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はとさんの議論の前提に落とされているもの

2010/12/26 樹々の緑

 はとさんの、私への「反論」と題する2件の投稿を拝見しました。

 第1の投稿について言いますと、ご指摘の3つのURLを参照してみました。
 私が原稿を仕上げた12月14日の1~2日前のグーグル検索では、「裏辺研究 所」のサイトはヒットしなかったらしいですが(というのは、私は出てくる最初 の3ページくらいを参照したので)、今回はおっしゃるとおり最初のページに ヒットしましたので、そこで「日清条約」という呼称が日清講和条約(下関条 約)を指す言葉として使われていることは分りました。

 しかし、これは反論になっていません。私の論理を、はとさんは理解する ことができないか、あるいは、意図的にねじ曲げているかとしか考えられない のです。
 というのも、はとさんが「反証」としてあげられる事柄は、私の12月14日付投 稿中で「ちなみに」と引例している部分に対するものに過ぎず、本体の「近代国 際法以後、国家間の条約の中でも『講和条約』だけは、戦争を終結させ多くは領 土画定条項を含む合意規範であるという性格から、特別の地位を与えられてきま した。それを呼ぶ場合に、ヴェルサイユ条約、サンフランシスコ条約など、『講 和』という文言を省略して呼ぶことはありますが、それらは多くが条約が調印さ れたり講和会議が開かれたりした土地の名前であって、講和当事国名を冠して呼 ぶ場合に『講和』を省略する慣習はありません。」という部分に対するはとさん の見解は、何ら示されていないからです。
 この、「裏辺研究所」と自称するサイトの「所長」の経歴を見ても、この人が 国際法の専門的勉強をした上でこんなラフな用語法をしているのかどうか、よく 分りません(立教大学法学部を卒業したとはありますが)。
 そういう方が、何でも書けるインターネットのホームページ上に、日清講和条 約のことを「日清条約」と書いているからといって、どうして、国際法規範であ る講和条約を指す言葉としてそれが適切であると言えるのか、はとさんはこの点 に正面から答える義務があります。

 次の、国立公文書館アジア歴史資料センターのホームページにある「1905 年12月22日満州に関する日清条約締結」と、3番目の「都築尚子」さんの執 筆らしい原稿の中に出てくる「日清条約」という言葉は、はとさんがカップめん さんへの投稿中でいわれた「日清講和条約。略して日清条約でいいでしょう」と いう言葉で指している下関条約のことではありません。これは、一般に は「満洲善後条約」と呼ばれているものであり、その締結日時を見れば、下関条 約でないことは明白だと思います。現に、はとさんがリンクを貼ったページにあ る、国立公文書館アジア歴史資料センターによる条約内容の注記に、「日露講和 条約により、中国東北部のロシア利権が日本に譲渡されましたが、この条約はそ れを清国に承認させたものです。この資料はその全文です。」とあるではありま せんか。また、都築氏の原稿の本文中でも、その第16段落に「しかし、この条 件もあってないようなもので、戦後日本が清国と無理矢理結んだ『満州における 日清条約』(北京条約)では、既定事実の他にもさらに多くの利権を提供させら れた。」とあり、はとさんがいっている条約のことを指しているのでないことは 明白です(これらの引用中「日露講和条約」とはいわゆるポーツマス条約のこと であり、「戦後」とは日露戦争後という意味です――樹々の緑註)。さらに都築氏 原稿の第6段落には、「一八九五年下関条約が調印によって、日本へ軍 事賠償金二億両(約三億円、清国の歳入の約二年半分)を七カ年以内に払うこ と、旅順・大連を含む遼東半島を日本に割譲する事などが決められた。」(太字 は樹々の緑が付す)とあり、都築氏はこの点ではとさんの見解を支持するどころ か、はとさんの見解を否定する記述をしています。

 このように、はとさん自身が引用されているページの中の記述でさえ、はとさ んの主張を裏切っているのに、堂々と引用してあたかも根拠があるようにいう、 そうした議論への姿勢を改めないと、誠実な議論にはならないと申し上げている のです。ただ、もしかしたら、あなたは、私が指摘していること自体を理解でき ないでいるのかも知れないので、そうなると「姿勢」の問題ではなくなりますか ら、それで冒頭に、「私の論理を、はとさんは理解することができないか、」と 先に書いたのでした。

 次に、はとさんの第2の反論についてですが、12月14日付の私の投稿では少し 端折ってしまったので、説明を加えます。

 井上清氏が「歴史学者ではあっても国際法学者ではない」といわれているの は、議論の構築の仕方が間違っている――つまり、内容について異論があるわけで はないということです――からです。
 はとさんが参照したといわれている井上氏の論考(私も、巽良生氏のサイトに ある論考はザッと読みました)では、「尖閣諸島(釣魚台諸島)が中国の歴史的 領土である」ということを、明代、清代の琉球冊封使の往復の記録などから縷々 論証しようとしているのですが、大事なことは、その論証が近代国際法にお ける領土確定の議論でどのような意味を持つのか、という一点にあります。  井上氏があれだけの精力を使って緻密に論証しているのに、冷淡な反応しかさ れていないのは、結局、この議論の「土俵」において、井上氏の主張・論証して いる内容が大した意味を持たない、と考えられているからに他なりません。

 近代国際法秩序においては、世界の領域は「文明国」「半文明国(19世紀中 葉頃の日本や中国はこの範疇に属します)」「未開地」に分類され、そこに人が 何百年にも亘って定住し、封建社会やそれ以前の社会制度の中で生活していて も、未開地は「無主の地」とされるのです。そして、近代国際法秩序の中で、そ の住民への支配を含めて「先占」し実効的支配を確立していれば、それは先占し た文明国の領土として認められてきたのでした。また、半文明国の領域に関して は、近代的国家確立の前後の時期にそれぞれの国家を代表する者により領域確定 条約が結ばれることによって、文明国との間では確定して行きました。ま ず、これを議論の前提とする必要があります。
 井上氏の議論を参照していると、例えば「彼らは、何ら科学的具体的に歴史を 調べているのではなく、佐藤軍国主義政府とまったく同じく、現代帝国主義の 『無主地』の概念を、封建中国の領土に非科学的にこじつけて、しぶんたちにつ ごうの悪い歴史を抹殺しようとしているのである。」という論述にも見られるよ うに、この前提自体の不当性に対する感覚が感じられます。
 しかし、それについては、私の先の投稿末尾でも簡単に触れた2001年の国連 ダーバン会議の宣言でも、「植民地責任」と呼ばれるようになった議論がなされ たように(詳細については、永原陽子編著『植民地責任論』青木書店2009年3月 31日第1版第1刷刊を参照して下さい)、数世紀にも亘る植民地支配を支えた近 代国際法秩序について、過去に遡って(=遡及的に)是正しようとする動きはあ りません。卑近な例でいえば、日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代には、 封建社会から抜け出して日が浅かった「近代朝鮮法」はいわば仮眠状態にあった わけですが、その時代に朝鮮半島で生じた相続、財産関係、婚姻などの法律関係 を、「植民地支配が不当だった」といってすべてご破算にしたとすれば、欧米植 民地支配に比べればたった35年間に過ぎない時期に生じた法律関係であって も、とんでもない混乱が生じてしまいます。したがって、不当ではあるが植民地 支配秩序の中で適用されていた法秩序による処理を、過去については認めざるを えないのです。

 井上氏は、このような国際法的議論の枠組をよく理解しないままに(だから国 際法学者ではない、と評されるのです)、明・清代の琉球冊封使の記録をあれこ れ引証しながら、主としてそこにおいて、中国側も、琉球側も、釣魚台諸島と久 米島との境を以て「中外の界」としていた、それを当時の関係者たちは疑ってい なかったこと、明代の海岸防衛線の中に釣魚台が入っていたこと、などを根拠と して、尖閣諸島が中国の歴史的領土だと主張しているものと、私は考えていま す。

 しかし国際法的観点からそこで問題とされているのは、文献上釣魚台諸島が古 くから記されていたとしても、結局は無人島ですから、「実効的支配の有無」が 決定的だということです。私が先の投稿で、「パルマス島事件」に関する常設仲 裁裁判所判決を引用したのは、「付属諸島」として、あるいは当時の3カイリ領 海外にある孤島に対する領有権に服させるための要件として、国際判例では「領 土紛争の国際仲裁判例は、領域の連続性よりも、主権の発現行為に対して、より 一層大きなウエイトを与えるように思われる」といっていることを示したかった からでした。この「主権の発現行為」が、国家による「実効的支配」の内容すな わち「支配の意思と事実」になるのです。

 そして、その「『実効的支配』の有無」という観点から判断する限り、文明国 との間で、正式な国家代表者が領域確定条約を結ぶとか(1855年の徳川幕府によ る日魯通好条約がその例です)、無人島については、たんに版図に入れるだけで なく領域支配の意思を標柱を立てるなどして示しつつ・同時に定期的に巡回する などして客観的にも支配を行うことが要求されるのです。
 そういう観点から尖閣諸島に対する「実効的支配の意思と事実」を見ると、地 図に書き入れたり、「琉球王朝の代替りの際」すなわち30年~80年に1回の 間隔で中国から琉球に送られた冊封使の記録に残っているとか、明代の対倭寇海 岸防衛線に組み込まれているとかの事実は、支配意思の表明としても足りず、支 配の事実についてはまったく認められない、と反論されているのです。その内容 については、日本共産党のホームページの他、例えば、田畑茂二郎・石本泰雄編 『ニューハンドブックス国際法〔第2版〕』(有信堂・1983年7月20日第2版第 1刷刊)87~88頁を参照して下さい。また、明代の海岸防衛線に組み込まれてい たという点については、「当時の倭寇の状況から見て、明が防衛線に組み込んで いたとしても、本土の海岸線さえ破られている状況なので、実効的支配があった とは認められない」といわれています。
 ですから、井上氏が指摘する史料がその通りだったとしても、それだけの事実 では、近代国際法上尖閣諸島が「中国の歴史的領土だ」とまでは言えない、とい うことになるのです。

 はとさんは、私の反論が「長い」とこぼされていますが、はとさんがこうした 議論の基本的枠組をそもそも理解されているのかどうか、心許ないから長くもな るのです。この点井上氏のように、議論の枠組自体を非難するのであれば、前述 したダーバン宣言をどう理解しているのかや、私が指摘した不都合をどう回避す るのか、という点についての、はとさんの意見を明示して下さい。
 今後、はとさんが冒頭に指摘したような議論の姿勢を改めないと思われる場合 には、私は重ねて反論はいたしません。(12月26日記)