下関条約の内容は以下の通りです。
1朝鮮の独立の承認、旧来の朝貢・冊封の伝統の永遠の廃止
2遼東半島、台湾、澎湖諸島の譲渡(後に遼東半島は返還)
3賠償金
4西欧並みの通商特権=日清通商航海条約
5沙市、重慶、蘇州、抗州の新たな開港
注目すべきは、二条の領土の譲渡で、一切尖閣諸島の問題が触れられていない
事です。
日本(琉球を含む)も中国もかなり昔から、航路上の目標、航海日誌、航路図、
旅情を讃える漢詩などで尖閣諸島の島嶼の名前が登場している。
しかし、領有を主張するためには、発見や歴史的事実だけでは不完全で、
1領有の意思
2実効支配
の二点が不可欠である。
1880年代後半には、古賀辰四郎が事業を開始している。(実効支配)
これを1894年8月1日に宣戦布告した日清戦争と結びつけるのはいささか無理が
ある。
あなたは、1920年5月20日の中華民国駐長崎領事の中国漁民救助に対する感謝に
「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されているのをどのように評価しますか。
中国は江戸時代の地図を根拠に領有を主張しているが、花瓶嶼、彭佳嶼、大正
島などで同じような問題を含んでいるので、この主張にも無理がある。
逆にこれを根拠に日本の領有を主張する事も馬鹿げている。
尖閣諸島では中国はよく大陸棚の問題も持ち出すが南沙諸島の問題では、東南
アジアの大陸棚に含まれるので、ここでは大陸棚の問題は避けている。
つまり、同じような問題を、不利か有利かで使い分けているのだ。
だいたい中国は、1970年代に尖閣諸島付近で大規模油田の可能性が言われるま
で、尖閣諸島の領有は全く主張してこなかったのではないだろうか。