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「横浜事件」無罪の重要な意義

2010/2/6 櫻井智志

 春まだ遠い2月上旬、報道機関は横浜事件の被告に無罪が決定したことを大きく伝 えた。そもそも横浜事件そのものを知らない世代が増えている。ジャーナリストの松浦総三 氏が平凡社百科事典に記した説明には、以下の様な記述がなされている。

太平洋戦争下の特高警察による,研究者や編集者に対する言論・思想弾圧事件。
 1942年,総合雑誌《改造》8,9月号に細川嘉六論文〈世界史の動向と日本〉が掲載されたが,発行1ヵ月後,大本営報道部長谷萩少将が細川論文は共産主義の宣伝であると非難し,これをきっかけとして神奈川県特高警察は,9月14日に細川嘉六を出版法違反で検挙し,知識人に影響力をもつ改造社弾圧の口実をデッチ上げようとした。
 しかし,細川論文は厳重な情報局の事前検閲を通過していたぐらいだから,共産主義宣伝の証拠に決め手を欠いていた。そこで特高は細川嘉六の知友をかたっぱしから検挙し始め,このときの家宅捜査で押収した証拠品の中から,細川嘉六の郷里の富山県泊町に《改造》《中央公論》編集者や研究者を招待したさい開いた宴会の1枚の写真を発見した。
 特高はこの会合を共産党再建の会議と決めつけ,改造社,中央公論社,日本評論社,岩波書店,朝日新聞社などの編集者を検挙し,拷問により自白を強要した(泊共産党再建事件)。
 このため44年7月,大正デモクラシー以来リベラルな伝統をもつ《改造》《中央公論》両誌は廃刊させられた。一方,特高は弾圧の輪を広げ,細川嘉六の周辺にいた,アメリカ共産党と関係があったとされた労働問題研究家川田寿夫妻,世界経済調査会,満鉄調査部の調査員や研究者を検挙し,治安維持法で起訴した。
 拷問によって中央公論編集者2名が死亡,さらに出獄後2名が死亡した。その他の被告は,敗戦後の9月から10月にかけて一律に懲役2年,執行猶予3年という形で釈放され,《改造》《中央公論》も復刊された。拷問した3人の特高警察官は被告たちに人権じゅうりんの罪で告訴され有罪となったが,投獄されなかった。

 これだけの大事件が長らく冤罪に対して放置されてきたことは、日本社会の言論の自由の水準を示すものとして、国際的にも言論後進国日本として見なされる事実のひとつであった。
 有罪か無罪かを判断せずに裁判を打ち切る「免訴」判決を受けた元被告5人について、横浜地裁は2月4日、刑事補償を認める決定をした。5人の補償総額は遺族が請求した通りの約4700万円だった。裁判長は「治安維持法の廃止など免訴にあたる理由がなければ、無罪判決を受けたことは明らか」と述べ、実質的な「無罪」と判断した。
 1986年に初めて再審請求して以来、初めて司法により元被告の名誉回復がなされる。最高裁によると、免訴判決後に刑事補償が認められたこれまでのケースは「把握していない」という。検察側は抗告しないとみられ、決定は確定するであろうといわれている。
 認められたのは、いずれもご逝去されている。元中央公論社出版部の木村亨さん、元改造社編集部の小林英三郎さん、旧満鉄調査部員の平舘利雄さん、元古河電工社員の由田浩さん、元改造社編集部の小野康人さんの方々である。5人は治安維持法違反で45年に有罪判決を受けている。
 新聞報道によると、決定は以下のようになされている。
①神奈川県警特別高等課(特高)の当時の捜査について「極めて弱い証拠に基づき、暴行や脅迫を用いて捜査を進めたことは、重大な過失」と認定。
②検察官も「拷問を見過ごして起訴した」、
③裁判官も「拙速、粗雑と言われてもやむを得ない事件処理をした」としたうえで、「思い込みの捜査から始まり、司法関係者による追認により完結した」と事件を総括した。

 このような冤罪事件が、やっと無罪獲得に至ったことは、担当した裁判官の高い見識と法律家の良心とを示している。けれども、最近獄中に服役中に無罪を認められた菅谷さんにしても、検察や警察の責任の所在はあまりにも大きい。
 しかも菅谷さんの事件と異なり、長らく治安維持法という弾圧法規によってでっち上げられた政治的冤罪は、昭和史を重く彩る暗黒の政治的思想的弾圧の所産である。

 今は亡き犠牲者の方々のご冥福を祈念してやまない。同時に、ほぼ同時代の昭和において、パク・チョンヒ大統領時代の韓国において、民青学連事件ででっち上げで逮捕された留学日本人の太刀川さんが冤罪を認められ無罪釈放され、最近報道された。韓国は、金大中大統領を指導者とする民主化運動家たち多くの努力が実って、民主化革命が達成され、若者や労働者も、国民全体が大きく前進をとげた。日本は、近代史において侵略の対象としていた韓国の民主化を達成した隣国に謙虚に学ぶべきである。司法において、政治において、文化において。アジアの安定は日本の社会構造の「民主化改革」がなされることによって、はじめて達成される。