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「資本論」読了

2010/8/20 ハト 70代 自由業

 長かった雨の間に死ぬまでに読み終えたいと思っていたマルクスの「資本論」読了できた事は幸いです。
 この本は労働者階級のバイブルと言われてきたのですが、上下二段、600ページの大冊でマルクスが全生命を打ち込んで書いたものであるだけにどの一行も読み過ごせないが、資本主義を根底から解明するという困難な仕事なので抽象的な部分が多く非常に難解でした。
 73歳、まだ耄碌していないらしいし、知識欲も衰えていないあるのは幸いです。
 20歳代から何度読みかけて投げ出したか数え切れないのですが、ともかく死ぬまでに読みきれてよかったと思います。
 さて「資本論」の中に 私の好きな箇所がいくつもあるのですがひとつだけ紹介します。

 「資本制的生産形態が廃絶されれば、労働日は必要労働に制限され売る。とはいえ、必要労働は、その他の事情が同等不変ならば、その範囲を拡大するだろう。けだし一方では、労働者の生活上の条件が豊富となり、彼の生活上の要求が大きくなるからである。他方では、今日の剰余労働に一部分は必要労働、すなわち、社会的な予備元本および蓄積元本を獲得するために必要な労働に参入されるであろう。
 労働の生産力が増大すればするほど労働日は短縮されるのでありまた労働日が短縮されればされるほど労働の高度は増大されうる。社会的に考察すれば。労働の生産性は労働の節約によっても増大する。労働の節約は、生産手段の節約を含むばかりでなく、あらゆる無用な労働を避けることをも含む。、資本的生産様式は、各個の事業内では節約を強要するが、社会的な生産手段および労働力の無際限きわまる浪費、ならびに、今日では不可欠だとはいえ余計な無数の機能を生み出す。
 労働の強度と生産力が与えられておれば、、労働がすべての佐合能力ある社会成員の間に均等に配分されればされるほど、社会的労働日のうち、ある社会層が労働の自然的必要をまぬかれて他の社会層に転嫁することができなくなるほど、社会的労働日のうち物質的生産に必要な部分がそれだけ短縮され、隠して個人の自由な精神的および社会的活動のために獲得される時間部分がそれだけ増加する。労働日短縮のための絶対的限界は労働の一般化である。資本主義社会では、一階級にための自由な時間が、大衆のすべての生活時間の転化によって生み出される。」

 社会主義化ら共産主義への過程にはこのような事になる。この時代に反対するのは資本家のみであろうはずなのに、なぜ日本共産党は資本主義を存続させようとするのだろうか。