坂田雅子監督作品「沈黙の春を生きて」が10月21日まで岩波ホールで上映されています。新聞でその広告を読んでいてはっとしました。
「枯れ葉剤から私たちはなにを学ぶのか
化学物質は放射能と同じ様に不吉な物質で、世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます。いまのうち化学薬品を期制しなければ大きな災害を引き起こすことになります。」
レイチェル・カーソン『沈黙の春』の言葉です。
映画は、ベトナムからアメリカへ、枯れ葉剤の被害を負うドキュメンタリーです。
ベトナム戦争で散布された枯葉剤の被害は、五十年を経過し、ベトナムだけではなく、アメリカにも広がっていた。片足と指が欠損して生まれた帰還兵の娘ヘザーは、ベトナムを訪ね、両国の被害者が連帯し、困難に向き合うことの大切さに気づいてゆく-。
ナレーションを担当した加藤登紀子さんは、
「見終わった時、ずいぶん遠くまで私たちは来てしまったんだな、という深い感慨に包まれてしばらくの間うずくまって泣きました。」と述べています。
私は、芝田進午さんの生物災害として国立感染症研究所の新宿戸山町住宅地への強行移転と実験差し止めを訴訟した裁判の闘いは、上記のような環境思想と連なっていることに改めて気づいてはっとしました。
化学物質と放射能は親戚のようなものとすると、福島原発事故で日本中が放射能汚染に危機的な状況下にあるいま、細菌の実験が住宅密集地に影響を与えることを危惧した芝田進午さんと彼を支援していまもバイオハザートの危機を考え実践し続けている市民運動は、重要な意味をもっていると考えています。