「日本の政治は今どんな地点に立っているか」、今回の赤旗祭りでも不破さん
は講演した。
だがそれは、ますます大預言者めいた言い回しになって、まるで「神の国は必
ず来る」という現代の神話のようなものだ。
今は苦しいが、この世は必ず消滅する、辛抱が大事だ、負けても負けても屈せ
ずに、信心を怠るな、と不破さんは語っている。
叱咤だけでは、疲れきり落ち込んでいる熱心な信者(党員)には嫌がられてしま
うから、革命的楽観主義の話などもしてお茶を濁す。幾つかの「科学的」データ
も出す。そして、それを分析して見せる。このあたりの手口は、新興宗教とどこ
が違うのかと思わせるほどだ。
はなから教義(綱領)は間違っていないんだ、と言うのでは、あとは精神訓しか
言うことはない。「がっかりするな」、「国民はまだ成長しきれていない」「問
題は、我々の側にあるのではない」。
現実社会に何事かを成し遂げるはずのアタリマエの国民政党なら、後退の責任
を国民の成長のせいにしたりは出来ないし、しない。
まして、対立政党とは批判しあうものであり、自分が批判するのは棚に上げ
て、負けるとその原因を他の党の批判(攻撃)のせいにするのは、もうやめた方が
いい。
敵失やブームで多少議席が増えたときは綱領に基づく政策が国民から支持され
たと滔々と述べた不破さんだが、相次ぐ後退時には、綱領や政策には口をつぐみ
責任転嫁する。それでは「綱領が国民の中で響きあっている」=この綱領は正し
い、などと言っていたことが、何の意味も無いことを自認したに等しい。
この地上に天国が造れると彼は信者に言う。その上、今はまだ「この段階なの
だ」、だからあせるな、くじけるな、我々の導きを信じてついて来いと。
紛れも無く詐欺だ。なぜなら、教義(綱領)からは、とっくに、やがて来るべき
天国(社会主義革命)の規定は、彼の手によって消し去られているからだ。一揆の
戦闘部隊(前衛)という定義も既に無い。不破ご夫妻は、とうに、天皇晩餐会にも
出席している。
しかし、教団の中では、そうではない。かつての教祖の教義は生きている。
理由はひとつ、「民主集中」という、信者が、上部をひたすら信じて従うとい
う仕組みを温存したいからだ。これさえあれば、教団幹部に貢ぐ従順な信者を、
当分、手放さずにすむ。貢がれる頂上の特等席を、みすみす放り投げはしない。
広大な敷地に、お屋敷と「研究所」と言う名の別宅。専用車と運転手、専属料
理人まで、すべて党の経費ですむのだ。
まさに新興宗教の教祖様そのものだ。ただ、世襲二代目とするのか、下克上ゆ
えの初代なのかは分からないが。
米原万理さん、井上ひさしさんなどが渾身で書き下ろしたように、おしなべ
て、レーニン型前衛党が描いて来た「社会主義論」は、紀元前から多くの人々が
夢見て来た理想社会を指す言葉である社会主義を、陳腐な権力闘争に打ち勝って
独裁権力を私するための道具として利用したものに過ぎない。
様々な社会主義論が、人間の生きる希望、人類の未来へのともし火として存在
していたが、自らの社会主義論以外は「邪教」,「悪魔の手先」として、徹底し
て弾圧、排斥し、卑劣なクーデターを経て、絶対権力として独裁を打ち立てたの
がレーニンだ。
だから、中世とほぼ変わらない強烈な暴政と専制の爪あとを20世紀年表にくっ
きり刻みつけて終焉を迎え、そのことで、未来社会論に夢を託して来た多くの善
意の人々に、強烈な失望を与えた。そして、20世紀は、これを断罪、否決し、人
間への巨大な教訓として幕を閉じた。このことは、善意から希望を託した人々に
は本当に気の毒なことなのだが、紛れも無い事実。
多くの党員には、一刻も早く、そのことに気づいて欲しい。
「夢見た人々」とは、今風に言えば,心の通い合う共生社会を願う人のこと。
もしくは、そこから更に一歩進んで、レーニンを、日本共産党の幹部たちを率先
して信頼して行動し、自己犠牲を厭わなかった、小林多喜二などに代表される党
員、支援者などのこと。
今、問題にしなければならないのは、多くの、善意の、献身的人々を、私利の
ために、いまだ振り回し続け、自分たち以外は間違っているんだと信じ込ませ、
社会を進歩させようと考える国民の中に、愚にもつかない「理論」で分断を持ち
込み、結果として、社会進歩にクサビを打ち込んでいる幹部たちである。
あれは反動だ、彼は反動の回し者である、敵に身を売り渡した階級敵である。
今の教団(党)は機関紙上では表現を和らげているが、幹部や、それにつながっ
て、こぼれ落ちる利を私物化している中間幹部(末端で誠実に働く民主団体の職
員などではなく、そのなかの一握りの幹部たち)は、本欄の広田さんの投稿にも
見るように、その本質は、いまだ変わらない。「革命的闘士」であったり、「革
命的理論家」、「上意下達の民主集中制に忠実」であることを上手に装うこと
が、その世界の出世の論理になっている。まさに東欧、ソ連型の党幹部であり、
そのベルトである「民主団体」の幹部なのだ。だから共産党は、東欧などの独裁
権力を市民が打ち倒したことを決して「市民革命」として評価しない。反面、国
民に国政などの基本的選挙権すら与えず、資本主義顔負けの貧富の差で独裁資本
主義路線をひた走る中国共産党とは「気持ちの良い和解」をした不破さん。
中国共産党から社会主義の大先生として迎えられ、幾度も講演旅行をしている
不破さん。それを「不破さんは現代のマルクスだ」とはやし立てる党幹部たち。
私は、本欄投稿の、広田さんの誠実さあふれる疑問と心配には心から共鳴す
る。だから是非、知って欲しい。既に、これまでも多くの除名、除籍組が同じよ
うな道をたどり、今は、国民の中のどこかで、現実の国民たちと、決して勇まし
い革命用語などは使うことなく、人を「進歩」と「反動」、「体制派の回し者」
などと色分けすることも無く、少しづつ社会進歩の階段を一緒に上ろうとしてい
ることを。レーニン型の独裁と異論敵視・抑圧・排除方式では、決して人間は、
人間の理想社会への階段は上れないのだ。