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風来坊様に簡単な反論

2010/12/7 はと 70代 自由業

1894年
7月:朝鮮を巡る対立から日清戦争が勃発。
12月15日:標識建設について、「島は別に従来何れの領土とも決まっていない。 地形上沖繩群島中の一部と認めるべきは当然の義」として、閣議提出が上伸され た。
1895年
1月11日:外務大臣・陸奥宗光は、内務大臣・野村靖に国標を建てることに同意 すると伝える。
1月14日:日本政府が尖閣諸島の沖縄県への編入を非公開の閣議で決定し、正式 に日本領とした。しかし、この決定は尖閣諸島を今まで領土と主張した国がない ことから周辺国には特に伝えられなかった。
だから正式には尖閣列島が日本領とされたのは1895年1月15日であり日清戦争 の期間です。しかも周辺国には伝えられなかったのであるから剽窃でしかないの です。
 尖閣列島がまだ日本領とたとえ勝手に捏造したとしても日本政府が認めていな い1880年代後半に、古賀辰四郎が事業を開始しているのを国が認可しているのは 強引に中国に日本領として既成事実を作って事後承諾をさせるためのものです。
 するとこうなります。風来坊様の反論の根拠がないということ。

したがって尖閣列島(釣魚台)が中国領であるという私の主張にまったく 反論できていないのです。