総選挙が近づくにつれて選挙戦も熱を帯び始めた。が、いつも思うのは 共産党の政治方針の分かりにくさである。情勢分析は綿密だが、何故、もっと国民の心に響く真っ向う勝負の方針で選挙に臨まないのだろうか。これで党員は満足しているのだろうか、私には疑問でならない。
例えば、以前共産党の表看板だった「確かな野党」から都議選後の共産党の、「建設的野党」への路線転換(前回、私は修正と表現しているがやはり転換というべきであろう))は、選挙に負けた故の応急の対応としては分かるが、じっくり掘り下げて考えてみると何やらおかしい。
そもそも野党であっても、政党としていつも国民大多数の幸せと利益擁護に軸足を置いていれば、「確かな」も「建設的」もどちらも堅持するべき大切な基本姿勢というべきであって、自公政権であれ民主政権であれ、是々非々の対応をとるのは政党としてあたりまえのことではないだろうか。
あるときまでは「確かな野党」だったものが、あるときからは「建設的」に変わったり、まるでカメレオンのようにその時々の環境に合わせて自身の色相を変えてみたとしても、問われているのは、その中身、本質だから、あまり意味のあることとは言えそうにない。
「8中総の決定を土台にしながら情勢の進展にそくして発展させた」とは、まったくのレトリックだが、こんな子供だましの説明で党内にも社会にも通用すると考えているところに、国民意識と遊離した指導部の独善が現れているのではないだろうか。国民が共産党に共感できない最大の理由はこの独善臭なのに。
私が思うに、共産党に決定的に欠けているものと言えば、いま目の前にある国民の苦難の除去のためには、「何処でも、何時でも、誰とでも垣根を設けずに、共産党自身の身を削ってでも協力共同する」という、その意欲、決意ではないだろうか。
どの党派も、わが党派の存立を最優先するのは当然だとしても、共産党だけは自身の党の存立よりも国民の幸せを最優先する党派であって欲しいものだ。そういう決心が付いていれば、他党、他会派、いかなる大衆団体との選挙協力や、共同候補の擁立など多彩なたたかいをすることなど何でもないはずだ。
いつも独自色を鮮明にすることばかり腐心し、障壁や前提を設け、理念や細部や過去のいきさつ等にこだわり、わが道だけが正しいとしてきた、これまでの体質を根本的に改められるかどうかに共産党の今後がかかっている。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。そんな共産党になってくれれば国民はもろ手を挙げて歓迎するのではあるまいか。
ところで、7月27日付け1千坂史郎氏の投稿からリンクをたどって、私は「ポラリス ある日本共産党支部のブログ」を知ったが、この中で次のような一文が目に付いた。
昨日(2009/7/12) 投開票された東京都議選の結果は、ある意味凄まじい国民の意志の発露だった。出口調査などでも、総選挙を意識して投票した=自民党の退陣を求める人々が多数を占めたようである。結果は民主党の圧勝、自民党の惨敗。共産党も13議席から8議席に激減!とりわけ、民主党が自民党に競り勝った所では、『競り勝った』というよりは、圧倒的票差で勝っていることも特徴である。
中略
日本共産党の志位委員長は、選挙後のインタビューで【「政権選択」論が大規模に持ち込まれ】たことを敗因に挙げていたが、これは前回の総選挙や参議院選挙の結果が出た時と同じ言い分であり、『敗因分析』とは言えない。 キャンペーンの推進は、随分前から解っていたことである。
東京都議選結果について 志位委員長が会見
「自民か、民主か」を押し付ける「政権選択」論が大規模に持ち込まれたことは、わが党にとって逆風となって作用しました。これに対して、わが党は、ほんとうの政党対決の構図がどこにあるかを都政、国政で押し出し、私たちの声が届いたところではわが党への共感と支持を広げました。しかし、私たちの訴えを全都民的な規模で届けるにはいたりませんでした。(志位委員長)
こういうキャンペーンが行わる中で、国民が「自民に不満、民主に不安」(福島社民党・党首)と感じていたのは事実だとしても、「取敢えずは自民党を『やっつける』ための『最も効果的な選択』だろう」と考えたという国民の選択は、ある意味では当然である。大義名分が先に来て、如何に選挙に勝利するかと言う戦術が殆ど無いところに、中小都市での中間選挙では徐々に前進してはいても、肝心要(カナメ)の選挙で『やり損なう』という、ここ数十年来の結果があると思う(7月13日月曜日)。
まさに政権選択のキャンペーンが行われているさなかに行われた選挙で、そのキャンペーンに負けたかのように言うのは、戦略も戦術も間違えていたことを示すものに他ならない。
民主党が、憲法問題・自衛隊海外派兵・比例代表の定数削減などの政策で自民党と一緒だとしても、ひたすら民主党を自民党と同列に批判するという戦術は考え直す必要があるのではないか?
ある共産党支部の党員ブロガーの率直な都議選敗北にかかるまともな意見である。驚きであった。まともであるが故に「大義名分が先に来て、如何に選挙に勝利するかと言う戦術が殆ど無いところに」等といったところなどには、辛らつな指導部批判にもなっている。
同ブログ7月18日付けでは、7月16日付けの幹部会声明と志井委員長の路線転換の記者会見を受けて、「これは中央委員会はポラリスを読んでいるな、結構、結構」と歓迎しているのは微笑ましいとしても、こういったまともな下部の意見が党の正規機関や「しんぶん赤旗」にはまったく出すことのできない、出せば打たれるといったところに共産党の最大の組織欠陥があるといえるだろう。
当ブログも「ポラリス ある共産党支部のブログ」と名乗っているように、決してその所属等を明らかにしていないが、党員が自己の意見を堂々と発表できない共産党ではどうにもなるまい。
にもかかわらず、「ポラリス」のような意見が控えめながら出てくるところにまだ希望ももてると思ったりもする。非合法下の党組織のような、時代錯誤の組織構造、組織運営をあらためて、一日も早く真の国民政党に脱皮してもらいたいものである。