引用は「」で表記し、出典を示さないものについては全て、日本に福祉国家を氏の一般投稿欄12月18日付投稿、「丸氏の12月10日付「日本に福祉国家氏の消費税増税論について」への回答」からの引用です。
1、クマ氏の反論・逆批判に対する、日本に福祉国家を氏の選別的な回答の仕方について
「前提としてクマ氏は、私との討論の継続を拒否されている。私はクマ氏の提起した多岐に渡る論点に関し、多くの時間を割き反論を書くことは生産的でないと判断し、クマ氏が社会保障の課題の解決を社会主義の課題とすることに絞って反論したもので、論破されてものでも・反論できないものでもないことを断っておきたい。」
「私は先にも述べたとおり、今後の討論を拒否している相手に多くの時間を割き反論を書くことが無意味と判断し、反論をあえて書かなかっただけのことであり、それを反論不能になったという丸氏の捕らえ方こそ理解に苦しむものである。こういうのは言いがかり以外の何物でもない。
今後の討論を拒む相手に、反論に多くの時間を割くほど、私は暇ではないのである。」
「前提としてクマ氏は、私との討論の継続を拒否されている」。よって、「今後の討論を拒否している相手に多くの時間を割き反論を書くことが無意味と判断し、反論をあえて書か」ず、「クマ氏の提起した多岐に渡る論点」への一切の回答を打ち切る、と言うのであれば、この場合疑問視されるべきは唯、一方的に討論の継続を拒否するクマ氏の態度だけである。
しかしながら日本に福祉国家を氏は、「前提としてクマ氏は、私との討論の継続を拒否されている。」「今後の討論を拒否している相手に多くの時間を割き反論を書くことが無意味」「今後の討論を拒む相手に、反論に多くの時間を割くほど、私は暇ではないのである。」、等としながら、「クマ氏が社会保障の課題の解決を社会主義の課題とすることに」ついてだけは、相応の分量(一般投稿欄11月26日付「クマさんの11月19日付の投稿に関して」参照)の反論を試みている。それについて日本に福祉国家を氏は、「私はクマ氏の提起した多岐に渡る論点に関し、多くの時間を割き反論を書くことは生産的でないと判断し、クマ氏が社会保障の課題の解決を社会主義の課題とすることに絞って反論した」と言う。だが、なぜ、「クマ氏が社会保障の課題の解決を社会主義の課題とすること」に反論すること”だけは”(「前提としてクマ氏は、私との討論の継続を拒否されている。」「今後の討論を拒否している相手に多くの時間を割き反論を書くことが無意味」「今後の討論を拒む相手に、反論に多くの時間を割くほど、私は暇ではないのである。」にもかかわらず)「生産的」で、それ以外の「クマ氏の提起した多岐に渡る論点」への反論・回答は”全て”「生産的」で無いのか、その”選別”の理由について、日本に福祉国家を氏は一切説明していない(少なくとも、「暇ではない」「多くの時間を割」けないから、もっとも手短に回答を済ませられる――つまり回答執筆に当てる時間効率の点から「生産的」、という理由で――、「クマ氏が社会保障の課題の解決を社会主義の課題とすること」、を選んだようには思えない)。
以上の点から、「社会保障の課題の解決を社会主義の課題とすること」以外の「クマ氏の提起した多岐に渡る論点」一切に対して、「今後の討論を拒む相手に、反論に多くの時間を割くほど、私は暇ではない」「今後の討論を拒否している相手に多くの時間を割き反論を書くことが無意味と判断し、反論をあえて書かなかっただけのこと」、と言う日本に福祉国家を氏の主張に、一貫性、整合性は認めがたいと言わざるを得ない。また、そうである以上は、クマ氏の反論・逆批判に対する、日本に福祉国家を氏の選別的な反論・回答の仕方は、反論しなかった点に関しては、クマ氏の反論・逆批判を甘受した、あるいは(より慎重な言い方をするにしても)反論を放棄した(それが「反論をあえて書かなかっただけのこと」なのか、「反論不能になった」からなのかは、日本に福祉国家を氏以外には知る由も無い)、と読み手・第三者に見なされたとしてもやむを得ないのではなかろうか?そのような指摘・「捕らえ方」に対して、「言いがかり」とまで日本に福祉国家を氏が言っているとすれば、それはいささか論拠に欠けるのではなかろうか。
なお、今回新たに2点、クマ氏の反論・逆批判に対し、日本に福祉国家を氏が反論を試みている。一方で、日本に福祉国家を氏が反論すべきであろうクマ氏の論点は、まだ残っている(一般投稿欄11月19日付 クマ 「”日本に福祉国家を”さんへ」、同12月10日付 丸 楠夫 「日本に福祉国家を氏の消費税増税論について」参照)。
2、社会事象としての地球温暖化
「丸氏は地球温暖化の事例を取り上げているが、自然事象と社会事象との混同がはなはだしい。 社会事象は自然事象と異なり、明智光秀の本能寺の変のように個人の判断・行動が大きく社会のありようを決定付ける偶然性の要素が大きい。」
地球温暖化の原因が、人類の社会活動によって排出される、いわゆる温室効果ガスにあるとの立場に立つ限りにおいては、地球温暖化は社会事象、あるいは少なくとも社会事象の帰結である、と見なしても差し支えは無いであろう。そうであればこそ、地球温暖化をいつまでに・どの程度までにとどめるか・とどめなければならないか、そのために、温室効果ガスの排出をいつまでにどれだけ削減・抑制するか、そのためにどのような政策を採用すべきか、各国にどれだけの数値目標を課すか、といった地球温暖化(の阻止・抑制)に対する、社会事象としての対処が必要となるのであり、またそのような対処が可能となるのである。そして現にそうした社会事象としての対処が、地球温暖化問題に対して試みられてもいる。したがって、地球温暖化の原因を温室効果ガスに求めている立場からの対応を、社会事象への対処の一例として取り上げ、比較することは、なんら「自然事象と社会事象との混同」には当たらないと判断する。
また、”社会事象は自然事象と違って、明智光秀のようなやつが本能寺の変のようなことをいつ起こすかもしれないから、先の予測も予測に基づく行動目標も、その達成に向けた行動計画も立てられません”などといっていたら、明日にでも現代社会は機能停止せざる得ないだろう。予測・計画の精度と適切さが、絶えず批判的な検討にさらされることは当然ではあるが、起こりうる全ての事態を想定し、対処することが――”選択と集中”の観点からも――現実的でないのも、自明である。そもそも「自然事象」にしてからが、研究室のような、条件を限りなく均一化できる場所を除いて、「偶然性の要素」は大きいだろう。そのことは、身近な例で言えば天気予報、とりわけ長期予報の精度などからも、我々が日常的に感じていることであろう。
「今の世界経済の動向・たとえば今後為替相場が1ドル何円で推移するかも、法則的に解明できない問題である。今大問題になっている欧州の信用不安がどのような展開になるのかも予断を許さない。10年後の石油の値段も正確に法則的に予測することは難しい。」
このような不確定性をかかえているのは、地球温暖化問題においても本質的には変わらない。だからこそ、温室効果ガスとされているものが、本当に温暖化の原因なのか、あるいは地球温暖化そのものへの懐疑、といったことが、いまだに一部議論の的となるのであろう。
正直、今回の日本に福祉国家を氏の投稿の「2、論証と反証の問題に関して」については、その真意がどこにあるのか、私には掴みかねる(もしかしたら特に真意など無いのかもしれないが)。
3、財政問題と消費税
財政危機・財政破綻とは何か、諸外国との比較も含めた日本の財政状況分析、財政問題是正に向けての目安となる指標・必要な税収額等、今回初めて、日本に福祉国家を氏が踏み込んだ見解を示したことは、従来の、消費税(増税)反対論に対してもっぱら”財政危機””財政破綻”という用語だけを並べて応じていたのと比べ、前向きで建設的な変化であった。また、そこで挙げられた客観的分析・指標自体については、私にもおおむね理解・納得できるものであった。しかし例えば、
「実は ある経済評論家の見解では、今のところ日本の国債の信用不安が起こっていないのは、日本は現在欧州諸国より消費税率が低く、消費税率を欧州諸国並みに引き上げれば財政を健全化し、プライマリー・バランス(後で触れる)を黒字化できる余地がある。世界が日本の政治が消費税の引き上げで、財政健全化に向けた歩みを踏み出すことができるのかどうかを注視しており、それに失敗し財政健全化に向け動き出せなければ日本国債の信用不安が現実のものとなると言う見解もある。」
と日本に福祉国家を氏は言っている(「ある経済評論家の見解」を引いている)が、日本の財務省のホームページによると、日本で消費税率が3%から5%へ引き上げられた1997年(注1)を境に税収は大きく落ち込み、以降今日まで(2011年度については予算額、それ以前は決算額)、97年水準を回復した年は一度も無い(注2)。少なくとも、単純に消費税率さえ引き上げればそれに比例して税収総額も増える、と言う前提に立つことは出来ないのであり、消費税率引き上げによって「財政を健全化し、プライマリー・バランスを黒字化」するに当たり、その税率を「欧州諸国並」とする論拠は不明確と言わざるを得ない。
注1、
このとき、消費税率の引き上げ幅は2%だったが、同時に社会保険料の引き上げや所得税特別減税の廃止とあわせ、”9兆円の負担増”と言われた。単純に額だけで言えば、消費税率が4.5%引き上げられたのと同じインパクトだったと言えようか。もちろん、主に給料等から天引きされる場合の”負担”と、支払いのときに増える”負担”では、それぞれ消費者心理にどう影響するか、とか、所得の低い層にとってはどちらの”負担”の方がより深刻か、といったことまで含めて考えると、話はもっと複雑になりそうである。
注2、
97年を境に歳出も増大しており、公債発行額も大きく増えている。いわゆる”景気対策”に相当額の支出を要したこと、税収減を補うため、が、それらの要因であろう。
次に、
「丸氏からは、消費税を引き上げれば、消費が冷え込み、デフレ・不況が深刻化するという意見が出ようが、ヨーロッパではドイツ・フランスのように消費税率 19%台の国もあり(食料品などには軽減税率が適用されている)、そういう国で消費が冷え込み・不況が深刻化したのか、消費税の逆進性でヨーロッパの貧困層の生活状況が日本などと比べ厳しい状況なのか、の実証的検証が必要になろう。
党員投稿欄で投稿している桜氏は、12月7日付投稿「消費税について」で、ドイツで3カ月滞在したと述べられているが、当時消費税16%(食料品7%)のドイツでの暮らしはどうだったか、ドイツは自動車産業の盛んな国であるが、消費税が高くドイツ国民は自動車を買えない状況だったのか、ドイツ国民は日本人より消費を抑制し、不況が深刻化していたか、ドイツの低所得者の暮らし向きはどうだったかなど、是非聞いてみたいものである。」
について。「消費が冷え込み、デフレ・不況が深刻化する」というのは、一国において、「消費税を引き上げ」る前と「消費税を引き上げ」た後での、比較の問題である。従って「ドイツ・フランスのように消費税率 19%台の国」において、(何%から何%への引き上げだったのか、「食料品などには軽減税率が適用されている」こと、等々を勘案しつつ)消費税率が「 19%台」へ引き上げられる前と後とを比較して、「そういう国で消費が冷え込み・不況が深刻化したのか」を知ることは、一つの参考事例となり得るであろう。しかし、「ヨーロッパ」と「日本」の”現行の”貧困層対策・社会保障水準の比較抜きに、「消費税の逆進性でヨーロッパの貧困層の生活状況が日本などと比べ厳しい状況なのか」を「検証」しても、そこに「実証的」要素は無いだろう。また、現行すでに「消費税16%(食料品7%)」であったドイツにおいて、「消費税が高くドイツ国民は自動車を買えない状況だったのか、ドイツ国民は日本人より消費を抑制し、不況が深刻化していたか、ドイツの低所得者の暮らし向きはどうだったかなど」の情報は、日本において今後「消費税を引き上げれば、消費が冷え込み、デフレ・不況が深刻化する」かどうかの「実証的検証」にはあまり寄与しないだろう。このような議論の仕方は、(意図的かどうかはともかく、結果として)議論のすり替え・(稚拙な)詐術、と言い得るものであり、「実証的検証」からは遠ざかる議論でしかない。
4、金融資産・内部保留課税に関して
「金融資産の課税に関しては、検討課題とも考えるが、高い税率を課し金融資産が大幅に減少した場合、国債購入の資金が枯渇する危惧はある。
また、タンス預金の現金をどのように把握するのかという問題もある。今のように預金金利が極めて低く、資産課税が預金金利を大幅に上回る高額であったら、多くの個人預金者が銀行預金をやめ、タンス預金に移行することも考えられる。税務当局はタンス預金を正確には把握できないのでないのではないだろうか。銀行預金からタンス預金に多くの金融資産が移行した場合、そのお金は国債購入にも、企業への融資にもまったく活用されない、寝たお金に換わる。
そうならない対応策の議論は必要であろう。」
これまで「消費税増税することが唯一の選択肢ではないのかと考えます。」(日本に福祉国家を 「風来坊さんの11月23付け投稿「消費税に関して」への評論」)、「消費税増税以外に、増大する社会保障費を賄える財源があればいいのですが、現状では難しいものと判断します。」(日本に福祉国家を 「クマさんの「消費税は”福祉国家破壊税です”(桜さんへ)」に関して」)としていた立場を、日本に福祉国家を氏が事実上撤回し、消費税(増税)以外の選択肢(税)についても「検討課題とも考える」、と言う立場に転換したことは、前向きな変化として一定評価したい(注3)。
注3
かつて日本に福祉国家を氏は、
「共産党中央は、他の問題でも過去の誤りを認めることなく、見解変更のみでその場を取り繕う対応を行なう傾向が強い。過去の誤りは誤りでしっかり総括・自己批判し、その上での方針変更しなければ、誠意ある対応とはいえないものである。」(一般投稿欄2009/5/29 日本に福祉国家を 「日本共産党のソ連評価の経緯から見る問題」)
と、正しくも指摘していた。今回そのような”正しさ”を、自己の「対応」においては貫徹できなかった点が悔やまれる。
個人金融資産に課税するに当たって、税率をどうするか、と言った技術的議論に耐え得る専門知識は私には無い。しかし例えば、「高い税率を課し金融資産が大幅に減少した場合、国債購入の資金が枯渇する危惧」については、税収増によって国債発行そのもが抑制できれば、その抑制できた分の限りにおいては、国債消化に当たっての金融資産減少の影響は相殺し得るように思われる。また、タンス預金に関して――これも素人の思いつきの域をでないが――、例えば一定額以上の金融資産から引き出された、一定額以上の金額に対しては、その金額に応じて課税する、というのはどうであろうか。これなら、すでにタンス預金になってしまっている分は如何ともしがたいが、これからタンス預金になる分については、ある程度課税対象とすることが出来るように思う。この発想が妥当であれば、金融資産課税に先行して、こちらの税を導入しておくのも一案ではなかろうか。いずれにせよ、金融資産への課税は、単に税収を増やす、ということではなく、”なるべく消費を抑制しない形で”なおかつ税収を増やすことに一つのポイントがある。そこが消費税(増税)との大きな違いの一つである。
「それと企業の内部留保に関してであるが、共産党の言う大企業の内部留保とは、企業が設備投資や技術開発に消費済みの分まで、内部留保とカウントしている。 内部留保をすべて吐き出せとなれば、投資した工場や機械を売却し、従業員を解雇してでも、内部留保を吐き出せということとなる。
また、大企業が内部留保を大幅に減らせば、2012年春の決算予想が、パナソニック4,200億円の赤字・ソニー900億円の赤字などと予想されており、日本を代表する大企業の大型倒産と大量の失業者の発生も生じるであろう。」
実際に企業の内部保留に対して課税するに当たって、「企業が設備投資や技術開発に消費済みの分」について控除をすることは、技術的に可能なのではなかろうか。だとすれば、「投資した工場や機械を売却し、従業員を解雇してでも、内部留保を吐き出せということとなる」必然性も必要性も無い。このような各種控除を活用し易いのも、消費税には無い、直接税の利点の一つであろう。むしろ消費税であれば、企業は「設備投資や技術開発」への消費にまで(間接的にだが)課税されることになり、それらの活動・支出への抑制ないし負担増となるばかりである。そうして、消費税増税によって設備投資・個人消費が抑制・減退させられれば「日本を代表する大企業の大型倒産と大量の失業者の発生も生じるであろう」。また、企業負担に関連して言えば、先に
「実は ある経済評論家の見解では、今のところ日本の国債の信用不安が起こっていないのは、日本は現在欧州諸国より消費税率が低く、消費税率を欧州諸国並みに引き上げれば財政を健全化し、プライマリー・バランス(後で触れる)を黒字化できる余地がある。世界が日本の政治が消費税の引き上げで、財政健全化に向けた歩みを踏み出すことができるのかどうかを注視しており、それに失敗し財政健全化に向け動き出せなければ日本国債の信用不安が現実のものとなると言う見解もある。」
とあったが、例えば、法人税だけではなく社会保険料負担などもあわせた、日本企業の”負担率”は先進国の中で特段高いわけでもなく、もっと高い先進国もあることも指摘されている。だとすれば、国際比較を用いて、消費税だけが引き上げの必要のある負担・税であるかのごとく語るのは、ダブルスタンダードということになるのではなかろうか?
消費税(増税)をあらかじめ検討課題から排除しない、というのは、少なくとも、消費税(増税)を全てに優先させる、ということではないはずである。
補遺
「次に丸氏は宮本太郎教授のことを書かれているが、宮本教授は政府の設置した「社会保障改革に関する有識者検討会」の座長として、昨年12月に有識者検討会の報告をまとめた。有識者検討会の報告では、若い世代を中心とした社会保障の拡充と社会保障財源としての消費税の引き上げを提言した。これが民主党政権の「税と社会保障の一体改革」の議論のたたき台になった。」
前回の投稿において、私は注の中で宮本太郎氏について言及した。日本に福祉国家を氏がたびたび持論の論拠として宮本太郎氏に言及していること、および日本に福祉国家を氏が「消費税増税以外・・・現状では難しい」「消費税増税することが唯一の選択肢」と言っていること、を踏まえ、では宮本太郎氏自身は、「消費税増税することが唯一の選択肢」とまで言っているのか?という点について軽く疑問を呈してみた。上記引用がそれへの回答だとすると、宮本太郎氏自身が「消費税増税することが唯一の選択肢」とまで認識していることを、その「報告」からうかがい知ることができるということであろうか。
ただいずれにしても、このことが、今回の論争における主要な論点とはならないように思われる。