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一般投稿欄

丸さんへ――いろいろ教えていただいてありがとうございます。  多くの点で一致できますが。私は「躍動感」を大切にします。

2012/2/4 エガリテ

 丸さんご丁寧な返信ありがとうございます。丸さんの主張それぞれ含蓄があり、 わたしの粗雑な議論につねに親切な回答をいただき、共産党に対する様々な疑問 に対して整理していくうえで非常に勉強になっています。
 再度私の問題意識を説明します。私はいっせい地方選挙の共産党の戦い方を見 て、これはダメだと直感的に感じ、私の意見をまとめ、共産党の各級機関に「意 見書」を提出したことから始まっています。その際、共産党は完全な沈黙を守 り、私が「受けとった」という返事を求めたにも関わらず一切無視しました。
 この事態は私にとって全くの予想外であり、これまで共産党は最も国民のため の政党であって、国民に一番近いところにいる政党だと思っていた私の幻想が破 れたことにあります。私自身10数年党員であった過去があり、いろいろ幻滅し て去ったのも事実ですが、やはり共産党に愛着があり、私の不十分さで党につい ていけなかったが、党はやはり今日の日本の政党の中で最も国民大衆の立場に 立った政党だと思ってきました。(少なくとも個々の党員は今でもそうだと思っ ています。)
 しかし、私が今回15通の意見書を出し、出すたびに「回答は後でも良いか ら、受け取ったという返事をください。私の党へ対する思いを踏みにじらないで ください、あなた方が回答をくれないのなら、私はこの経過をホームページで公 表します。どうか私にその行動を取らせないでください。」と延々と訴えました が党は完全に無視しました(注1)
 つまり私は「ブチ切れた」のです。この共産党の体質を変えるのが私の主要課題 です。

注1:正確には、中央委員会は一度だけ「受け取りました。総括は選挙後に行う のでそれまで(7月)待ってくれと読める文書をよこしています。」しかし私が 最終回答期限を9月末に設定しましたが、何も回答はありませんでした。また高 槻市委員会は何の連絡も無かったので、全ての文書をプリントアウトして最寄の 市会議員に面接して渡しました。その際、回答するかを返事してほしいと伝えて いたので、7月まで待ってくれという電話を受けました。その後期限が切れてい るという催告を行い、最後通告を行った段階で市委員二人が我が家を訪ねてきま したが、回答らしき物は何も持参せず、事実関係も全く違った主張をして帰って いきました。さらにM府会議員は大学時代からの友達で、実は職場も一緒だった 時期があります。この議員が、「私文書」を一回くれましたが、その書き出しは 「忙しいから回答する気はなかったが、回答してやる」というものでした。中味 は私の意見書に答えたものではなく、自分がいかに忙しいかを切々と語っていま した。「貴方が考えているより私は多忙です」と全く人を見下した文書でした。
 これら一連の経過を通して、私は共産党が国民政党としての必要要件を具 備していないことに築き、共産党に最低限、「国民からの意見には応えるそのよ うな当たり前の常識を身に付けさせる」戦いを挑み始めています。(私の家に来 た市委員は開口一番「市委員会には意見書類が30数件来ている。そのどれとも 対応していないのに貴方の家にだけ訪問することはおかしいという内部の意見も あったが参上した。」と言いました。特別に来てやったと恩着せがましく言いま した。(国民と向き合うことが当たり前なのに、そのことを理解せず、「来て やった、感謝しろ」みたいな言い分にあきれ返りました。)
 この事態を経験し、共産党が選挙毎に衰退する原因が私には掴めたような気がし ました。「この体質を変えてやる。」これが私の戦いです。(映画:「ぼくたち と駐在さんの700日戦争」をもじり、「私と共産党の3650日戦争」(生き ていると思える期間)を勃発させたのです。私は共産党から「各級機関は国民か ら意見があった場合必ず応えるように」という指令が出るまで戦います。その 際、私に侘びを入れることが条件です。・・・私なりにこの戦いを楽しんでいる のです。)

 丸さんから丁寧なお言葉を頂きながら、それに対して十分対応した議論ではな く、私の思いを書き綴った文書です。まずその点の非礼をお詫びします。是非一 度読んでいただけないでしょうか?

ここからが本題です。
 前回の私の投稿で「共産党の前衛性を求めている」と主張しました。共産党は 痩せても枯れても大衆の後ろからついて行くべきではないといいました。(これ は私の共産党という政党に対する憧れみたいなものです。そうあってほしい、あ るいはそうあらなければならないと思っています。)
 共産党は第22回大会(2000年11月24日)に規約改正を行っています。その最 大の変更は党の性格規定だと思われます。旧規約は第7回大会(1958年)で定め られたものであり、日本共産党は「前衛政党」と位置付けされていましたが、こ の改訂では「前衛政党」を削除し、「日本共産党は、日本の労働者階級の政党で あると同時に、日本国民の党である」と規定しています。
 共産党のこの規約改正は大衆運動とのかかわり等を清算する上で必要であった と思われますが、実際の運動では、今回の3.11の震災に伴う共産党の対応を見て いる限りでは、いまだに清算できていないと見ています。

<共産党の規約改正と大衆運動とのかかわりについて>

 この規約改定案を第7回中央委員会総会(2000年9月19日~20日)に報告した 不破氏の説明によると、「これまで「前衛政党」、「前衛党」という言葉をつ かってきたのは、我が党が労働者階級、あるいは日本の国民に号令を出したり、 その考え方や方針をわれわれが「前衛」だからといって国民に押し付けたりする という趣旨ではありません。どんな方針も、国民の共感、信頼、そして自発的な 支持を得てこそ実現されるものであります。」「私たちが「前衛という言葉で表 現してきたのは、実践的には不屈性、理論的には先見性、ここに集中的にあらわ されると思います」と報告しています。
 この不破氏の報告は字面だけ見れば正しいように見えますが、共産党と大衆運 動の関係でそうした基準が果たして守られてきたでしょうか、規約改正前も規約 改正後も、共産党による「大衆運動の引き回し」は引き続き改善されていないの が現状であり、共産党が国民政党へと脱皮するにはどうしても超えなければなら ないハードルだと思っています。(なお、恥ずかしながら、私はこの規約変更を 最近知ったばかりです。・・・私には30年間の空白があります。)

<党は大衆運動の方針より党の決定を上に置き、そのことを党員に義務付けていた>

 これは私が体験した実例ですが、労働組合の中で民主的に決定された方針に対 して、党は、党の方針と違うから「その決定に従うな」と、当時の市委員長で あった府会議員を初め、市委員から圧力をかけてきました。(注2)私は「労働 組合の中で正式に決まった方針に反する行為を行うことはその後の組合活動を困 難にし、組合員からも見放される」と強く主張したが聞き入れられず、結局党の 決定に従いました。(しかし、その後の組合活動は極めて窮屈なものとなり、私 の行動は支持されなくなりました。)

注2:共産党地区委員会は日常的な組合活動に対しては全く指導的力量を有せ ず、全て労働組合内の共産党の働きに任せているが、このようなときだけ上級機 関風を吹かし、妥協無く攻めてきます。

<第22大会以降共産党の姿勢は変ったのか>

 私は、今回の3.11震災における原発の崩壊という事態の中で、共産党は原発政 策が確立し得ず迷走し、「さよなら原発6万人集会」の赤旗報道などを見る限り では、またまた党の決定を大衆に押し付け、原発反対の大衆の運動に水を注して いると見ています。
以下具体的に述べます。
<さよなら原発6万人集会の赤旗の報道姿勢について>
 作家の大江健三郎さんら著名な9人が呼びかけた「さよなら原発6万人集会」が 東京・新宿の明治公園で開催されました(9月19日)。会場では主催者側がそれ ぞれ意見表明を行ったがインターネットでは4名の発言が紹介されています。 (一般紙はほとんど発言内容を報道していないし、赤旗は自分達に都合の悪い意 見は省略しています。)
 インターネットでは、それぞれの発言を要約すて報道しているが、私がさらに 圧縮して報告します。(インターネットが一番当日の内容を正確に報道している) ◆ まず鎌田慧さん(ルポライター)の発言は
原発の安全と信頼性はすでに破綻しています。それでも原発を再開することは国 民に敵対する行為です。国民の8割が原発のない社会で生きたいと言っていま す。この声を無視して政治をできるわけがありません。(中略)この原発への 「さよなら」はまたあいましょうなど再開を期することを含んだものではありま せん。もう絶対に会いたくないという意味での「さよなら」が、原発に対する私 たちのメッセージです。

◆ 大江健三郎さん(作家)の発言は
原発の電気エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないと申す人々もあり ます。これはウソであります。原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴い ます。
(中略)私たちはそれに抵抗するという意志を持っているということを想像力を 持たない政党の幹部とか経団連の実力者たちに思い知らせる必要があります。そ のために私たちに何ができるのか、原発を推進する勢力に対抗するには集会やデ モしかありません。

◆ 内橋克人さん(経済評論家)の発言は
注意しなければならないことがあります。それは「新しい原発安全神話」、「原 発安全神話の改定版」、「新版」、これが台頭しつつあるということです。つま り、「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話の改訂版が新 たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意しなければなりません。(中略)原 発を持ち続けたいという意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私たちの 国が「核武装」、「核兵器で武装」することが可能となる潜在力を持ち続けたい とする政治的意図だと思います。

◆ 落合恵子さん(作家)の発言
 放射能廃棄物の処理能力も持たない人間が原発を持つことの罪深さを私た ちは叫んでいきましょう。それは、命への、それぞれの自分自身を生きていこう という人への国家の犯罪です。容易に核兵器に変るものを持つことを、恒久平和 を約束した憲法を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。

 この主催者側の4名の発言は、いずれも共産党の原発政策(安全優先の原子力政 策)を乗り越えています。とりわけて、内橋さんの批判している「あたらしい原 発の安全神話」という批判は、正に共産党の政策そのものです。(注3)

 一方「正義の味方真実の友」であるべき我が赤旗はこの集会をいかに報道した か、これを見れば赤旗が「正義の味方でも真実の友」でもないことが分かります。

★さよなら原発6万人集会の赤旗記事(これは前後の省略はしているが発言の要 約は省略していない。)
この日の集会は、新規原発計画の中止、既存原発の計画的廃止などを求めるもの で、全労連、全労協、連合系、中立系の労働組合、民医連などの民主・市民団体 や多数の個人が全国から参加しました。午後1時半の開会より1時間以上も早く から、最寄りのJR千駄ケ谷駅から会場に向かう長い列ができました。「原発い らない」のゼッケンを身につけた子ども連れの母親など、女性の姿が目立ちました。  呼びかけ人の鎌田慧(ルポライター)、大江健三郎(作家)、落合恵子(作 家)、内橋克人(経済評論家)、澤地久枝(作家)5氏らがステージに立って発 言しました。
◆ 鎌田氏は、野田首相が原発を再開していく姿勢を見せていることにふれ、「原 発の安全性と信頼性はすでに破綻しています。再開するのは住民への敵対です」 と話しました。
◆ 大江氏は、原発を推進する勢力に対抗するには集会やデモしかない、とのべ、 「しっかりやっていきましょう」と呼びかけました。
◆ 落合氏は、「子どもが夜中に起きて、『放射能こないで』と泣き叫ぶような社 会を続けさせてはならない」と訴え、
◆ 内橋氏は、「さようなら原発、こんにちは命輝く国。その第一歩をみなさんと ともに歩み続けたい」とのべました。(中略)
志位委員長・市田書記局長ら参加
 「さようなら原発集会」には、日本共産党の志位和夫委員長、市田忠義書記局 長、笠井亮衆院議員(党原発・エネルギー問題対策委員会責任者)らも参加し、 市民と交流しました。
 志位氏は主催者側の人らに「盛況ですね」「まずは原発の再稼働を止めたいで すね」と声をかけるとともに、本部スタッフと握手。舞台の付近で一参加者とし て呼びかけ人らの発言に拍手を送りました。
スマートフォンで志位氏らを撮影したり、握手を求める人も。志位氏は、離れた ところから手を振ってくる参加者たちにも笑顔で手を振り返して応えました。 (後略)

 この赤旗記事とインターネットで報告されている内容の違いこそ、今日の共産 党の誤った姿をさらけ出しています。赤旗は各発言者の最も重要なポイントをは ずして報告しています。
 これは、すでに大衆運動が共産党を乗り越え新たな地平を築こうとしているこ とを共産党は歓迎していないことのあらわれです。
 赤旗の捻じ曲げは、まず、この集会に参加したのは、無党派の多くの市民で す。共産党の影響力のある団体が主要に参加したものではありません。(むしろ 裏方を支えたのは原水禁側です)あたかも共産党系の団体が主流のように描いて いますが市民が多数決起したところにこの集会の値打ちがあるのです。
 つぎに、共産党は「核の平和利用」があきらめきれず(注3)、主催者側の挨拶 を共産党の政策(核の平和利用)に反対する主張を、全く切り捨てて報道してい ます。

<以下共産党がはずしたそれぞれの発言のポイント>
 ◆鎌田さんは、このさよならは、「もう絶対に会いたくないという意味での 「さよなら」が、原発に対する私たちのメッセージです。」と主張しています。
 ◆大江さんは、原子力によるエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います。と主張 しています。
 ◆内橋さんは、「技術が発展すれば安全な原発は可能である」とする安全神話 の改訂版が新たな装いを凝らして台頭しつつある点に注意しなければなりませ ん。原発を持ち続けたいという意図の裏には何があるのでしょうか?それは、私 たちの国が「核武装」、「核兵器で武装」することが可能となる潜在力を持ち続 けたいとする政治的意図だと思います。
◆落合さんは、容易に核兵器に変るものを持つことを、恒久平和を約束した憲法 を持つ国に生きる私たちは決して許容してはならないはずです。

この「さよなら原発6万人集会」の赤旗の報道は、主催者側の挨拶を共産党の方 針の枠の中に押さえ込み報道するという極めて不誠実な、権威主義的(「前衛」 であるという。)報道といえます。こんな報道をして市民に真実を語らない新聞 が果たして一紙で間に合う新聞といえるのでしょうか疑問におもいます。(注4)

注3:毎日新聞2011.08.25 東京朝刊 11頁
ザ・特集:共産・志位委員長と社民・福島党首、反核の「老舗」対談という記事 がある。この対談は共産党の原発政策を知る上で重要な記事である。
福島― しかし、共産党は核の平和利用について認めてきたんですよね。社民党 は、核と人類は共存できない、いかなる国の、いかなる核にも反対、です。核の 平和利用はありえない、と訴え、行動してきました。
 志位― 私たちは核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性、その基礎研 究までは否定しない。将来、2、3世紀後、新しい知見が出るかもしれない。そ の可能性までふさいでしまうのはいかがかとの考えなんです。
 福島― 共産党は極めて安全な原発なら推進してもいいんですか?
 志位― そうじゃない。現在の科学と技術の発展段階では、「安全な原発など ありえない」と言っています。いま問われているのは、原発ゼロの日本にしよう ということでしょ。
 福島― 安全な原発はないし、核の平和利用と言って原発を肯定するのはおか しいです。
 志位― そこでは意見が違っても原発ゼロでの協力は可能だと考えています。

 ※ 志位委員長は、共産党は核の平和利用についてはあきらめていないと明言 しています。(2、3世紀後の可能性を、なぜ今発言する必要があるのか共産党 のセンスを疑います。・・・運動が全く判っていない学者の論議です。)

注4:赤旗は主催者側の基調報告を正しく伝えないだけでなくまたもや提灯記事 を載せています。「スマートホンで志位氏らを撮影したり、握手を求める人も。 志位氏は、離れたところから手を振ってくる参加者たちにも笑顔で手を振り応え ていました。」という記事を載せています。これは、志位氏を褒め上げて書いた つもりが、この歴史的に重要な集会(偉大な国民の戦いの場)で、志位氏が「ス マートホンで撮影されていた」というような馬鹿げた役割しか果たせなかったこ とを自ら白状しています。(追い返されなかっただけましとしますか・・「正義 の味方 真実の友」が泣いています。) 規約改正にあたって不破氏が説明した 内容(注5)が全く実践されていません。

注5:これはすでに上記に記したが再確認のため改めて書きます。
 「これまで「前衛政党」、「前衛党」という言葉をつかってきたのは、我 が党が労働者階級、あるいは日本の国民に号令を出したり、その考え方や方針を われわれが「前衛」だからといって国民に押し付けたりするという趣旨ではあり ません。どんな方針も、国民の共感、信頼、そして自発的な支持を得てこそ実現 されるものであります。」「私たちが「前衛という言葉で表現してきたのは、実 践的には不屈性、理論的には先見性、ここに集中的にあらわされると思います」 と報告しています。
 私が求めている共産党の前衛性は、さよなら原発の赤旗報道に見られるよう な、共産党の一人よがりの前衛性ではありません。不破報告の後半の部分「実践 的には不屈正、理論的には先見性、ここで集中的にあらわされる。」という部分 です。しかし現実の党は、理論戦線で「前衛性」を失い、規約改正後も過去の負 の歴史(大衆運動の引きまわし等)のみが残っています。
 これを克服するためには、再度規約改正で、「大衆運動の中で活動する党員 は、大衆団体で民主的に決定された方針に対して誠実に実行し、党の決定を上に おいてはならない。」という趣旨の規則をいれることが重要であると思っていま す。(私の場合は党の決定が誤っていると100%思っていましたが、党の決定に 従えという圧力に反対することはその時点では決断できませんでした。)
 以上から、共産党の前衛論は不破報告の線で整理するべきであり、同時に規約 でそのことを明確にすることが必要ではないかと思っています。(大衆団体の決 定の上に党の決定を置かない、大衆団体の方針を誠実に実行することが党員の責 務である)さざ波通信でも「日本共産党の大衆運動・組織への介入・弾圧につい て(広田法真)」というレポートを報告している人がいます。これら上級機関か らの介入を防ぐためにも、規約で党と大衆運動の関係を定式化することが求めら れています。
話は全く変わりますが
<橋下徹は稀代のペテン師であるとともに稀代の政治家です>
 次に丸さん私はあなたの主張の多くの点で一致します。その知識の豊かさから 来る論旨、非常に勉強になります。しかし前回も言いましたが、何か違う感じが します。それは私が貴方のように思慮深くなく、どちらかと言えば喧嘩早い性格 から来ているのかもしれません。実は私は橋下・「維新の会」を批判しています が、橋下氏が好きです。橋下氏は「稀代のペテン師であると同時に稀代の政治 家」だと思っています。政治とはこのような世界だと私たちに教えてくれたと 思っています。政治には躍動感みたいなものが必要だと思っています。政治には 「平時と戦時」があります。丸さんの主張は「平時」の議論であり、橋下氏の主 張は「戦時」の主張です。(この戦時の戦いが政治には必要だと思っています。)
 昔中国の鄧小平が「黒い猫でも、白い猫でも鼠をとる猫は良い猫だ」といった ことがありますが、政治家もいくら清潔であっても政治家としての資質に欠けて いては全く問題外です。私はこの鄧小平の言葉が好きです。(現状の中国は、こ の言葉を拡大解釈してとんでもないことになっていますが)
 たとえば、日本共産党が「お金と政治」に力を入れ、小沢氏を悪党のように キャンペーンを張っていますが、これが本当に正しいのか疑問をもっています。
(注6)このキャンペーンから生まれるのは、政治家が普通の人になってしまう のでは危惧しています。本当に政治家は清潔であることが第一の必要要件でしょ うか。職業としての政治家に求められるのは清潔より国家百年の計(注7)を見 通せる眼力や国民大衆の幸せを実現する行動力及び誠実さが大切だと思っていま す。共産党は清潔ですが、その他の要素、取り分け誠実さには疑問符がつきま す。(例えば、共産党の原発政策は一貫しています。・・・実際は迷走している ではありませんか)
注6:小沢問題は検察の暴走という視点からも捉える必要があります。あるいは こちらからの視点の方が重要です。(私は最近eo光に加入し、FOXテレビの ドラマ見える環境になり、LAW&ORDERという番組を良く見ていますが、 アメリカでは検察側の証拠捏造が分かった段階で裁判は終了です。)
 さらに、お金と政治の問題では、前原氏の外国人市民からの5万円の献 金問題を捉えて「議員辞職に値する」という共産党の見解も極めてナンセンスで す。共産党は地方議会における外国人の選挙権を認める立場に立っています。政 治献金を行う行為自体も外国人の政治参加の一形態です。これを認めない現行法 の問題点を指摘するのではなく、善意から行われた献金を、法令違反だから議員 辞職に値するという主張は誤っています。
注7:共産党は尖閣列島問題の見解を発表し、日本固有の領土だと明確に主張し ました。また、この見解が自民党等からも誉められていると喜んでいますがこれ が共産党の取るべき立場でしょうか。さざ波通信でもこれをめぐって議論があっ たように記憶していますが、今重要なことは、ことさらにナショナルイズムを煽 ることではなく、共産党が「中国が社会主義国で、中国共産党と友党関係にあ る」というのであれば、社会主義的道義に基づき解決を主導する野党外交こそ大 切なのではありませんか。ここで優位に立たない限り、日本の固有の領土だとい うことを共産党がいくら証明しても、何の成果も上がりません。(むしろ右翼の 援護射撃になっています。)
 私は現在の共産党はすでに政治的に武装解除されたような状況であると思って います。(守るべき価値観は何であるかが狂っています)今回のいっせい地方選 挙で震災復興を最大の課題に掲げ、原発は安全点検、大阪ダブル選では「安全、 安心、やさしい大阪」で戦いました。私は、4月の市会議員選挙に際して、本市 のすべての候補者のポスターを見ましたが、震災に対するお悔やみの言葉はあっ ても、復興支援を最大に掲げた党派や個人は共産党以外にはありませんでした。 (注8)共産党は政治的な感性・資質が全くありません。まさに「鼠を捕らない 猫です」。それに比べれば、橋下氏は「鼠をとる猫です」。
注8:丸さんは震災復興が最大の課題で戦っていた実感が無かったと言われまし たが、実は、私も高槻のポスターの異常さに驚き、神戸、京都、茨木市などのポ スターを見に行きました。確かに他府県のポスターはそのことがメインにはなっ ていませんでした。例えば京都では普通のポスターを作りそこに8センチ四方ぐ らいのワッペンみたいな印刷で「震災復興」を入れていました。(各県委員会で の判断が違っていたと思います。・・・しかし共産党の方針は震災復興でした。)
 この違い(共産党と橋下氏の)がどこから来るのかの分析が必要だと思いま す。丸さんの言われる筋道すべてそのとおりだと思います。しかしそこに躍動感 が無いのです。橋下氏は「選挙はイクサ」だといいます。彼は陣地戦と理解して いると思います。いかに戦えば自らの陣地を増やすことができるか考えて発言し ています。かれは日本社会の閉塞感がどこから来ているのか分析し、公務員攻 撃、教育条例案、大阪都構想(大風呂敷)しかり、その他原発に反対して太陽光 発電をソフトバンクの孫氏と連携して開発するなどと発表し、大衆が今何を望ん でいるかを的確に判断して政策を発表しています。これが政治ではないでしょうか。
<現在の共産党は何を機軸にすえているか>
 これに対して、我が日本共産党は、赤旗で国民の多数は原発反対の立場に立っ ているという状況認識を示しながら、いっせい地方選挙の後半戦では、大衆の意 識が変わっているたとえば原発に対する意識の変化などといいながら、原発政策 は、「安全神話を乗り越えて」と叫びながら、あいかわらず「安全優先の原子力 政策」を述べる体たらくでした。
 この日本語から考えてもおかしい政策を共産党員の誰もが反対しない現状を見 たとき果たして大衆は日本共産党を信用するでしょうか。(注9)
 つまり何が言いたいのか、丸さんはいかにして大衆を組織するか、その際の前 衛党の役割は何かを順序を持って理論的に説明されています。それは全く正しい のだと私も思います。しかし、現在の共産党はすでに自らの立ち位置を見失い、 共産党が大躍進した過去の栄光にしがみつき、民主連合政府の実現を夢見て、如 何に政権与党に擦り寄って過去の社会党村山政権が一夜にして社会党の政策を放 棄したことが、その後の社会党の崩壊につながった歴史に学び、今のうちから予 め「連合政権に入る際の政策のすり合わせに支障の無いように自らの政党の衣替 えを行っている」と私は見ています。
 今回共産党は「安全優先の原子力政策」を掲げて戦ったのは、この範囲なら財 界の怒りを買わない政策だと判断したと思っています。「さよなら原発6万人集 会」の赤旗報道も原発反対の国民の運動を励ます立場からの報道ではなく、まさ に共産党の利益優先の報道であり、原発と核開発との関連の発言などをすべて闇 に葬りさっています。これを報道すれば時の権力者の怒りを買うからです。
 丸さんの言われる、種をまいて収穫する話は、畑を耕し、品質の良い種をま き、大切に育てて始めて収穫できるものであり、それ以前の問題が共産党には発 生しているのではというのが私の問題意識です。現在の共産党は誰に依拠すべき か、まず耕すべき耕作地の選択から誤っています。丸さんは耕すべき耕作地はど こかを正確に述べておられますが、私は思考が単純ですから、正しい耕作地はこ こだというより、「耕すところがまちがっている」という指摘をしないと気がす まないのです。
注9;共産党は「安全優先の原子力政策」の中味を選挙期間中に明らかにするこ とはできませんでした。私は、関西電力が700億円かけて安全点検を行うと発 表した内容とどこが違うのか、共産党に何度も聞きましたが、回答はいただけま せんでした。
<選挙を通じて国家権力を掌握することが可能>
 私は、橋下氏の登場で、政治に対する見方が大きくかわりました。共産党の議 会で多数を得て国のあり方を変えるという方針対して、この間の選挙の度の後退 をみて、そんなことは不可能という思いをもっていました。しかし橋下氏はこの 大阪においていとも簡単に多数を握ったのです。国民大衆に支持される政策さえ だせば、国民の過半数を取ることはできるということを彼は見せてくれたので す。私はそれ以前の二代政党性を作るという小選挙区制にも懐疑的でしたが、民 主党が政権をとった時にも感動しました。(その後の民主党はダメですが) 橋下徹氏の選挙戦における様々な言動は、国民の要望に正しく応えるなら、政権 を担えることを、我々に見せてくれたのです。(橋下徹氏にはペテン師的要素が あるが)
 橋下氏はこれを一人でやってのけたのです。政治の中でリーダの役割(党首の 役割)が如何に重要かを彼は見せてくれました。カリスマ性を持った偉大な政治 家が現れたら政治は変わることを実感させてくれました。マックスウェバーは 「職業としての政治家」の中で「政治の本質は「党派性」と「闘争」である」と 指摘しています。
 現在のような閉塞感のある社会では、強力な指導力のある政治家が現れたら、 その政党が主導権を握れることを彼は我われに見せてくれたのです。このことは 恐ろしいこと(ヒットラーの例等)でもありますが、すごいことだと思っています。
 例えば、ドイツでは日本の震災を見て、原発反対を掲げた緑の党が大躍進を遂 げました。これが政治です。(注10)政治にはダイナミズムな躍動感が必要だと 思っています。つまり相手に付け込むチャンスみたいな政治状況をつかんだ者が 勝つのです。赤旗を増やして思想教育を行い支持者を増やし、地方議員を増や し、さらに国会議員を増やして行く。このような順序立てが政治に必要なので しょうか。そうではなく、情勢を切り開く力政治力こそがいるのです。
注10:この政治の躍動感は、橋下徹だけではなく、この間の選挙がそれをおしえ ています。消費税選挙の土井党首の「ダメなものはダメ」、小泉さんの「痛みを 伴う改革」「郵政民営化」橋下氏の「既得権益の打破」「市役所をつぶす」な ど、「ワンフレーズ・ポリティクス」が政治を動かした事実から学ぶ必要があり ます。(そのときの情勢、大衆の気分・感情に合った言葉を発したものが勝つ) 私はこの政治の特性を学ばず、順路立て路線では勝利は掴めないと思っています。
 とりわけて私は小泉首相が行った「痛みを伴う改革」という言葉が大衆に受け 入れられたことに注目しています。今までどの政党も、大衆に対してバラ色の世 界を語り、それで票を集める方法を取ってきました。共産党の基本政策もそうで す「安全・安心・やさしさの大阪」も、ばら色の世界に導きますよという訴えで す。(ポピュリズムです。共産党は「権力と戦った場合に勝つ」という基本を忘 れています。)しかも世間全体が閉塞感に覆われているときに、ばら色の世界を 語るより、「痛みを伴う改革」のほうが現実味を持っているように見えます。こ の辺に共産党の政策の遅れがあると見ています。府民は恐らく「そんなばら色の 世界は無い、白々しい、我々を騙して引っ張ろうとしてもその手には乗らない」 という拒否反応があったのだと思います。(見抜かれているのです。)
 私はどのフレーズが国民の気分感情にマッチするのか、その回答を出せない政 党はやはり国民から遠い所にいるのではと思っています。共産党は、いつの間に か大衆から遠い位置に自らを置いてしまいました。私の出した15通の意見書に 対して、確かに頂いたという回答をくれないかと何回もお願いしましたが、一切 返答はありませんでした。この国民から遊離した共産党の姿が、すでに国民に見 抜かれています。それが共産党の大阪ダブル選挙での最大の敗因だと思っています。
 丸さんの言われる「独裁NO!」がダメだったのかという批判は、選挙戦の総 括として検討しなければならない重要な課題ではありますが、やはり基本は党の 体質にあり、そこを押さえた上での議論ではないかと思っています。
 また平松陣営の政策が正しかったのかの検討も必要という指摘も重要であり、 共産党は平松支持を打ち出す一週間ほど前の赤旗に、「橋下も平松も同じ」とい う大きな見出しを掲げていました。(平松支持にあたってこの問題の整理がなさ れていません。)平松氏の問題というより、長い間の大阪市役所の集票マシーン のような体質(当局と組合・解放同盟との癒着)が橋下氏に暴かれ、敗退したと 見ています。(平松氏以前は全て助役が勝っていました。大阪市独特の「集票・ 利権システム」があったのでは(?)と思っています。・・具体的には書きにく いので)
 最後に私は共産党が結党90年を向かえ、政党支持率が数%しかないことの原 因を共産党自身がしっかり見直すべきだと思っています。恐らく共産党は、それ は反共攻撃があるからだ、そんなことも判らず批判していると居直ると思ってい ます。しかし、自らの党の弱点に深くメスを入れることを抜きに、「反共攻撃」 という言葉で全てを合理化する共産党の態度は思考停止だと思っています。
 これと似たような話が、田中康夫氏が長野県知事の際、解放同盟との交渉で、 解放同盟が「差別はますます厳しくなっている」と主張した際、田中氏は「おか しなことを言いますね100年近く戦ってきて、差別がますます厳しくなっている のであれば、それはあなた方の運動が間違っているのでは」というような趣旨の 発言をしたと聞いています。この田中康夫の言葉はそのまま共産党にも当てはま ると思っています。結党90年の老舗の党が昨日今日できた橋下・「維新の会」 に蹴散らされるようでは、やはり運動に間違いがあることを知るべきです。もし 共産党が科学の党というなら、それぐらいの分析を行うべきです。日本の政党の 中で最も非科学的な戦いを行っているような気がします。
 「赤旗拡大で世の中が変る。」これを信じて日夜奮闘し疲れ果てている現場の 党員の姿が見えず、本当は赤旗が増えないと財政危機になり、自らの収入源が立 たれると思って命令しているのであれば悲劇です。すでに共産党は行き詰ってい ます。共産党は政党助成金を受け取り、お金の面での心配を減らし、本当に国民 大衆のために今何が求められているのか、真剣に議論することが再生への道で す。このほうが本当に国民のためになります。現状は「売れない商品を抱えセー ルスに走り疲れ果てている共産党員の姿が見えます。」(預言者風に言えば)、 疲れ果て、国民の意見に耳を傾ける余裕も無いのが共産党の実態だと見ています。
 もうギブアップしませんか、一から建て直ししませんか、これが私が共産党に 送る言葉です。