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一般投稿欄

検察の暴走について(2)共産党の「新日和見主義事件」の「査問」との類似性

2010/3/4 風来坊 50代 自営業

 週刊朝日2月26日号の「「罪なき罪」をつくる検察の大罪」の検察OBの対談のP117を引用してみる。

緒方 ええ。本当に情けないことで、ずっと後悔しているのですが、私も「虚偽の自白」をしています。
特捜部は事情聴取のなかで私の否認調書すら取りませんでした。特捜は彼らが描いたとおりの供述のみを取ろうとする。でも、それは事実と乖離しているわけです。それでも、否認し続けられるかというと、弁護人のサポートがあってもグラグラするんですよ。
魚住 元検事長の緒方さんでも、そうなるんですか。
緒方 私の場合、なまじ、実態を知っていることが裏目に出たと思います。毎日、昼から深夜まで調べられてへとへとになっているところに、「物証がある。共犯者、被害者の証言も取れている」と言われる。のちにこれはウソだとわかりましたが、そのときは、今の裁判のシステムではいくら僕が否認しても持たないな、という迷いが出てくるんです。後輩の検事に大声で怒鳴られるのもきつかった。
魚住 大先輩の緒方さんを怒鳴りつけるんですか。
緒方 そうです。検察のシナリオで被害者とされた朝鮮総連は、「だまされたとは思っていない」と言って被害届も出していませんでした。しかし、私の逮捕に踏み切った以上、なんとしても起訴に持ち込まなければならず、そのためには私から容疑を認める供述を取らないと事件にならない。必死だったんでしょう。取り調べる側から取調べを受ける側になってわかったのは、検察は人格を破壊して被疑者や参考人から思うような供述を取るということです。
魚住 特捜の常套手段で、「壁に向かって立て」と言って、何時間も立たせたまま取り調べるそうですね。緒方さんは何が一番つらかったですか。
緒方 家族をダシにされたことですね。20日間の拘留のうち16日までは頑張っていたんです。でもそこで、家族からのメールを見せられて。そのときに福部長から「争うなら裁判に5年はかかるよ。あんたそのとき80歳だろ。それから実刑で刑務所に入ったら死ぬまで出られない。長期公判でつらい思いをする家族のことも考えてやれよ。と言われたです。僕がのみ込めば家族のためにもいいのかなと、それで僕は落ちたんです。認めたはいいが、どうウソの供述を重ねようと悩んでいたんですが、それは杞憂でした。私が結論として詐欺を認めれば、具体的に事実を供述しなくても、検察はすでに共犯者から得た供述をもとにしたストーリーをつくっていましたから、そのとおりの調書が作成され、後は調書にサインするだけだった。

 共産党が新日和見主義を当初どのように捉えていたのかは、1972年の5月9日付「幹部会声明」「日本共産党創立50周年記念の歴史的な党躍進大運動に全党員は立ち上がろう」
このなかで内外の反動勢力は、わが党の着実な前進をはばむために、デマ、挑発を含む各種の策動に訴えている。また、国際共産主義運動のなかの一部干渉者とそれに盲従し、依存する分子は、特に青年運動、学生運動のなかにわが党への不 信と中傷をうえつけるために、きわめて陰険でこうかつな暗躍をつづけているが、大躍進運動の前進のためには、これらの反動勢力とその手先、各種の反党分子への非妥協的な闘争をもってこたえなくてはならない。
5月11日の赤旗のコメント
会議はまた、各種の対外盲従分子、トロツキスト、反党分子などの最近の策動について報告を聞き、検討しました。国際情勢と闘争の試練のなかで、彼らの反革命性、反人民性はますます暴露され、みじめな政治的破綻がすすんでいること、しかし、国際共産主義運動における対外干渉主義、「社会植民地主義」の傾向がなお存在し、それとトロツキストとの無原則的野合が新しい特徴になっていること、しかも、彼らは、党の内部を撹乱するために労働運動、青年・学生運動のなかで党への中傷と不信をもちこみつつあること、したがって、今日、こうした策動にたいして、断固とした、また機敏な、思想的・組織的闘争をおこない、かれらの策動を粉砕することが重要であることを会議は確認しました。
5月27日「奮起を訴える手紙」幹部会
田鹿に内外の反動勢力は、反共デマ宣伝、挑発など、わが党の前進をはばもうとたくらんでおり、また国際共産主義運動のなかの一部の干渉者とそれに盲従し、依存する分子は、とくに青年学生運動をねらって、わが党への不信と中傷を陰に陽にふりまき、わが党を孤立化し、混乱をもちこもうとしています。
共産党は意識的に曖昧にしているが、当時の情勢から見て、共産党がいう国際共産主義の一部の干渉者とか、対外干渉主義が、朝鮮労働党を指している事は、明白だ。
つまり、新日和見主義問題を、「海外からの干渉」によって生じた分派、北朝鮮盲従分子の分派と捉えていた。
そして党中央が、描いた自己批判書を取ろうと査問を開始した。
ところが、6月12日の幹部会で、新日和見主義の政治的傾向を特定した罪科には、対外干渉者の記述が全く無い。
以下、虚構を抜書きしてみる。
◆6月12日の幹部会の解説記事
・アメリカ帝国主義の侵略性の過小評価
・アメリカ帝国主義の対中ソ接近をもっぱら帝国主義の危機とみなす。
・ニクソンのベトナム侵略の拡大を軽視。
・沖縄協定で日本軍国主義が主敵となったとする「一つの敵論」を主張
・中国の干渉者や盲従分子の党攻撃に事実上呼応
・人民的議会主義、党の組織活動改善をブルジョア議会主義、修正主義と非難。
・党勢拡大を独自の課題としてとりくむことに事実上反対。
◆七中総(1972年7月)の報告と結語
・党の基本路線に関する日和見主義。
・「左」からの修正主義の特徴をもつ。
・党建設上の日和見主義は政治的基本路線の日和見主義と結びつく。
一人ひとりの考え方からすれば、そのことはあまりはっきりしていない、 あるいは必ずしも結びついているといえない場合もある。しかし、 全体としては結びついている。
・自主独立の立場をよく理解しない。
・日本独占資本の帝国主義的自立論や復活完了論にかたむく。
・選挙活動や議会活動の方針を一面的にとらえ、党の路線を大衆闘争 軽視と結合したブルジョア議会主義、平和革命唯一とみる。
・ブルジョア・ジャーナリズムの批判や周囲の見解に影響をうける。
・党建設上の「またか論」「かべ論」「段階論」など日和見主義的な考え方におちこむ。
・政治路線での「左」からの修正主義が組織上の分派主義、解党主義と結合。
・「またか論」などの受動的・消極的な態度は、善意でも新しい形の自然成長主義、新しい日和見主義の一種
油井氏はこの後に
◆日本共産党の創立50周年記念式典での宮本委員長の記念講演1972年7月
◆八中総決議 1972年9月
◆民青第12回全国大会での不破書記局長のあいさつ1972年9月
◆9中総不破書記局長の報告
◆日本共産青年同盟創立50周年集会での宮本委員長の記念講演1973年4月
◆10中総決議1973年4月
◆第十二党大会決議1973年11月
などを書いている
さらに新日和見主義批判特集が出版されている。
◆新日和見主義批判
・新しい日和見主義の特徴 内外情勢との関連で
・沖縄闘争と新日和見主義
・新日和見主義と「日本軍国主義主敵」論
・人民的議会主義と新日和見主義
・新日和見主義と労働組合の「資本からの独立」
・アナーキズムと新日和見主義
・新日和見主義と学生運動論批判
・新日和見主義と青年運動論

しかし、何時の間にか、これらすべての決議や講演、書籍から、「事件」の発端となった、「幹部会声明、や手紙の根幹」、つまり、「国際共産主義運動の干渉者」とか「反動勢力の手先」といった規定が消えているのだ。

会議だと言って騙して呼び出し、最初の嫌疑が立証できないと無理やり別の嫌疑で処分する。
 それどころか「国際共産主義運動の手先」とやらの「正体」は、民青の「卒業」を必至とみた池山吉之助たちが「卒業」後に会社を作って朝鮮人参を売る商売を始める事を思いたち、その準備を着手したという他愛もないものだった。また、反動勢力の手先とやらも、処分される側ではなく、処分する側にいた。と川上氏に「査問」で皮肉られる始末だ。
反動勢力の手先は、処分する側の民青大阪府委員長・中央常任委員の北島と民青愛知県委員長の西村だったのだ。
詳しくは2006年7月20日の投稿「新日和見主義について(内外の反動勢力はどちらの側にいたのか)」
何と小沢問題の検察の捜査の手法と似ていることか。
これでは、党中央が検察の捜査の不当性も理解できないのも当然だろう。