> 小生は法律の専門家ではないので、そのような刑事告訴が可能かどうかわからないのですが、法律的な制約があったのでしょうか?
私も、「法律の専門家」ではありませんが、当時にも、刑法に「特別公務員暴行陵虐罪」(旧刑法第195条)があって、警察官が刑事被告人その他の者に対して暴行又は陵虐の行為を行った場合には処罰されています。結果的加重犯規定もあり、暴行陵虐行為の結果人を死傷に至らしめた場合には、傷害致死罪の範囲で刑が加重されます(旧刑法第196条)。多喜二の場合、ほとんど未必の故意による殺人罪に該当すると思いますけれど…。
何れにせよ、当然ながら、そのような犯罪に対しては刑事告訴も理論上可能であったでしょう。ただ、事実上そんなことをしても無駄だったというだけです。つまり、「告訴」に関する限り「法律的な制約」は、当時から現在に至るまで存在していなかった、ということになります。
しかし現に、小林多喜二の死因についても、「取調中の突然死」扱いをされたのですから、告訴したところで、国家訴追主義・起訴独占主義の下では、犯人である国家機関自身(警察と一体となった検察)が訴追の是非を判断するので、大した意味はなかったでしょう(つまり、「嫌疑不十分」か何かの理由で、不起訴になったはずです)。
平成16年の検察審査会法改正前までは、そもそも不起訴処分を控制する方法は限られていましたし(改正後は、近時の明石歩道橋事件の起訴議決に見られるように、審査会が二度「起訴相当」議決を行うことにより、検察の意向を無視して起訴できるようになりました。それでも、検察官役を務める弁護士に対して、証拠収集のサボタージュだとか、物的証拠の隠蔽だとかの不服従は起こりえます。)、仮にそれを承知で告訴したとしても、とくに治安維持法下では、告訴人自身が権力に睨まれる結果(=弾圧の誘引)を招来しただけだったでしょう。
また、戦後長い間、多喜二虐殺に対する刑事告発が行われなかったらしい(詳細は不知)ことについては、横浜事件再審についてもそんな感じがしますが、このような近現代史の闇が正面から問われるようになったこと自体が、新しい動きだと思います。
それを、「戦後民主運動のとんでもない失態」であると指弾することは可能だと思いますが、他方で、本当に最近、刑事公訴時効に関する議論がなされているように、「時効の壁」が厚かったことも見逃せません。
私は、一般犯罪について公訴時効を撤廃することは、無実の被告人の証明資料収集を困難にする意味で反対です(「無実」だからこそ、招来の起訴に備えて証拠を個人的に保全しておくなどという事態は考えられません。足利事件の菅谷さんがDNA鑑定で救われたのは、むしろ例外だったと考えるべきです)が、特別公務員暴行陵虐罪のような権力犯罪については、別異の扱いもすべきではないかと考えています。仮にそれ(公訴時効の撤廃措置)を遡って適用するとしても、多喜二虐殺の関係者が存命しているかどうかという問題にもなります。そして、相続人に対して可能な民事的な損害賠償請求については、請求権時効の壁が厚いように思います。
ただ、現行日本国憲法が、諸憲法例に比べて刑事被告人・被疑者の人権規定を多数もつこと、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」規定を持つこと(憲法第36条)の背景には、多喜二虐殺に象徴されるような、戦前の治安維持法体制に対する深刻な反省があることは、これからも、いくら強調してもし過ぎることはないと思います。