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一般投稿欄

赤いたぬきさんへ(レーニン主義の原則について(1))

2010/4/16 風来坊 自営業

これはレーニンの一歩前進二歩後退に対する批判論文です。

社会民主主義の運動においては、組織もまた、それ以前の社会主義のさまざまなユートピア的試みとは異なって、宣伝の人工的産物ではなく、階級闘争の歴史的産物であり、社会民主党は、その闘争のなかに、ただ政治的意識だけをもたらすにすぎない。正常な諸条件のもとでは、つまり、ブルジョアジーの発展した政治的階級支配が社会民主主義の運動に先行しているところでは、労働者の最初の政治的鍛錬は、既に、ブルジョアジーの手で、相当程度まで行なわれている。「この段階では」と「共産党宣言」はいっている。「労働者の大衆的結集は、まだ、かれら自身の団結の結果ではなく、ブルジョアジーの団結の結果である。」ロシアにおいては、社会民主党は、意識的関与によって歴史的過程の一時期に代え、プロレタリアートを絶対主義的体制の基盤を形成する政治的原子状態から直接に―目的意識的にたたかう階級としての―組織の最高の形態へと導く、という課題を負わされている。それゆえ、組織問題が、ロシア社会民主党にとって、特に難しい問題であるのは、単に、同党が、ブルジョア民主主義の一切の形式的手続きなしで組織問題を創り上げねばならぬ、という理由からではなく、同党が、いわば、親愛なるキリストの言葉を借りれば、「無から」、真空状態の中で、他の国ではブルジョア社会によって準備される政治的素材もなしに、この問題を創り上げねばならぬ、という理由に基づいている。(略)
 ロシアの党大会を前にして「イスクラ」が繰り広げたカンパニアにおいて、それの卓越した指導者である同志レーニンの著作がわれわれの手元にあるが、その著作は、ロシアの党の超・中央集権的な方向を組織的に表現している。ここに強烈に、徹底して表現されている見解は仮借ない中央集権主義のそれであり、それの根本原則は、一面では、はっきりした活動的な革命家たちを、かれらを取り巻く、未組織であっても革命的・積極的な環境から、組織された軍団として抽出・分離することであり、多面では、党の地方組織のあらゆる発現形態中央機関の厳格な規律と、それの直接的な、断乎として決定的な関与を、持ち込むことである。それには、次ぎのような例をあげれば、充分だろう。つまり、この見解に従えば、中央委員会は、党の部分委員会を組織し、従って、ジュネーブ、リュティッヒから、トムスク、イルクーツクに至るまでの、ロシアの個々の地方組織の全ての人的構成を決定し、お手盛りの地方党則をそれらに与え、上からの命令でそれらの組織を解散させあるいは作り出し、ついには、こうしたやり方で、最高の党判定機関・党大会の組成をも間接に左右する、という権能をもつ。その結果、中央委員会が党の根源的な活動の核となり、残余の組織は全て単に、それの実行の道具として現象する。
 レーニンは、まさに、社会民主主義的大衆運動に伴う組織におけるこのような厳格な中央集権主義による統一に、特殊に革命的・マルクス主義的な原理を見出し、彼の見解の裏付けに多くの事実をあげている。しかし、われわれは、それらの事実を、立入って検討してみよう。
 社会民主党には、一般に、強い中央集権的な傾向が内在していることは、疑いを容れない。その諸傾向からして、中央集権的な資本主義の経済的基盤から生まれ、中央集権化されたブルジョア的大国家の政治的枠の上での闘争に鍛えられたために、社会民主党は、本来的に、いかなる連邦独立主義にも、民族的連邦主義にも、はっきりと反対する。所与の国家の枠内におけるプロレタリアートのいかなる部分的またグループ的利益にも反対して、階級としてのプロレタリアートの全体的利益を代表する使命を担って、社会民主党は、オーストリアにおけるような異例の諸事情のため、例外的に連邦主義的原則を余儀なくされる場合は別として、あらゆる場合に、労働者階級の民族的・宗教的、職業的諸グループのすべてを統一的な綜合政党に陶治してゆくのを当然の任務として努力してきた。
 この点に関しては、ロシア社会民主党の場合にも、この党が、無数の民族的、地方的個別組織の連邦主義的な集合体ではなく、ロシア帝国内の統一的かつ強固な労働者政党を形成しなければならないということに、何ら疑問の余地はなっかたし、現在もない。しかし、それとはまったく別の問題として、中央集権化の度合の多少から生ずる、そしてまた、統合された統一的なロシア社会民主党内部のより立ちいった状況から生ずる問題がある。
 本来、一個の闘争政党としての社会民主党の公式的な課題という見地からすれば、その組織内での中央集権主義は、党の闘争能力と行動力がその条件の実現いかんによって直接に左右されるような、そのような条件として表れる。しかしながら、今の場合、あらゆる闘争組織の公式的諸要請の観点よりもはるかに大切なのは、プロレタリアの闘争の特殊的、歴史的な諸条件である。
 社会民主主義的運動は、階級社会の歴史上始めて、運動のあらゆるモメント、そのあらゆる過程において、大衆の組織とその自立的直接的行動を考慮におく最初の運動である。
 この点で、社会民主党は、これ以前の社会主義的諸運動、たとえば、ジャコバン・ブランキスト型のそれとは、全く異なった組織型を創造する。
 レーニンは、その著書で次のようにいうとき、このことを軽視しているように見える。すなわち、革命的社会民主主義者は、しかし、「階級意識あるプロレタリアートの組織と不可分に結ばれたジャコバン主義者」そのものである、と。レーニンは、ごく少数者の陰謀に対立する、プロレタリアートの組織と階級意識に、社会民主主義とブランキズムとの間にある根本的な相異のモメントを見ているのである。だが、かれは、それに伴なって組織概念の完全な価値転換が、中央集権主義の概念には全く新しい内容が、組織と闘争の相互的関係については、全く新しい見解が与えられることを、忘れている。
 ブランキズムは、労働者大衆の直接的階級行動を考慮に置かず、従ってまた、それは大衆組織を必要としない。それどころか、広汎な人民大衆は革命の瞬間になって初めて戦闘場裡に登場するものとされ、しかも、事前の行動といえば、ごく少数者による革命的奇襲攻撃の準備というに尽きた。それゆえ、この一定の任務を託されて人びとを人民大衆から鋭く分離することが、彼らの任務達成のために、まず、要求された。しかし、そうした行動が、可能であり、実行されえたのは、ブランキスト的組織の陰謀的活動と人民大衆の日常活動の間に、全く何一つ内的連関が存在しなかったためである。
 それと同時に、戦術や活動の細かな任務も、それらのものが基本的な階級闘争の基盤との関連なしに、任意に、小手先で即製されたので、あらかじめ細部まで仕上げされ、一定のプランに固定され、決定されていた。それゆえ、組織の活動メンバーは、当然、自己の活動分野外であらかじめ決定された意思の純粋な実行機関、中央委員会の道具に成り変わった。それに伴なって、また、陰謀家的中央集権主義の第二のモメントが与えられた。すなわち、党の個別機関がその中央機関に絶対的盲目的に服従すること、並びに、この中央機関の決定的な権能が党組織の最外縁部まで波及伸長されること、である。
 社会民主党の行動の諸条件は、これとは根本的に異なっている。その行動は基本的な階級闘争から歴史的に生れる。その場合、この行動は、弁証法的な矛盾の中で動いてゆく。すなわち、プロレタリアの軍隊は、この時、闘争そのものの中で初めて生み出され、闘争の中で始めて闘争の課題を明らかに悟らされる、ということである。この場合、組織と啓蒙と闘争は、ブランキスト的運動の場合のように、切り離され、機械的に、また時間的に分離されたモメントではない。それらは、同一の過程の異なった諸側面であるにすぎない。一面からいうと、―闘争の一般的な諸原則はさておいて―準備を整えられ、あらかじめ確定され、細目を決められた闘争戦術、が一中央委員会が社会民主党員たちに叩き込みうるような、そういう闘争戦術というものは存在しない。他面、組織を創り出す闘争の過程が、社会民主党の影響範囲の絶え間ない変動を条件づける。
 このことから、直ちに結論されるのは、社会民主主義的中央集権は、その中央権力への党の闘士たちの盲目的な従順さ、機械的な服従を基礎としうるものではないこと、他面、既に確固たる党活動家へと組織された階級意識あるプロレタリアートの中核と、既に階級闘争に捉えられ階級的啓蒙の過程の中に置かれている周辺的層との間には、絶対的隔壁は設けられえないこと、である。それゆえ、この二つの原則―皆に代って考え出し作り出し、決定するような一つの中央権力の下に、党組織の全てが、その活動のごく細部までをも含めて、盲目的に服従すること、並びに、レーニンによって弁護されているように、党の組織された中核をそれを取りまく環境からきびしく峻別すること、という二つの原則に基づいて、社会民主党内の中央集権を作り上げることは、われわれには、ブランキスト的な陰謀家サークルの運動の組織原理を、労働者大衆の社会民主主義的運動へ機械的に飜案することである、と思われる。おそらく、レーニンは、自らの「革命的社会民主党員」を「階級意識ある労働者の組織と結合されたジャコバン主義者」と規定したとき、自己の立脚点を、かれの敵たちの何れかが成し得るよりも、はるかに鋭く認めていたことであろう。しかし、実際には、社会民主党は、労働者階級の組織と結合されているのではなく、労働者階級それ自身の運動なのである。それゆえ、社会民主主義的中央集権主義は、ブランキスト的中央集権主義とは、本質的に異なった状態であらざるをえない。この中央集権主義は、労働者階級の個別的グループや個別的個人とは対立する、労働者階級の啓蒙された闘う前衛の意思の絶対的集中以外の何ものでもありえない。それは、いうなれば、プロレタリアートの先導的層の「自己中央集権主義」であり、それら先導的層自身の党組織内での多数支配なのである。
 既に、社会民主主義的中央集権主義の根本的内容をこのように検討すれば、今日、ロシアではまだこのことのために必要とされる諸条件が完全な程度には与えられていないことが明らかとなる。それは、すなわち、既に政治的闘争で教育されたプロレタリアの相当数の層の存在、並びに、(公開党大会、党機関紙、等々において)影響を直接的に行使することを通じて、それらの層の自由裁量能力に表現を与える可能性、である。
 後者の条件は、明らかに、ロシアにおける政治的自由に伴って初めて創造されうる。しかし、前者―プロレタリアートの階級意識を備えた批判能力前衛の育成―は、今まさに生まれつつあるところであり、直接的な扇動者活動および組織者活動の主導的目標とみなされねばならない。
 ロシアには、大きな、極度に中央集権化された労働者政党を実現するための前提条件が既に存在しているという、レーニンの倒錯した確信には、一層驚かされる。そして、かれが、今や既に、「ロシア社会民主党内の、プロレタリアートではなく、多くの学者先生たちは、組織と規律の精神において自己教育を迫られている」と楽観的に呼号し、プロレタリアートを生まれながらにして「規律と組織」に適うように成熟させる工場というものの、プロレタリアートにとっての教育的な意義を称賛するとき、そこには、またしても、社会民主主義的組織についての、余りにも機械的な一見解が示されている。レーニンのいう「規律」は、決して、単に、工場によっても、兵営によっても、また近代的官僚政治によっても、すなわち、―中央集権化されたブルジョア的国家の全体的メカニズムによって、プロレタリアートに叩き込まれうるものではない。しかも、指揮棒につれて機械的に運動をする、多手多足の肉塊の無意志・無思考性と一つの社会的階層の意識的な政治行動による自発的な協調、抑圧された一階級の盲目的従順と解放のために闘う一階級の組織された反乱、というような対立する二つの概念を、等しく「規律」と名付けるならば、それは、スローガンの不当な濫用以外の何ものでもない。資本主義的国家によって、叩き込まれた規律に関連づけることによってではなく、―ブルジョアジーの手から一つの社会民主主義的中央委員会の手へと指揮棒を置き換えることによってではなく、この奴隷的規律精神を打破し、根絶することによって、初めて、プロレタリアは、新しい規律―社会民主党の自発的な自己規律へと、教育されうるのである。略
 いかなる時にも、社会民主党にとって重要なのは、将来の戦術のために出来合いの目論見を、予め考え、立てることではなく、当該の支配的闘争諸形態に対する正しい歴史的評価を党内で生き生きと保ち、プロレタリア階級闘争の終局目標の見地から、闘争所与の局面の相対性並びに革命的諸モメントの必然的昂揚に対する生きた感覚を持つことである。
 しかし、レーニンが行なうように、否定的性格を持つ絶対的権能を党指導に付与するならば、それは、その本質からして必然的に発生する、あらゆる党指導の保守主義を、まったく人為的な仕方で危険なほど強めることになろう。社会民主主義的戦術が、一中央委員会によってではなく、全党によって、より正しくは、全運動によって創造されるのであるとすれば、党の個々の組織には、明らかに、行動の自由が必要なのであり、その自由のみが、当面する状況によって提示されるあらゆる手段を闘争の昂揚のために徹底的に駆使し、また、革命的イニシアチブの展開を可能にするのである。しかし、レーニンによって推奨された超・中央集権主義は、その全本質において、積極的創造的な精神ではなく、硬直した夜警根性によって支えられている、とわれわれには思われる。かれの思考の過程は、党活動の結実ではなく主としてその統制に、その展開ではなく制限に、運動の結集ではなくその締め上げに向けられている。(ロシア社会民主党の組織問題 ローザ・ルクセンブルグ)

 「皆に代って考え出し作り出し決定するような一つの中央権力の下に、党組織の全てが、その活動のごく細部までをも含めて、盲目的に服従すること、並びに、党の組織された中核をそれを取り巻く環境から厳しく峻別する」という「二つの組織原則」と「規律」に対するレーニンの認識、そして、それを歴史的条件を無視して機械的に全ての国に適用していった事が、人類の解放を目指した科学的社会主義の組織がソ連や東欧に見られる抑圧する組織に変質してしまった要因なのではないだろうか。