2,3年前は「掲示板」や「JanJan」に投稿してましたが、今や「twitter」が
それに変わった感ありますが、こちらにくると「掲示板」時代を想い出します。
但し、ここで少し若き時の私的思いの一端を書くのは、文系青年の「ロシア革
命」(特に1920年代前半)への憧れと切り離せないからですので、ご容赦下
さい。
大方さんの「ロシア革命の再考を」は、久しぶりにあの素晴らしいルポ『世界を
震撼させた10日間』(ジョン・リード)と米映画『レッズ』(監督はウォーレ
ン・ベイティ)を想い起します。
然も、ジョン・リードの「ロシア革命」ルポは、組合活動の初期に読み感動し鮮
烈な”革命”をイメージさせてくれたものでしたし、その後コミュニズムの意義を
育ませ”人間疎外からの解放”をイメージさせてくれた本は若きマルクスの『経済
学・哲学草稿』でした。
そんな20代前半の”組合運動に燃えた”時期も、次第に日本革命への”夢”を萎え させ、この国の左派運動から脱落し、(他の全く私的な問題もありましたが)己 自らと「日本(人)」を見つめ直そうとフランスの旅に行ったのでした。(”結 果”として1年、然も大半を過ごしたのは、ノルマンディ地方でしたが、その選 択は≪行動の文学≫者と評価されたアンドレ・ジッドの最後の地(墓)があったか らでした。)
大方さんの指摘には、共通するものがあります。 <僕は文学や社会思想関係の読書が主でしたが、それも20代前半位で、後は組 合活動とかの日常生活に追われて(本は沢山購入しましたが、ツン読だけで、活 動から完全に抜けたズーッと後に売却してるので、それほどマルクスにしろまし てレーニン等はほとんど読んでいません。>
「クロンシュタット・ソヴィエト水兵の反乱」とか「白軍掃討」(農民一揆の鎮
圧等)のやり方は、その後の”革命への混乱と失望”をもたらしたと思います。僕
は、文学的関心から「詩人のマヤコフスキーやエセーニンなどの自殺や亡命」に
よって、どんどん芸術運動の革新性が失われ類型的な「社会主義リアリズム」へ
と変身していったのか(この辺に、僕の関心は一番あるのですが)、それは大方
さんが「レーニン路線こそ、ロシア革命を変節と挫折に導いた元凶」と断定でき
るかはともかく、ボルシェビキ派の論理にある”革命論の矛盾”が底にあるような
気がします。
スターリンが党支配を確立する中で”一国社会主義”の構築論が全てを決した(ロ
シア革命の変節と挫折)と思いますが、その萌芽は「レーニン路線」そのものに
あった、と大方さん。
僕は、ロシア革命をレーニンの国家論や組織論をちゃんと読んだこともないので
言及できませんが、少なくとも新左翼の中にある(あった)”トロッキー賛美”
は、反スターりンという意味では納得しますが、「クロンシュタット・ソヴィエ
ト水兵の鎮圧」とか「白軍掃討」の責任は、”赤軍の指揮官”だったトロッキーに
多大にあると思っています。それがレーニンの了解、トハチェフスキー将軍の実
行であったにしろ、です。(ですから、僕の「反スターリン主義」は”トロッ
キー賛美”からではなく、「ロシア革命の裏切り」の最大の恥辱”スターリンの大
粛清”であり、「独ソ協定によるポーランド分割とかファシズム第二次大戦を許
したスターリンは、絶対に許しがたい反革命の徒と思っています。(そのスター
リン・ソ連を世界の作家・知識人の中で最初に批判したのが、アンドレ・ジッド
でした。ソ連の現実を見るまでは、”共産主義社会への期待”を言ってたし、有名
な「反戦・反ファシズム世界作家大会」を呼掛け、パリで成功させたのです。)
大方さんの呼びかけに答えられる知識は持ち合わせてはいませんが、「共産主 義」の”幻想”がソ連の崩壊により”妖怪”で終わらないよう、改めて検証と新たな 21世紀以降の「ユートピア社会=人間解放」への思想を生みだしていく議論は 必要と思います。