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いろいろある護憲のやり方 ─はとさんへ─

2010/10/1 原仙作

はとさん、はじめまして。
 はとさんは私と櫻井さんへ以下のような質問をしています。

「桜井氏は菅直人に失望し、小沢に期待をかけていますが、小沢が改憲論者である事を忘れたのでしょうか。又数年前に自民党との大連合を福田元首相と画策した事を忘れたのでしょうか。
あなたはそれなのに護憲といっていますが、改憲主義者小沢を担ぎながら護憲は何の矛盾もないのだろうか。その定見のなさにはあきれます。原 仙作氏もまた小沢立つべしと投稿されたが残念ながら敗れました。
お二人に同じ疑問を提出します。」

 はとさんは「お二人に同じ疑問を提出します。」とありますが、私への「疑問」とはどういう内容なのでしょうか? 私の理解力に問題があるのかもしれませんが、「小沢立つべし」と主張して小沢が代表戦に敗れたのだから、私の「立つべし」という主張は誤っており「その定見のなさにはあきれます。」ということなのでしょうか?
 仮に、このように理解するとしての話ですが、代表戦に立候補して負けたからといって、負けを小沢の立候補が誤っていたと主張する論拠にできるのでしょうか? 
 小沢自身は立候補表明直後の記者クラブ主催の討論会で、「時として、負けるとわかっていても勝負しなければならない場合がある」と言っていましたが、勝敗だけで立候補の正誤を決めるわけにはいかないのではありませんか? 

 しかし、はとさんの文章から私が感じるところでは、護憲派たる者(私)が改憲派である小沢に「立て」というのは誤りで「矛盾」だ、ということをはとさんは主張したいのでしょう。はとさんの主張の本意はこちらにあると私は理解しています。
 そこで、こちらのほうについて私の考えを述べてみます。口先で護憲というのは簡単なことで、口先で護憲と叫んでいれば自分が護憲派であることが証明されていると考えるのは単純な錯覚にすぎません。問題は口先の護憲ではなく、護憲のための”実効”ある運動や政治戦術(特に国政上の)を実行しているかどうかということです。この基準でみれば、国民投票法を強行採決し改憲スケジュールまで描いた自民党の安倍政権を崩壊させ、事実上、安倍の改憲スケジュールを頓挫させた功績は小沢民主党にあります。

 その間、残念なことに護憲派の本家筋である共産党は国政選挙で相継ぐ後退を続け、小沢民主党と比較して護憲の功績をあげることはできていません。これが安倍政権以来の政治が示した現実ではありませんか? 小沢や鳩山という改憲派が護憲に貢献し、護憲派の本家筋が国政上ではほとんど政治的に無能力な姿をさらしている、というのが現実だと思うのです。
 このように、政治現象は一筋縄ではいかないもので、護憲派はこの指とまれ、その他は悪よりいずるなり、というような共産党指導部の上っ面の整合性、型にはまった思考方法、ステロタイプ化した判断では、国政上の実効ある護憲戦術を期待できそうもありません。したがって、護憲派だからと言っておいそれと共産党を支持するわけにもいきません。

 70年代のように、社会党と共産党で衆議院の1/3超を占めていた時代は、護憲派=社・共支持、あるいは社・共支持=護憲派という等式が”社会的”に成立しており、護憲派の庶民は安んじて社・共支持を表明すればよく、自民党内の護憲派的勢力に目配りする必要はありませんでしたが、今日ではすでに社会党なく、共産党も70年代の1/4の議員数ではこの等式は成立しなくなりました。
 具体例で言えば、共産党は民主党政権への政権交代に反対したこと思い出せばいいのではないでしょうか。共産党は「同じ穴のムジナ」論から反対しましたが、現実の政権交代は共産党指導部が考える以上に広範な政治的変化をもたらし、改憲スケジュールを大きく後退させたと言えるでしょう。その意味で共産党は「護憲、護憲」と言いながら、国政上では言っていることとやっていることに齟齬が生まれています。
 こういうことになると、護憲のつもりで共産党に一票を入れても、護憲に有利な政治状況をつくり出すどころか逆の政治的結果しか生まれないということも起きてくるわけです。
 また、大手マスコミによる検察と結託した小沢批判(「政治と金」)についても共産党はろくな検証もせずにマスコミの尻馬に乗り、事実上、政権交代の妨害者の役割を果たしましたが、今では証拠をねつ造する特捜検察の問題が大きなニュースになる事態となっています。

 政治の変化についての構想力や想像力、あるいは権力闘争をめぐる”暗闘”への洞察力は政治戦術を編み出す政治指導者の能力の問題で、党の綱領に解答があるわけではなく、既知の理論や古典解釈、政治図式が教えてくれるものでもなく、それだからこそ、指導者の責任を明確にしてすぐれた指導者を選別し育てるべきところでしたが、ここらあたりにも、その組織体質とは別に共産党の政治的後退の大きな原因があります。

 私が「小沢立つべし」と言ったことを護憲という問題に引き寄せて説明すれば、その政治的実効性という観点からのものです。むろん、「小沢立つべし」は直接的には民主党の代表選の問題であり、この主要な側面からすれば、政権交代の民主党マニフェストを実行し国民との約束を実行することが民主党の生命線であり、それを反故にしようとする菅政権への対抗馬が出ないということはあってはならないことだと思ったからにほかなりません。
 負けたとはいえ、代表戦に立つことによって小沢はその政治生命を確保し、民主党は国民との契約(マニフェスト)・期待をかろうじてつなぎ止めたと言えるでしょう。菅政権の現在の”ていたらく”があったにしてもです。共産党のように一枚岩でないことが民主党の救いになっています。
 代表戦という形をとった党内闘争は小沢支持派議員に好影響を与え、彼らを党派的に鍛え、党を活性化させるでしょうが、護憲派の本家筋である共産党は「綱領に立ち返ればすべてが解決する」というような主張をして、ますますカルト的傾向を強めているようで、この両党はますます対照的になるという印象があります。