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一般投稿欄

「天安門事件と中国の政治的安定」の幡井さんに反対します。

2010/8/20 ハト 70代 自由業

 私は以前に投稿していたものですが久しぶりにまたお仲間にいれさせていただきます。
「天安門事件と中国の政治的安定」2010/5/29 幡井さんの投稿でした。
 1989年6月4日、スターリン主義政府と官僚の腐敗と反民主主義的な腐敗と横暴に中国の多くの人民が怒りを持っていたのであるが、北京,南京を中心にした各地の学生、労働者が天安門広場に連日のように結集し、その数が100万人に達したのでした。彼らの要求は民主化でした。そして非武装のデモだったのです。鄧小平を主席とする中国政府は二度にわたって人民軍によって弾圧をしたのですが、一回目の弾圧では学生と労働者に兵士たちが説得され失敗しました。兵士や警察官が殺されたことは民主化を要求する人たちが武装したことにはなりません。兵士や警察官は弾圧の側に立っていたから殺されたとして当然のことでしょう。
 鄧小平はその軍隊を更迭し地方の人民軍を弾圧に使ったのでした。その弾圧は過酷で戦車を並べて突入し天安門広場でテントに休んでいた人民をひき殺し、兵士たちは銃を水平に構えて労働者、学生にめくらめっぽうに撃ちまくったのです。ついに追い詰められた彼らは自分たちが作った「民主の像」の周りに集まったのです。そして弾圧者の呼びかけで抵抗をやめて天安門の東西南北のひとつの門に逃げ道を与えたのでみんなそこから逃げたのでした。いかにも人道的なポーズを示しながらもその鎮圧後天安門のデモに参加した人々を徹底的に洗い出し,投獄と処刑を数年にわたって行ったのでした。今は地獄に落ちたに違いない残虐なスターリン主義者鄧小平をそれだけでは許せない。
 私はこれを記憶で書いているのですが小さな記憶違いがあるかもしれません。
 この天安門事件では学生と労働者たち100万人はまったく武装などしていない平和的なデモと集会でした。死者が双方合わせて三百数十人、こんな中国政府発表の数字を信じる人がいるのが不思議なくらいです。虐殺された民衆は3000人とも10000人とも言われています。
 中国の資本主義復活路線は中国に資本家階級と労働者階級を生み出し革命の遺産はすべて葬られました。人民公社は解体され中国各地の農民が生きるために流民となっていくのでした。それは資本主義を復活させようとする共産党の思う壺だったのです。資本主義を発展させるためにはなんとしても労働者を農村から追い出さねばならない。つまり資本の本源的蓄積のうち最も重要な労働者からの剰余価値をどんどん吸収させねばならない。それは過酷な農民に対する収奪と追っ払いによって強制的になされたのである。
 そのようにして中国に生まれたはじめは小さな資本家がたちまち大きな資本を持つようになったのでした。その資本が膨らんだのはただただ農村から追い出された農民が労働者になる以外になく、その労働者たちからの搾取による以外に何があるでしょうか。生産力を高めるということがいったい中国人民にとってどんな幸せを招くのであろうか。一方に富める資本家と一方に莫大な数の自分の労働力以外に何も持たない労働者階級を生産する以外に何がるのだろうか。労働者たちの現状については今ここで述べることはできないが、共産主義とは資本制社会を否定することにあるのですから、中国共産党はマルクス主義とまったく対立する党に成り下がったのです。
 このような鄧小平路線を支持するものが日本共産党の周辺にいること自体が目も当てられないことです。それは日本の企業が中国から資源と労働力を搾取、収奪し中国に広大な市場を持とうとする資本家の露払いの役割をするものでしかないと考えるのです。