投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

政局雑感─田村秋生さんへ─

2010/9/3 原仙作

 田村さん、お久しぶりです。
 田村さんへのお返事に何をどう書くべきか迷うところなのですが、取り急ぎ、今の政局への雑感ということで感じているところを書いてみます。
 ご承知のように、小沢の立候補に関しては小沢周辺に菅の自滅を待つべきだ、来年の3月頃には予算関連法案の成立をめぐって菅が立ち往生するはずで、それからでも遅くはない、という有力な主張がありました。権力闘争の戦術としてはそれなりに「賢明」な判断だと言えたかもしれません。
 しかし、小沢が「政治と金」という攻撃を党内外から受けることを承知で9月の代表戦に立ったことは、小沢の政治信念の”所在”を証明するものとして私は評価しています。どういうことかと言えば、「賢明」なその戦術には来年3月までの国政を黙って見過ごしていいのかという重要な弱点があるからです。私が「小沢立つべし」と不慣れな「檄」を飛ばした理由です。
 むろん、小沢はその政治経験から権力闘争の攻防をめぐる他の諸要因も検討したはずですが、9月に立つという結論に行き着いたことは自らの政治信念を優先する政治判断をしたのであろうと推測するわけです。

 ネット上の議論を見ると、旧左翼・リベラルとでもいう人たちの多くは自民党時代の小沢の印象が強く、小沢嫌い乃至は小沢アレルギーに引きずられた議論をしていて、小沢の政治行動の一切をそのアレルギーの”教唆”するところに従って解釈するという赴きがあります。
 日常生活では人は変わるものであるという経験をしていながら、小沢に関しては自民党時代と変わらざる人物であるという牢固な判断が前提に置かれています。
 おそらくは、そうした判断のさらに前提には「階級対立の非和解性」とでも言うべき認識があって、庶民とは異なり支配階級の中枢にいた人物の変化など限界があり、その限界を越える政治行動はウソか見かけ倒しだという「堅固な思想」があります。共産党の幹部連などは、そうした考え方の典型例でしょう。
 私は帝国主義戦争の時代のように、階級的利害の対立が血で血を洗う戦争に帰結した時代とは異なって、現代では人はそれぞれの階級に属するとはいえ、個人は容易に階級の相違を乗り越えていける時代に入っているのだと考えています。そういうわけで、一般的な意味で現状の分析が必要だという以上に、過去ではなく現在を重視し、それぞれの人物がどういう政治行動をとっているかを虚心坦懐に研究・評価してみる必要があり、古い政治図式に現実を押し込んで解釈していては現状を見誤ることになると思っているのです。

 おそらくは、菅政権のボス格である仙谷は「政治と金」の重しをつけられた小沢は立候補できないはずだと予想して小沢徹底排除の手段を行使してきたのであって、そのことは小沢立候補表明後の選挙回避のための狼狽した菅の画策ぶり(鳩山仲介の要請)を見ても明らかなように思うのです。言わば、菅・仙谷らは自分らの”保身と上昇志向”の物差しで小沢を測ってしまった。
 彼ら3人衆を過去の左翼的出自から「左翼政権」と呼ぶ自民党幹部もいますが、保守を出自とする小沢の出処進退と左翼的出自を持つ菅・仙谷らの”あざとい”画策ぶりをみるにつけ、人としての生き様の差に慄然とせざるをえないような気持ちになり、改めてその人物の過去より現在を見ることの重要性が痛感されるのです。

 9月1日の代表選立候補表明で、小沢が参議院選の敗北を指摘したところ、菅は選挙結果は「ある意味で天の配剤だ」という主旨の意味不明な発言をしています。文字どおりに「天の配剤」と解釈するならば、その民意を受けて菅は総辞職しなければ理屈に合わないのですが、その前後の菅の言い草から文意を読み取ると、与党が脆弱である方が、与党の暴走を防ぎ正しい政治判断が行われるという意味になります。それが菅の言う「天の配剤」という意味であり、何と参議院選に負けたことが正しい(天意にかなっている!)という珍妙な話になっています。
 菅が負けたことが正しいと言うのは、その潜在意識の一端が思わず口の端に登ったようで妙にリアリズムがあります。この「天の配剤」は私の記憶にある菅の唐突な消費税増税論議に結びつきます。
 菅政権は民主党マニフェストで暴走したどころか、何もしないうちに”転んでしまった”のですから、菅によって想定されている与党の暴走とは鳩山政権のことなのだと解釈すると、菅の珍妙な話も氷解するのです。すなわち、この「天の配剤」とは旧勢力の「希望」なのです。彼らは衆議院選における民主党マニフェストの暴走を恐れており、何よりも民主党政権の脆弱化を願っています。

 菅は総理になるや、すぐさま自ら”転んだこと”を示し始めたのですが、旧勢力と手を握った時、どういう”踏み絵”を迫られたかと想像するに、単なる口約束では済まされなっかったはずです。おそらくは参議院選で消費税増税を打ち出すことが”踏み絵”となったのでしょう。口約束だけで菅の支持率を高めては参議院選で民主党が過半数を占めた後に菅に約束を反故にされた場合、如何に反菅キャンペーンをマスコミにやらせようが、政治主導による衆議院選の民主党マニフェストは粛々と実行され世論の支持も安定することになりかねないわけです。言わば、旧勢力は菅に「食い逃げ」される虞があった。
 そこで、消費税増税という”踏み絵”を踏ませれば、仮に菅が勝てば財務省の宿願である消費税増税路線が敷かれることになり、負けた場合でも民主党政権は参議院で過半数割れですからマニフェストの実行は困難になり、菅更迭後の総理に誰がなるにしても6年を越える衆参ねじれの地獄がまっているという具合です。こうした旧勢力の”踏み絵”とそれがもたらすであろう結果を「天の配剤」と言ったものと解釈することは、あながち根も葉もない浮き世話ではなさそうなのです。
 菅もそれほど馬鹿ではないから、世論調査で増税やむなしが増えたとはいえ、消費税増税が歴代内閣の鬼門であったことぐらいは知らないはずがないのであって、旧勢力と手を握って長期政権をめざすにはやむを得ない選択(博打)、関門であり、その結果は「天の配剤」であると勝手に観念していたのでしょう。

 ことほど左様に一国の総理となる人物を簡単に”転ばす”ほど旧勢力の「力」はまだまだ強いという現実があります。この「力」はさしあたって、マスコミの反小沢キャンペーンに深く影響を受けている世論に根拠を置いていると言えるでしょう。この世論を変える力を小沢派が持たないうちは小沢独立党は結党と同時の世論にそっぽを向かれる可能性が大きく、時期尚早の感があります。
 民主党内小沢派は150人ほどで民主党内でも過半数を占めているわけではなく、政界全体では1/5の勢力にすぎず、しかも「鉄の規律」もあるわけではなく独立党ということになると多くの「落ちこぼれ」も生まれます。しかもその小沢党が核になって政権を作るにしても連合政権となるのは必定で、そこに参加してくる雑多な勢力をまとめなければならず、そうすると現状とあまり変わらない事態が再現することにもなりましょう。
 民主党はすでに政権党なのですから、独立党よりもまず、政権の中核としての多数派形成をめざすべきではないでしょうか。多数派を掌握すれば、右派も政権党の頭数としてはさしあたって政権党への貢献者です。そして、『国民生活が第一』という理念に従った政策をねばり強く追求しつつ党内を”揉む”ことを通じて多数派を強固にする一方、反多数派(右派)をより少数派に追い込み、その過程を辛抱強く国民に開示し、民意のさらなる覚醒(多数派形成)を待つ。
 日本の政治の進路に立ちはだかる最重要政治課題が誰の目から見ても明確になり、それをめぐる民意の多数派形成がなるまでは、分裂も排除も時期尚早の方策だと思うのです。
 そのうえ、なぜかその理由はわかりませんが、戦後日本の政治史を振り返ると、政党の純化路線はすべて失敗に終わっています。このあたりの経験も十分に熟慮されるべきではないでしょうか。