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一般投稿欄

エガリテさんへ、、配慮の無い、失礼なタイトルで申し訳ありませんでした

2011/1/5 スカンジナビアン改め 大方 等 50代 自営業

 エガリテさんのお怒りはもっともですので、ここに短慮と失礼を反省し、 お詫び申し上げます。

1、 もちろん、私自身、実は「毒ガスで皆殺し」、をエガリテさんが企図 している、などと 言うつもりはありません。

 選挙で人民大衆の中で支持を獲得していこう、という民主主義の当然の実 践過程で の分析をあれこれ、模索・思考しておられることは承知しております。

 しかしながら、私の意図したことは、その民主主義の体制のもとでの実践 過程での模 索・思考において、その民主主義とは全く対極にある、レーニンという人物に学 ぼう、と いう、エガリテさんの問題提起なのですよ。

 私自身は、レーニンと彼の論理・実践に照らすなら、彼は反民主主義で あって、その 行きつく先は、大量殺戮しかなかったのであり、それゆえ、本来味方であるハズ のクロン シュタットの赤軍中枢部隊=10月革命の英雄部隊に対してまでも、その本質 は、諫言、 ささやかな民主化要求、苛烈な政策の若干の緩和でしかなかったにもかかわら ず、クロ ンシュタット側を兵士・家族ともども皆殺しにするに至った(5万人規模)のだ と思っています。(1921年2~3月)
 また、味方であった、赤軍中枢部隊=10月革命の英雄部隊に対してさえも、 家族共々 皆殺しにしたのですから、タンボフでの農民一揆勢などには情け容赦なく、最 も、苛烈な 報復を与えたのですよ。

 それが、森に逃げ込んだ農民一揆敗残者たちへの毒ガス皆殺し作戦の敢行 です。(1921年6月)  ブルジョアジーですら、第一次大戦で敵国の正規軍(重武装部隊)に対してし か毒ガス  攻撃は行っていないのです。(互いに行った)

 しかし、森に逃げ込んだのは貧しい農民一揆の敗残者に過ぎなかったし、 同胞なのです。

 これらはデマ宣伝なのではなく、明々白々な歴史的事実です。

 エガリテさんは橋下維新の会に対して、「反独裁」をもっと明らかにして 闘うべきだった、と おっしゃいます。
 また、地方公務員組合の特権構造の矛盾を衝かれた!!とおっしゃいます。

 しかし、もし、エガリテさんが、大阪府委員会で責任ある選挙担当者の一 員になって”、レー ニンの「宣伝し、扇動し、組織する」に今こそ学ぼう!”と檄を飛ばしたとした ならどうでしょうか?

 そして、そうした檄が維新の会側に知れたとしたら、、。

 そんなことをしたら、たちまち、橋下・維新の会側に、、何が反独裁だ! レーニンこそ最悪の独 裁者じゃないか! あいつは、貧しい同胞・農民に対して、毒ガスでの皆殺しさ えしてるのだ!!  と反撃されてしまうんじゃないですか?

 その場合、毒ガスで貧しい農民・同胞を皆殺しにした、、ということは 明々白々な歴史的事実です。 決して反共デマではない。 どうやって反論しますか?

 その結果は、公務員の特権という矛盾を衝かれるどころの騒ぎじゃなく、 もっと手ひどい惨敗を 喫するのじゃないですか? しかも、その影響は、その他の地域へも深刻に波及 するのじゃない ですか?(日本全国にも)

 ことほど左様にレーニンという人物は重大な問題を含んでいる危険な人士 なのですよ。

 ローザ・ルクセンブルグは1918年秋ごろに書いた「ロシア革命批判」 でレーニン・トロッキーらを 徹底的に批判しています。
 もちろん、彼女はボリシェビキを原則的には支持しています。 しかし、それ は1918年秋までの ことです。(彼女は1919年1月に虐殺されました)

 レーニンらの革命論・路線を徹底批判して、、
「社会の全般的な野蛮化をもたらさずにはおかないだろう。 それはいかなる党 派も逃れることが できない、鉄の法則なのだ。」と厳しい予言を突きつけています。

 歴史の事実は、ローザの厳しい批判が正しかったことを、毒ガス皆殺し事 件などで、劇的に証明 しています。

 私は、このローザの路線こそが、あの当時の最善の革命路線であり、それ は現在にも通底して いるものだ、と認識しています。

 つまり、マルクス主義・共産主義とは、マルクス・レーニン主義などと言 うものではなく、強いて言う なら、マルクス・ローザ主義とでも呼ぶべきものだったと思います。(強いて言 うならですので、そういう言い方を提唱しているわけではありません)

 では、レーニンはどうか??

 彼は、結局、反共・反革命・大虐殺犯罪者に転落していった人物に過ぎま せん。(レーニンこそが反共でしょう。 本来の共産主義はコミュニズム即ち、 共同主義または共生主義とも訳せますが)

 彼は、共同や共生ではなく、強制であり、独裁であり、民主主義の破壊者 であり、結局大虐殺者な のですよ。(そうならざるを得ないのです。)

2、私=反共主義者、、、お怒りは分かりますが、違いますよ。

>(1)この投稿者は、日本共産党を信頼し、支持する立場から議論を展開する と言ってるが、 、、、明らかに日本共産党の権威を傷つけ、国民大衆と共産党との間に楔を打つ ことを目的 に投稿している。

 申し訳ありませんが、私の旧HNはスカンジナビアンと申しまして、現状分析欄 にも数年前の私の投稿がありますので、ご覧いただければ幸いです。

 以前、原さんの投稿内容を人文学徒さんらと共に、日本共産党中央に”平和 共同候補の擁立を”と集団申し込みをしましょう、と呼びかけたこともありまし た。
 編集部の力添えも借りまして、申し込みは実現しましたが、なんら返答は得ら れませんでしたけど。

 また、現在、我が県の日本共産党県後援会の世話人を引き受けておりまし て、また、唯一の県議の地元後援会長を引き受けております。(非党員)

 さらには、毎年、日本共産党設立レセプションへの招待状をいただいてお りまして、今年は、出席さ せていただきました。
 また、昨年の実家の不幸におきましては、共産党県議(唯一)夫妻の列席をい ただき、来賓として紹介 させていただきました。その他、市議(県庁所在市)2名(一人は奥様の代理出 席)の来賓出席もいただ き、さらには県委員長からの丁寧な弔電と花輪までもいただきました。

 もちろん、後援会長や県後援会の世話人就任などは、共産党側からの要請 です。

 このように、反共、反共、と言われましても、私の地元の周囲の誰もが、 私を共産党の支持者と認定して おりまして、中には党員扱いする早とちりな方までおられるので、その点は閉口 しておるような次第です。

3、党員諸氏のレーニン毒ガス犯罪への反応

 この点は、実は、89周年レセプションにて、毒ガス皆殺し事件とローザ のロシア革命批判の文書を数部 コピーしまして、来賓席の皆さんに、「89周年というが、こうした恐ろしい虐 殺事件もあった中での、創立 だった、こうしたことをしっかり総括できていないのではないでしょうか?」と 資料を配布したのであります。

 とんだ、招待客もあったものですね。 しかし、周囲の皆さんは、これは 良いものを見せてくれた、と喜んでおりました。以下、少し紹介しましょう。

 衆議院九州比例ブロック惜敗候補者T氏。
 いや、これはまったくその通り、ローザの指摘は今の党の状況にも通じるもの がある。 耳が痛いが、その通りですなあ。

 地元大学名誉教授氏
 いやあ、君、いい資料をもってきてくれたものだねえ。 昔レーニン、レーニ ンと言っていた人たちが ソ連崩壊後、レーニンらの所業が明らかになったとたん、無責任にもまったく口 をつぐんでいるんだよ。 きちっと、総括すべきだ!と常々言ってるんだけどねえ。

 ところが、
 現役衆議院議員K氏(原発でやらせ指示問題ですっぱ抜きを行った”時の人”)
 その、著者(ヴォルコゴーノフ)はエリティンの部下になった人物で、その彼 の資料だけでは判断できな い。 精査を要する、と資料の受けとりさえ拒否した。 まさに、反共主義者 め!という目つきで私を睨んで きた。 歓迎レセプションの来賓席に座る人物のハズだが?何故?と怪訝な思い もあったのだろう。

 しかし、私の来賓挨拶が始まり、

 1)地元後援会長として、後援会を5年前から再発足して、ただ、選挙の 時だけの団体、普段は親睦会 というのは止めて(県議は当時落選中だった)要求実現運動に取り組む運動団体 として発足しよう と提案した。その後、毎月必ず世話人会を開くこと、後援会ニュースを毎月発行 すること、要求実現の ために、毎月必ず地域に入って行動する統一行動を実践すること。(3支部が統 一して行動することと言う意味)を申し合わせた。
 2) 発足時、赤旗読者50人程度を以て、後援会員とする、ということで、 スタートしたこと。 私の提起で、地元の公営住宅の老朽化問題に取り組んだこと。
 その団地でのアンケート活動や県の担当を団地に呼んでの集団交渉や署名活動 の結果、翌年の 1~3月にかけて順次その団地でのシャワーの設置という住民要求が実現し着 工・完成していった こと。(一斉地方選挙はその1か月後の4月)
 それによって、団地の雰囲気が激変したこと。 (県議候補は大歓声に包まれ るようになった。) そういう要求実現運動の中で党への期待を組織しよう!!という合言葉で 1000部を超える後援会 ニュース読者を獲得するに至ったこと。(50数部から1000部超へ) それを1500部に増やそうと頑張っていること、、、などを挨拶で紹介した。
 しかし、その中で、増やそうと思えば増やせるのに、若い活動参加者が出てこ ないため、4年ごとの 選挙のたびに、後援会幹部も4歳ずつ高齢化していってること、足腰がどんどん 弱まっており、増やそう にも配布者がいなくなりつつある、、という厳しい現状があることを付け加え た。
 3)そうして挨拶が終わった所、その現役衆議院議員氏がすぐ様私の所にやっ てきて、「なぜ党員になら ないのですか?やはり、レーニンらのことが問題なのですか?」と聞いてきたの です。
 私は「もちろん、そういうロシア革命のレーニンらへの総括ができていない、 という日本共産党の歴史と 綱領路線への疑問があるからです。」と答えた。
 4)そして、「しかし、私はもう現状の活動で十分でしょう。しかし、問題な のは若い人たちが、まったく少ないということですよ。かつて、東大、早大、京 大、立命、名大、日福大、などは組織も大きく党委員会がおか れて、地区委員会並みかそれ以上の扱いだったんじゃないですか? 今や、そう した学生組織は党も民青 もガタガタなんじゃないですか? そういう学生たちはレーニンらの所業くらい は共産党への関心をもったな ら、すぐにネットで検索するんじゃないですか?そうした問題にきちんと答えな いといけないでしょう。」とお答えしました。
 5)その結果、その衆議院議員氏とも、問題の共有がある程度できたのです。 最後は「いや、おっしゃることもよく分かりますよ。」とにこやかにお話してま した。
 6)その後、知人の開業医党員や公害反対運動会長氏(党員)にもその資料を 見せたところ、大いに 賛同・共感をいただきました。
 ですから、レーニンに学ぼう、、などと正面切って書き込まれているのを見る と、やはり、投稿して批判することになってしまうのです。

 しかし、タイトルはやはり、挑発的で失礼なものでしたので、エガリテさ んに重ねてお詫び申し上げます。