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管理社会から自治社会へ

2010/12/23 灯台守

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/MYBLOG/yblog.html 表題の「管理社会から自治社会へ」は、以前、私がgooブログで書いて居たブログ名です。nifty cocologで「未来社会」を書いていました。(現在は廃止しました。)新しいHPを来年度辺りから書く予定です。上記、URLは「新ベンチャー革命」氏の12月23日の記事です。ロスチャイルドと共産ソビエトとの関係を論じて居ます。

私は現在、日本文化の“感性文化”に付いて研究して居ます。比較文化としてヨーロッパ文化を研究する中で、科学と哲学との生い立ちの違いを見つけて居ます。HPでは此の事と科学の非決定論性、歴史を“人類文化史”として、全自然科学を用いて構築すべきだと、主張する積りで居ます。既に、yahoo blog「感性文化」に於いて論じて来ました。

年月の経過と共に綻びが目立つと感じて来ました。来年度から新規にHPを立ち上げ、内容も再構築する積りで居ます。その中で、民主党石井コウキ氏に付いても触れる予定です。氏は刺殺され他界されて居ます。鳥越俊太郎氏とのインタビューの前日に刺殺され、有能な頭脳が失われました。氏はソビエトと日本の社会が非常に似ている点に付いて示唆されて居ました。其れは、私的には“管理社会”と言う点です。

私の研究では、民主社会には自治社会が良く似合うと言う解釈です。日本社会が明治以来作り上げた“天皇の官僚”と言う制度が、偶然?共産主義社会の管理人、テクノクラートと良く似た制度を作り上げて来た事です。

ロスチャイルド等金融寡頭制人、ビルダーバーグ会議グループ、CFR、三極委員会、ダボス会議等の人達はどうやら共産主義社会がお好きな様です。其れは共産主義社会が“管理社会”である為ではないでしょうか。

人類を管理しょうと考える人々は、管理社会である共産政権は大いに結構な事でしょう。自ら進んで管理されたい、人達の集団だ作り上げられるのですから。

不思議と日本には自治社会の片鱗が残されて居ました。皆様良くご存じの何処にでも有る都市の“自治会”です。農村では“寄り合い”です。江戸期には“村法”が残されて居ます。農村の存在は一揆、打ちこわし、国一揆などの記録が有り、それ以前の文字記録は有りませんが、大化の改新で定められた“公地公民制”は早くから解体されて居た様です。此れは農村の自治社会が根強く、公地公民制度が根付き難く、私有化(集落毎の私有化)が進んだ結果ではないでしょうか。

推測ですが、此の集落は縄文以来かもしれないと考えて居ます。民主主義社会で、政府のトップが選挙で選出され、置き換わったとしても、政府政体自体が民主政体に置き換わったものではないです。民主主義には自治機構が良く似合う、と言うのは其の点から考えられています。先ほど、不思議な事にと言いました。歴史的自治組織は中国大陸にも、ヨーロッパにも無かった様に見受けられます。多分ないでしょう。

余分に継ぎ足しますと、科学法則と言うのは神の法則と同列です。決定論でも有ります。此れは、弁証法的唯物論、史的唯物論と同じく“言葉”の“論理”から成り立って居ます。弁証法と言うのは論理、因果関係を指摘した論理です。共産党的解釈では発展の法則と言います。言葉の論理です。

現代社会では、小沢一郎の主張する不完全な日本の自立こそ、アメリカからの自立出来る方法論です。官僚支配の実情からマスコミ情報(TV、新聞)はコントロール(戦中の大本営発表と同じ。)されて居ます。戦後以来、日本の社会はステルス支配下に生きて居ます。多くの国民財産がむしり取られて来ました。日本の戦中戦後史は再構築する事が必要です。未来社会には“論文?感性文化”(更なる研究が為されて行く事が必要。)は大変役立つものと考えて居ます。灯台守。