め、そこから新たにスタートしたらいいだけの話なのだ。しかも中央委員会決定自体を修正することだから、幹部会でお茶を濁してすむ問題ではない。中央委員会できちんと総括した後、新しい方針を確立するのが筋ではあるまいか。総選挙が切迫しているといっても、党内民主主義をおざなりにし、幹部が相変わらず引き回していては、国民に更に見放されるばかりではないだろうか。
さて自民党の醜いバトルは、いわば小泉構造改革派によるクーデターのようなものだったが、今度の選挙で民主党政権が誕生したとしても、同党にも内部には改憲派から小泉カイカクに同調する勢力を抱えている状況では、どこまでスムースな政権運営ができるか未知数である。
政権奪取が成れば腹をくくって国民のための政治を行ってもらいたいものである。変な妥協やブレは政権の命取りになりかねないし、また自民党へのゆり戻しにもなりかねない。
同時に、共産、社民両党にも、自民、民主の二大政党化への流れの片隅で、それぞれが個別の小さなアブクのような存在から脱する起死回生の方策を命がけで考えてもらいたいものである。このままでは更に議席を失い、政党としての体を成さなくなっても不思議ではない。両党は政策的にはいいことは言っているとしても、ただ身内の論理で勝手にもがいているだけのようにも見え、このままでは国民はますます相手にしなくなるだけだ。
自民党崩れの弱小新党でさえ第3極を展望しようとしているのに、議席を持つ老舗左翼が衰退していくさまは惨めでならない。社共両党を含めた左翼全体の大同団結、あるいは協力共同はもう時代遅れなのか。あるいは絵に描いた餅なのか。それならそれでもう見放すしかないのだが。