クマさんは、党員以外の人間とのこれ以上の討論を拒否されていますが、クマ さんの11月19日付投稿に関する私の見解を述べさせていただきます。
クマさんは、61年綱領は正しいが、2004年における綱領の全面改定など近年の
共産党の方針が誤りで、共産党の後退が生じているという認識を示しています。
私は、1980年代後半からのベルリンの壁崩壊・中国の天安門事件・ソ連崩壊と
いう歴史的事象により社会主義へのイメージ・ダウンが生じ、共産党の青年学生
運動が壊滅的打撃を受け(民青同盟員数が70年代の約20万人から、90年代以降の
2万人までの激減と94年の民青地区委員会体制の崩壊)、それ以降青年が共産党
にほとんど入らない状況が継続し、赤旗日刊紙発行の危機につながる党員の高齢
化がこの20年来進行し、共産党の組織的弱体化が生じたものと理解します。
この現象は日本だけではなく、先進国の共産党はベルリンの壁崩壊・ソ連崩壊
以降いずれの国も日本共産党のように組織的弱体化が生じていると認識しています。
61年綱領を策定した翌年の62年に上田耕一郎が「二つの世界大会と修正主義理
論」『前衛』62年10月号所収において、「ソ連が防衛のための核実験をおこなう
ことは当然であり、世界大戦の勃発を阻止するための不可欠の措置にほかならな
い。」と述べています。
反核運動で、社会党・総評が提起した「いかなる国の核実験にも反対する」か
どうかが大きな論題になった時に、日本共産党は社会主義国ソ連の核兵器と核実
験を擁護する立場を鮮明化したのが上記の上田論文です。
また岩間正男共産党参議院議員は1964年10月30日の参議院予算委員会において 中国の核実験について「(略)このたびの核実験によって少なくとも次のような 大きな変化が起こっております。(略)世界の四分の一の人口を持つ社会主義中 国が核保有国になったことは、世界平和のために大きな力となっている。元来、 社会主義国の核保有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦 争に対する平和の力として大きく作用しているのであります。(略)」と発言を しています(出展:国会議事録)。
すなわち61年綱領を策定した直後の60年代前半の日本共産党は、ソ連の核兵器 と核実験を擁護し、さらに中国の核兵器と核実験も擁護し、大きな活動のエネル ギーを福祉の充実ではなく、社会主義ソ連と中国の核兵器と核実験擁護し、社会 党や総評との反核運動での対立に割きました。今日的に考えたなら、社会主義国 の核兵器には賛成し、放射性下降物が大量に発生し核被爆を引き起こすソ連・中 国の危険な核実験にも賛成する対応を61年綱領下の日本共産党が取った行為は、 当然国民の支持は得られない愚行といえるでしょう。実際にソ連の核実験場の あったセミパラチンスクや中国の核実験場のあった新疆ウイグルでは多数の住民 が核実験で被爆し、命を失い健康を破壊しています。そういう社会主義国の危険 な核実験を61年綱領策定直後の日本共産党は積極的に支持しました。
ソ連崩壊までは日本共産党としてソ連を社会主義国と規定していましたが、ソ
連崩壊後急に「ソ連は社会主義でなかった」と強弁しても、歴史的に日本共産党
としてソ連を社会主義国と規定し続け、60年代には社会主義国ソ連の核実験を積
極的に擁護した日本共産党の詭弁を多くの国民は信じないでしょうし、ソ連崩壊
など社会主義・共産主義へのイメージダウンが生じた中で、共産党という党名の
日本共産党への青年・国民の支持が低落しても当然と言えるでしょう。
最近、日本共産党は中国を「市場経済を通じた社会主義への道を歩む国」と持
ち上げていますが、貧富の格差が大きく、貧乏人は病院にも掛かれない社会保障
の未整備や人権問題など多くの問題を抱えた今の中国に社会主義の魅力を見出す
青年・国民はほとんどいないことでしょう。
昔は社会主義は無償医療・無償教育の実現を社会主義の優位性として掲げてい
ましたが、そういう理想と中国は決別し、無償医療や無償教育を実現しているの
が、資本主義国である北欧諸国(北欧福祉国家)というのも皮肉な現実です。
クマさんが前回の投稿であったように「貴方の望む社会保障の真の解決は、 『各人の発展が万人の自由な発展の条件である連合体』(共産党宣言)である社 会主義でしか実現できません」と強弁されても、ソ連や中国など20世紀の現実の 社会主義が、スターリンの粛清など多くの国民を殺戮し、周辺住民の命や健康を 脅かしても危険な核実験を強行する非人間的な体制であったし、61年綱領下の日 本共産党もそういうソ連や中国を積極的に社会主義国と規定し、危険な核実験ま で擁護した歴史的事実からは、社会保障の真の解決を社会主義に求めることはで きないと考えますし、社会保障の拡充を求める多くの国民もそう考えることで しょう。
手元に89年版の『新編社会科学辞典』新日本出版がありましたので、「社会主 義社会」に関して引きましたが、社会主義社会とは(1、社会主義革命で労働者 階級が権力を掌握 2、生産手段の社会化 3、社会主義的計画経済の実施)の 3点が述べられていましたが、ソ連や東ヨーロッパで生産手段の社会化や社会主 義的計画経済が実施されたものの、経済が長期間低迷し、国民が生活必需品を買 うのにも長時間行列しなければならないような物不足が生じ、80年代後半から90 年代前半にかけ、ソ連・東ヨーロッパの社会主義体制は崩壊しました。社会主義 で失業と貧困をなくすといっても、生産手段の社会化や計画経済体制で、国民に 十分な生活用品を供給し福祉を充実できる社会主義経済のありようは、誰も解明 できていない現状ではないでしょうか。
最近の赤旗見ても社会主義に関しては中国を持ち上げる記事がたまに出るぐら いで、「社会主義・共産主義とは何か」という記事がほとんどありませんね。資 本主義の矛盾はいろいろ語れても、社会主義の具体像は全く語られず、社会主 義・共産主義に関し語ることもやめた日本共産党といえるのではないでしょうか。
もう一つクマさんは、運動が高揚すれば社会保障が発展し、後退すれば社会保障
も後退すると述べられていますが、運動の高揚ということと共に運動側がどのよ
うな社会保障拡充の総合的プランとそれを実現するための財源プランを持ち、そ
れを提起するかどうかも決定的に重要な要素だろうと考えます。
イギリスも、第二次大戦直後は福祉国家として有名でしたが、イギリス福祉国
家の本格的実現が福祉の統一的発展計画であるベヴァリッジプランが1942年に出
され、大戦後保守党のチャーチルがそれの実施に懐疑的であったのに対し、労働
党がそれの全面実施を公約にかかげ、選挙で労働党が全面勝利し労働党のアト
リー政権によりべヴァリッジプランが全面的に実行され、貧困対策・失業対策・
住宅対策・医療対策・教育対策の総合的福祉政策が実施され、「ゆりかごから墓
場まで」といわれたイギリス福祉国家が生まれることとなりました。
スウェーデンも、幾度か社会民主党と労働組合LOとクマさんも触れられていた
ミュルダール夫妻など知識人も加わり、福祉の総合的プランが策定され、実施さ
れ、スウェーデン福祉国家が実現しました。
福祉国家プランを持つことなく、労働者・国民の運動が高揚すれば、自然に福
祉が増進するというのは、羅針盤も海図もなしに太平洋横断の航海に出るような
ものと考えます。
1960・70年代の労働者・国民の運動が高揚した時代に、運動側が福祉国家に否
定的で福祉拡充の統一プランが存在しなかったことも、日本の福祉水準が停滞す
るとともに、介護のように福祉計画の策定の主導権を運動側ではなく、厚生官僚
が主導したという日本の現実もあります。
前に紹介した共産党系学者と共産党系社会保障団体が参加して作成された『新 たな福祉国家を展望する』旬報社、2011年でも、今まで民主的社会保障運動が個 別領域ごとにバラバラに取り組まれ、統一的に日本の福祉・社会保障を拡充する 構想を持つことなく、そういう社会保障運動の「たこつぼ状態」を脱却し、新福 祉国家論として統一的福祉拡充プランを民主陣営も持つべきというのが、この本 作成の理由の一つと書かれていました。
今から言えば、共産党は60年代前半の運動が高揚した時代に、ソ連や中国の核 兵器と核実験を擁護し、反核運動で社会党・総評と対決するのに大きなエネル ギーを浪費し、社会保障拡充の統一プラン作成の努力を怠ったことも、福祉の停 滞と日本の福祉・社会保障の歴史的形成に厚生官僚主導を許した要因であろうと 考えます。
逆に言えば、日本の革新が60年代・70年代の運動が高揚した時代に、福祉国家
論に否定的であり、国レベルの統一的福祉プランを示すことがなかったことも、
80年代以降の運動の後退を招いた要因でもあったのではないでしょうか。
クマさんが主張されたように、日本の革新が社会保障の真の解決の課題を社会
主義でしか実現しないと考えたことは、80年代後半以降の世界の社会主義陣営の
総崩れという状況で、運動の衰退を早めたともいえるでしょう。