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一般投稿欄

都知事選と世田谷区長選~歴史の現時点(下)

2011/4/29 櫻井 智志

 都知事選での石原慎太郎氏の圧勝は、改めて都民への根強い支持とそのことに対する危うい感覚を感じさせた。しかし、後半の統一地方選挙での世田谷区長選の結果は、私の思考を促すものがあった。

 政治的には、石原氏と世田谷区長に新たに当選した保坂展人氏とでは、ほぼ真逆である。保坂氏は、社民党の元国会議員である。今回、保坂氏は周囲からの区長選立候補を推す動きに対して、立候補を断り続けてきたようだ。それが終盤に立候補を決意したのは、東日本大震災と福島原発事故の悲惨さとそれに対する政府の政治的無力に対する強い決心があったと本人がマスコミの質問に答えている。

 保坂氏が、当選後の記者会見で、原子力発電所の全面的見直しを述べた。間髪を入れず、石原都知事は原発を廃止すれば、日本は立ちゆかないとする打ち消しに躍起となった公的発言をおこなった。

 石原氏のような原発推進派は、このような関東のための電力供給が、「東北電力」管轄下の地域でいわば国内植民地主義的な尊大さとごう慢さを背景としてなされ続けて、そのために東北地域が壊滅的な被害を受けたことを、少しも痛みとして感じていない。

 これは阪神大震災の時にも、見受けられたが、東京都にある首都機能を推進する政府や官僚、マスメディアなど、中央-地方の図式で、発想していた。彼等は、東京に大地震でもない限り、まるで他人事のような様相が見受けられた。明治以来、中央と地方という差別選別意識は、今回でも変わらない。

 もっとも石原都知事のように、東京湾埋め立て地に原発を立てるべきだ、などと表明する背景には、なにがあるのか。原発被害を全くわかっていないか、わかっていても、自分たち特権層はいざとなればなんとでも被害を免れるとたかをくくっているのか。
 もっとも政府首脳と官僚幹部は、すべてを東電のせいとおつしけて、自らの初期対応や後手後手と回る対応のまずさを屋上屋と重ねている。それを批判する野党の自民党や公明党など以前の政権与党は、自らが行ってきたいままでの原発政策の破綻には目もくれずに政府与党を政治的攻撃の材料としている。背後で実際に運営してきた官僚幹部は、旧政権与党の野党同様、東電にすべての責任をおしつけて、自らの原発政策の責任を棚上げにして暗部に隠れている。東電は原発事故が起きた当初に「自衛隊やアメリカ軍にまかせよう」と逃げだそうとした事実が、批判的マスコミから報じられている。

 こうして見ると、石原慎太郎氏を政治的シンボルとするこの国の圧倒的権力をにぎる人たちにとって、原発事故による民衆の悲しみや苦しみは、少しも理解するような想像力の範囲外とされている。社民党国会議員だった保坂氏の原発政策の抜本的見直しをかかげたことに都民は敏感に対応して、ついに自民党と民主党が分裂してそれぞれ乱立したなかで、保坂氏の政治的スタンスに共鳴してとうとう当選まで押し出した。

 この選挙で、共産党は立候補しているが、最下位で落選している。私は、都知事選について充分に理解できずにいたが、保坂展人氏の立候補に至るまでとその結果までを見て、都民が、自らの政治的要求に対応しうる政治的候補者が現れて立候補するなら、世田谷区のような結果を現出させることに、感慨を覚える。

 国会議席は、わずかな弱小勢力と化した社民党であるが、政党というよりも、この政党に属していた保坂氏のように、中学生の頃から管理教育と闘い、内申書裁判に至る経過のように自らが人生を闘い続けた政治家の的確な方針ならば、都民は支持する。今後都知事選は、1970年代の革新自治体を生み出した社共型統一戦線ではなく、候補者が都民国民の要求に応じうる魅力ある候補者のもとにさまざまな個人や組織が結集して押し出す円卓型の応援団として結集しなければ当選はかなうまい。

 前回都知事選に立候補した吉田万三氏は、区長選に取り組んでいる。彼は、前回も統一戦線を指向して立候補して、開かれた姿勢で対応した。結局は落選したが、吉田氏のような開かれた姿勢と、保坂氏のような魅力ある政治方針と政治家としての資質とを兼ね備えた候補が求められている。少なくとも、今回次点とその下にいた東国原候補や渡辺候補などの新自由主義政策の政治家を上回るだけの集票力のある候補が要る。私は日本共産党の推薦で革新都政をつくる会から立候補した小池晃氏の、政治家として人格として支持するものである。けれども、都知事選の次回を考えると、保坂展人氏がなぜ世田谷区民の最高の支持を獲得したかを、日本共産党幹部はもっと分析して理解することが必要と思う。

 これからますます大震災、原発事故を口実とした国民管理のコントロールは強まっていくことだろう。その様相はすでにあちこちで現れ始めている。次の都知事選や衆院選など国政選挙は、選挙制度そのものをファッショ的に改悪して、比例区議席を激減させたり、国会を一院制にしようとしたり、さまざまな策謀のなかで推進されていく。困難な闘いが続く。報道でさえ、すでに一定の管理下にある。インターネットへの規制も動いている。それでも、広島市長で尽力した秋葉忠利氏や世田谷区長選で当選した保坂展人氏のような存在があることは、京都や川崎の市議選で十議席以上を獲得した共産党市議団のような組織的健闘とともに、失望は早すぎることを教える思考材料となるだろう。