返信遅れてすいません。時間がないのと内容が多岐に渡るために少々遅くなってしまいました。
では以下返答致します。
①党の衰退、自力不足の根源はヨコ抜きの極端なタテ社会
⇒ご意見に賛成します。
②自由な意見の交流が進化の原動力
⇒結果的には賛成します。しかし、意見の交流そのものが目的化しては恐らく進化は無理だと思います。ましてや民主的な討議も、それ自体は進化を促すことはないと思います。ブレークスルーは結局個人の頭の中で起きるからです。
個人がより個人の思想を強化・深化させるための交流であれば、それは進化の網を作ることは出来ると思います。シリコンバレーのようなものだと思います。
③意見交流の禁圧は真っ先に党中央の自力を喪失させる。
⇒部分的に反対します。党中央が非常に優れていれば自力自体はつくでしょうから。問題はそれが出来ないことと、後は、党組織観、政治観、思想観、にあるのだと思います。後述します。
④党内には発言の自由はあるけれど交流の自由はない
⇒賛成。活性化しないですよね。
⑤自由な意見の交流は何かのための手段ではなくそれ自体が守られるべき人権
⇒人権などという大袈裟なものではなく、政治活動のイロハのイというものでしょう。でも社会的風土とも関係していると思います。
⑥自由な意見の交流は常に最上位の優先度で保障されるべき
⇒あって当然であるべきであり、保障なんていうのは、そもそもそれがない、もしくは抑圧が当然という前提だからだと思います。つまりないという状態は「終わっている」のです。
⑦個にとって自由な意見の交流は本源的で正当な欲求
⇒それがあるから共産党員になっているわけですから。(笑)
⑧党の各機関は意見交流のパイプ役を果たすべき
⇒これには反対します。党員間の意見交流は当然のことであり、保障されるべきものでも抑圧されるべきものでもないからです。それは自然なことであり、当然のことだからです。
⑨インタネット上に意見交流パイプを作ることができる
⇒出来るでしょうけど、それに関して中央は良い印象は持たないでしょう。
例えばですけど、youtubeなどを使って共産党のCMを作ることは可能です。この場合それぞれが勝手にやれば良いのです。それぞれの思いを表現すれば良いのです。でも、そのようなことは好かれません。なぜか?統制が取れなくなるからです。まあ大衆政党ではないということなのかもしれませんが。。政治センスがないのです。
⑩党は討論クラブではない、防衛上危険、という神話がある
⇒党は党の決定した活動を実行する機関であるという部分は確かにあると思います。機能的に邪魔であると考えているのではないかと思います。何から何を防衛するのでしょうか?敵を外部に作らないと持たない組織は敵に依存している組織なので、敵には絶対勝てません。良くて共倒れです。わが党は自民党と共に共倒れするのでしょうか?
⑪自由な意見の交流は分派を生むという神話がある
分派上等でしょう。ただモラルやルールは必要だと思います。中傷的で扇動的な批判は慎むべきでしょうし、同志として、もしくは大枠としては同じ志向性を有する人間同士のお互いの尊重は必要だと思います。まあ、個人的な好き嫌いとかは別に自由ですけどね。特にこのように電脳空間が発達した現代においては、表現は基本的に自由でしょう。意見の交流が自由化されたら分派生まれると思いますよ。良いじゃないですか。
⑫DCに効用はあるのか
ないと思います。
⑭意見交流の提起に難題二つ
結局当事者は誰か?という問題と、上層部に無批判に追従する人をどうするのか?という問題だと思います。
まず、指導部の選出方法をもっと民主化しないといけないと思います。そうしないと指導部の権威が発生しないからです。指導部が指導部を選ぶ体質では、多くの人は離れるのが当然です。なのでこれほど人間が残っているというのは、よほど日本社会が封建的な体質を有していることの証左であると思います。
私は指導部には一定の権限を持たせるべきであると考えます。共産党中央委員会という名称は非常に強い権限を持っていることを印象づけるからです。その上で意見の自由は自由ですし、行動も自由でしょう。最低限のルールを決めるとかすれば、あとは自由でしょう。結局党指導部が優秀であることが重要です。そしてそのような指導部を生み出せる組織にしなければなりません。もちろん政治団体ですから内部の政治も熾烈になります。でも、そのような過程は必要でしょう。
共産党のトップは優秀な人物がなるべきです。今の指導部も優秀だと思いますが、もっと意見や主張に深みを持ち、深い洞察力と先見性を持たなければなりません。
民主集中制の放棄が、このような党指導部の形成を形づくる大きな一歩になると、今の私は考えます。
以上です。