哲学者にして社会運動家でもあった芝田進午さんは、1980年代という今か らさかのぼること30年前後に、著作『核時代Ⅰ思想と展望』『核時代Ⅱ文化と芸 術』(青木書店)で重要な問題を提起されている。「核という火の暴力」によっ て殺され冒涜された人々としての被曝者を区別した。さらに「死の灰」を体内に 吸収され、遺伝的影響は予測できない、全世界の潜在的被曝者は全人類と及ぶと して、「ヒバクシャ」ローマ字の「HIBAKUSHA」としての人間存在を提 起していた。そうして、学問と芸術、思想と社会運動の全面にわたって総合的な 具体的展望を示された。
それから30年。2011年3月11日に、日本では、被爆者の悲劇から被曝 者の発生と「ヒバクシャ」の顕在化と事態は容赦ならない事態が発生した。
芝田進午さんは、住宅密集地における危険な微生物細菌の実験施設の強行移転
阻止の裁判闘争の原告団代表として闘いの先頭であり中心になり闘い続けた。
道なかばにして、芝田さんは胆管がんによって惜しまれる中をご逝去された。
しかし、ノーモアヒバクシャとノーモアヒロシマコンサートは、芝田さんの死
後も、音楽家・声楽家である夫人の芝田貞子さんを中心に、「平和のためのコン
サート」として欠かすことなく毎年開催され続けてきた。
毎回芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼは芝田貞子さんを支援し、後
援団体の一翼を担い続けるとともに、毎回素敵な声楽を披露し続けてこられた。
ノーモア・ヒロシマ・コンサート、ストップ・ザ・バイオハザード国立感染研 究所の安全性を考える会、バイオハザード予防市民センターは、核と環境破壊、 危険な生化学実験と闘い続けた芝田さんの遺志を尊重し応援し続けてこられた。
毎年続くとマンネリ気味になるのが、継続する催し物であるけれど、このコン
サートは全く異なる。日本国内で自国民による原発事故を発生させるとともに、
日本国民の多くがヒバクシャとして危機にさらされている中での平和のためのコ
ンサートである。さらに芝田進午さんが道半ばにして斃れたけれど、そのご遺志
を継承するたいせつな集いともなっている。
今年も六月十一日(土)午後二時開演で、東京都新宿区の牛込箪笥区民ホールに
おいて開催される。
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6月11日の第12回「平和のためのコンサート」は、客席が足らず、椅子を 用意して立ち見客に提供するほどの満員の状況だった。私は毎年見てきたと想う が、このような立ち見席のお客のために途中で椅子を用意したことはなかったと 記憶している。
若い年代の聴衆もかなりいて、大学生や若手勤労者にも支持層が広がっている ように想えた。年代は各層にわたり、会場には、芝田進午先生の最後の闘争「感 染研実験差し止め裁判闘争」を闘われた学者や知識人、支援のかたがたや「芝田 ゼミ」(法政大、広島大、社会科学研究セミナー)で学ばれた多くの方々のお姿 も拝見した。
例年は、一部と二部とあって、講演が入っていたが、今年は講演はなかった。 神田甲洋さんの講談は、講談の域を超えて、鋭く「広島、長崎、そしてピース」 というようなタイトルのもとに聞き応えのある平和についての内容のある講談を なされた。もともと講談師でなく、早稲田大学の政経学部から弁護士だったろう か、社会人として仕事のかたわら、講談にトライして、神田山洋さんの弟子に なったようだ。
さらに、コンサート主宰者の芝田貞子さんが属するアンサンブル・ローゼの活 躍が目立った。またほかにも音楽家の演奏のレベルが高かった。中国音楽の演奏 家も味わいある演奏陣だった。メゾソプラノ歌手江川きぬさんの指揮するグルー プの合唱も心地よかった。
充実した音楽鑑賞を聴いてから、ご長男の芝田潤さんに芝田貞子さんへの伝言 をお願いして会場をあとにした。