なぜ共産党は政党交付金を拒否するのか。
党財政が苦しい中、政党交付金の受け取りを拒否するなど狂気の沙汰であり、プ
チブル的清潔主義以外の何物でもない。
わたしにとって、共産党のイメージは貧乏人の党ではなく、「ええかっこしい」
であり、プチブル的道徳屋さんであり、偽善臭がふんぷんと匂ってくる。
制度そのもに対する反対は反対でけっこうだ。
しかし、貰えるものはなんでも貰う。これがプロレタリア根性ではないか。
「地頭はひっくりかえっても藁つかむ」という鎌倉時代の戯言があるが、正しく
は「無産階級はひっくりかえっても藁つかむ」でなければならないのではない
か。
ブルジョア国家の金であろうが、労働者が額に汗した金であろうが、金に色がつ
いているわけではない。
それとも、日共流マルクスレーニン主義の教えでは、金に色がついているのか。
「渇しても盗泉の水は飲まず」というような反動的儒教倫理は、プロレタリアに
は無縁だ。
「闇米を買わずにくたばったバカ検事」も、プロレタリアには無縁だ。
「武士は食わねど高楊枝」も、プロレタリアには無縁だ。
共産党が受け取りを辞退した分は他のブルジョア政党に配分されている。
つまり、共産党はプロレタリアに対して利敵行為を行っているのだ。
格差社会がますます進行しつつあるいま、分捕れるものは分捕り、党勢を一挙に
拡大すべきではないのか。
何をやるにも銭はかかる。
まして革命の大業においておやではないか。