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日本共産党の蘇りを信じて

2011/9/16 丸子澪人 50代 NGO職員

 今から40年前、当時中学二年生の僕の一番の関心事は戦争と平和でした。
 親たちが旧陸海軍学校に在籍した最後の世代として直接戦争は経験はないもの 『何故、戦争が起きたのか?』『あの戦争に何故日本人は自発的に協力し300万 人の犠牲を甘受したのか?』。このことをいつも考えていました。
 本屋と古本屋巡りの日々。そこで見つけたのが『日本共産党闘争小史』市川正 一著。戦前に反帝国主義、反天皇制の戦いを担った人々がいたことに衝撃を受け ました。社会科の教師に放課後その本素晴らしさを語ったところ、レーニンの国 家と革命、帝国主義論を貸して頂くことになり、マルクスレーニン主義に心酔し 始めたのです。はたして、高校一年の時にその教師の紹介で同じ高校の先輩から 民青へのオルグを受けました。党の指導を受ける青年組織が僕に門戸を開いてく れた。感激した記憶があります。
 ところが、学習活動を行う中で自習として上田耕一郎著『戦後革命論争史』を 通じて戦後の運動史を理解し、会議で発言。すると、指導の共産党員教師がその 本は正しくないと批判されました。また、野呂栄太郎に興味を持ち日本資本主義 論争について学ぶ中で、小野義彦をはじめとする『日本資本主義自立論』を研究 していることがわかると再び批判を受けたのです。
 その時に反党分子という言葉を聞きました。
 僕の中で日本共産党への権威が崩れていきました。
 ベトナム戦争勝利のお祝いのデモに学生服で民青ではない大学生の隊列に参加 したところ民青系全学連の幹部の一人が高校のOBで僕に対して『お前、そんな連 中と付き合うと左翼としての人生を棒に振るぞ!』となじられました。人生を棒 に振る?革命的左翼の言葉か?なんとブルジョワてきな!民青、共産党員との付 き合いはそこでおわったのです。
 以降は、反党分子、構造改革派のレッテルを貼られて大学時代も民青に各種集 会で排除されたりしながら、平和運動をつづけていました。
 マルクス主義の勉強をつづけるべく大学院に進学し資本論を学び会社員を経て 今日にいたっています。
 今でも、自由と民主主義の護民官としての共産党とへの尊敬の念は変わりませ ん。しかし、共産党は時代の空気感を変えることができないでいます。資本主義 の行き詰まり、原発事故などの危機、人間が生きていく上でのオルタナを提起で きて始めて前衛なのです。マルチチュードの先頭にはわけのわからぬ連中ではな く共産主義者がいるべきなんです。そして、共産主義のみが人類を救えることを 示して欲しい。僕は期待しています。