第五検察審査会による再議決で小沢が強制起訴されることになったが、大手マスコミの論調は同一で小沢の議員辞職を求めている。これまでの小沢バッシンブぶりからすれば当然予想されたことである。しかし、既得権益勢力として国家官僚・検察となりふり構わず手を握ったマスコミの主張を受け入れる必要はない。そのねらいが小沢の政治生命の抹殺だからである。
小沢は離党も議員辞職もしないと宣言したが、その方針はまったく正しい。
離党して”粛々として”裁判闘争に邁進すればいいという意見があるが、この意見はこの裁判が通常のものではなく、既得権益勢力とその手兵によって仕組まれた”政治謀略”であることを見落としている。元小沢秘書の石川が1年以上も前に検察官から、小沢は審査会で起訴になると恫喝されたことや再議決が民主党代表選が行われた同じ9月14日であったことを見ればわかることである。
離党、議員辞職では何年か後に仮に裁判に勝っても、その時には政界もマスコミも裁判結果を無視するであろうし、それ以上に、静かなる裁判闘争では有罪になる危険性が高くなる。最良の結果でも、得られるのは小沢の個人的な名誉回復に過ぎない。
小沢のとるべき行動の核心は、政局の一震源地としての位置を確保し続けることである。これが小沢の政治的影響力を確保し裁判に勝利するための絶対条件である。小沢を陥れた政治勢力の頼りとするところは”つくられた世論”なのであるから、これを粉砕しなければ小沢の復権はない。
したがって、この世論の粉砕のためには小沢の一挙手一投足に世間の耳目を集め、国民が否応なしにそのニュースを耳にし、事態を考えざるを得ないようにしむける必要がある。ここ1年半のマスコミによる小沢バッシングがマスコミ論調への疑惑を国民の間に植え付けたことに注目するべきである。代表戦における党員・サポーター票がマスコミ世論の言う8対2ではなく6対4の割合であったことも忘れてはならない。
世論の耳目を集め続けるという見地からすれば、ネット上に掲載された宮崎学のアドバイスは有益なものであり参考にするべきである。これまでの経過からみても則定のような「ヤメ検」弁護士はまったく不適当、大金を払っても役に立っておらず”野戦”には不向きであるから更迭したほうがよい。 ”粛々として”裁判闘争に突入するのではなく、審査会の再議決が審査会法にも反する無効なものであることを訴えることからはじめ、新手の行政訴訟を含めてあらゆる手段を駆使して審査会議決の不当性をアピールすることである。それらの行動はそのまま民主党執行部の小沢処分を牽制することにもなるであろう。
世間の耳目を集め続けるという見地からすれば、小沢の苦手とする世間へのアピールは欠かせないものであって、証人喚問であれ、なんとか委員会であれ、どんどん出ていって無実をアピールする必要がある。代表戦への出馬が”小沢コール”を生み出したことを想起するべきである。
さしあたっての問題は、民主党執行部による小沢処分であるが、これはあらゆる手段で阻止しなければならないだろう。検察が二度にわたり不起訴にした事案で処分するのかと迫り、小沢支持議員に大いに動いてもらうことや、不当処分には党を割る姿勢さえ示すことを含めて、その辺の所は小沢が熟考しているであろうが、遠慮せずに支持者であれば誰にでも最大限の支援を要請することである。
もはや、小沢の”手勢”だけでどうこうできる事態ではなく、広く打って出るほかない段階である。小沢支持の党員・サポーター、そして小沢支持の庶民の出番がやって来ている。24日に小沢支持のデモが行われるようであるが、最初が肝心で、奇想天外なアイデアを駆使して、できるだけ多くの市民が参加することを期待したい。
蛇足だが、共産党が相変わらず小沢の「政治と金」と騒いでいるようであるが、もはや論外の主張であり、マスコミ世論と合唱すれば票が減ることを参議院選から学ばなかったようだ。
これがわからないのだから、”深き反省”を自賛する「二中総」も小手先細工のものに終わるわけである。電話による「日報」体制を廃止しても「支部が主人公」の党活動が生まれるわけではない。その他の「対策」も大同小異である。
なんと言っても、他党の政治家への政治弾圧であるとはいえ、その弾圧がわからず、おそろしく鈍感なのは致命的であり、共産党指導部が革命はおろか政治革新を担う能力を”本質的に”持っていないことがよくわかるのである。