2009年8月30日の総選挙で本当に久しぶりに溜飲を下げることができた。郵政 民営化を国民の多数は支持していなかったはずなのに,小泉自民党が圧勝してし まい(2005年夏),その勢いで教育基本法は改悪されてしまった。国民投票法も 成立させられた。暗澹たる思いがずっと続いていただけに,今回の選 挙はまさに「革命的」快挙だった。乾杯!
一方,一般国民のはるか後衛をゆく「前衛党」はどうか。
相変わらずの自己中心思考。選挙総括でも政権交代を実現したのは「我が党の
おかげ」?などと唖然となるような見解を披露する(Webページ『さざ波通信』
に投稿された原仙作氏の総選挙総括論参照のこと)。どこに「科学性」があると
いうのか。
なぜ社会主義に「科学的」という形容詞をつけるのか? エンゲルスは自分た
ちの社会主義を「空想的」社会主義など他の様々な雑多な社会主義と対比する意
味でそう呼んだという。しかし,「科学的」という言葉は誤解を生みやすい。
科学というと自然科学がイメージされ,真理性と同値されやすい。だが,語源
を辿れば,学問研究が進化発達し,未分化だった学問領域が細分化され,諸々の
「諸科の学」として科学という言葉が生まれたのであって,専門諸科学,諸々の
科の学問という意味なのだ。学問はなにも自然科学だけではない。社会や人間を
扱った社会科学や人文科学がある。
哲学はどうか。哲学の対象分野は広大で人間と世界をすべて含んでおり,対象
分野を限定した諸科の学すなわち科学とは区別される。図書館などでの分類では
哲学は人文科学の範疇に入れられるが,もともとは学問は哲学から出発し,哲学
から諸科学が分離独立した。現在では学問は大まかに分けて哲学と諸科学で構成
されている(芸術や宗教はどうかという疑問が生じるかも知れないが,芸術や宗
教の教えそのものとは区別された宗教学,芸術学という科学分野がある)。
だから「科学」と銘打っても真理と同値ではない。当然検証が必要だ。ある命
題が真理であるか偽であるかは検証作業を経て証明されるように,どのような科
学分野の命題でも検証抜きに真理性は保証されない(この点で哲学は対象領域が
広大すぎて検証作業が容易でなく,真理であるかどうかの判定が極めて困難であ
り,そのため判定そのものが回避される。宗教も「真理の探究」が目指され,そ
の言説に「真理」が含まれている可能性があるが,検証は困難ないし不可能に近
い)。「資本制から社会主義への移行は必然である」という命題は未だ検証され
ていない仮説にとどまるのだ。
なのに,「科学的」を形容句として置くことによって「科学的=真理」といっ
た思い違いを生じさせ,マルクス主義以外の社会主義を間違った,研究する価値
のないものと見なす風潮を生み出してしまう。
そういうわけで「科学的」社会主義という言葉に,どうも尊大さや自惚れを感
じてしまい,私は嫌いだったし,何かしら恥ずかしさがあり,自分から肯定的に
使うことはしなかった。そして1989年の東欧革命という歴史の転換点を迎える。
JCP(日本共産党)にとっては晴天の霹靂だったろう。まさに自己の過去の言説
が問われた。なにせ,社会主義の崩壊以前から世間一般が,ソ連や中国の社会主
義の負の側面を冷静に見ていたとき,「社会主義はすばらしい」と宣伝していた
のだ。
しかし深い反省もすることなく,崩壊してからあわてて「本来の社会主義とは
無縁」とか「社会主義ではなかった」などと弁明するような「科学的」社会主義
なのである。恥ずかしいという意識をどうやら持ち合わせていなかったようだ。
なるほどJCPの「生成期社会主義論」(1977年)は当時ソ連の主張していた
「発達した社会主義」などの議論に同調せず,一定の留保を示したものではあっ
た。しかし,既に革命後60年を経過したソ連を,「移行期」を終了し「社会主
義の段階に到達していた」と明らかに認識していた。まだ生まれたばかりの移行
期にあるベトナムなどの社会主義国も,すでに移行期を終え社会主義の段階に
入った社会主義国も,すべて含めて社会主義の「生成期」にあると規定したとこ
ろに「社会主義生成期論」の特徴がある。このことは聴濤弘がその著書『21世
紀と社会主義』(新日本出版社1984年)で述べていた。この本の出版後,JCPが
これにクレームを付けたり訂正を求めたりした形跡はまったくない。なぜなら,
これこそJCPの見解の妥当な解釈でありそれから逸脱した内容ではなかったから
だ。
ところが,1994年のJCP20回大会では,「生成期論」はソ連などを「社会主義
の段階に到達していない」という認識だったと平気でウソを述べた。聴濤氏の本
を大いに普及していたにもかかわらず。
いったいこれのどこが「科学的」だと言うのか?こんなことだから独善と言わ
れ相手にされないのだ。
1996年の総選挙,1998年の参議院選挙での「躍進」に浮かれた不破哲三は,
「今日、わが党の躍進をささえ,またその背景になっているこれらの条件は,70
年代の躍進の時期にはもたなかった深みと厚みがある」などと述べ(2000年),
その後は地滑りのように転落し衆議院ではなんと9議席。1960年代末の勢力より
低い水準に陥っている。全く根拠なく途方もない楽観論を述べた責任は重大だ。
しかしそれを追求した痕跡は見られない。
宮本顕治時代が良かったとは言わない。当時は,内部はもとより外部からの少
しの異論に対してでも膨大な反論が用意されたものだ。が,今や外部からの批判
も黙殺しか方法がないのだろう。まともに取り上げたら論破されることが分かっ
ているからか。一端論争に火かつくと収集できない程の混乱に陥るかも知れない
という不安のためか。内部はまったく静かなようだ。突っ込むところはいくらで
もあるというのに。
もはや党再生は宮地健一氏の言うように「手遅れ」なのだろう。党名を替えて
再出発とか社民党と合流するとかの大手術をする大胆さもないのだろう・・・。
とすればやはり・・・。
JCPに期待しなくなって久しい。凋落しても自業自得ということだろうか。や
や「寂しさ」も残るがそれも現状ではやむを得まい。