「スイス連邦行政裁判所は7日、福島第1原発と同型のミューレベルク原発の安全性に問題があるとする反原発団体などの訴えを認め、2013年6月までに稼働を停止するよう命じる判決を出した。原発運営会社のベルン州電力(BWK)は、判決を不服として連邦最高裁判所に上告するとみられる。」
これは昨日のニュースである。
ミューレベルク原発は建設後福島第1原発と同じく40年を経過している。原子炉は縦に上から下までひびが入っていることが解ったのである。
日本でも40年かその近くまで経過している原発が、玄界灘や伊方、敦賀湾にある。私はそれらの原発の原子炉やパイプが高熱と放射能のためにすでに地震などのショックで崩壊するとここに書いて来た。これらの原発を公開すれば明らかになるだろう。福島原発時事故もそうなのだった。
一休和尚はこういった。
「形あるものはすべて壊れる。」
スイスでは日本の原発の事故を知り、危機感を感じた人々が全国5箇所ある原発廃棄の運動に立ち上がったのである。そして数年後にはすべての原発が廃棄される。
廃棄というが現実は廃棄できない。稼動をやめさせ直高熱を出し続ける原子炉を管理するしかないのである。原発をひとたび作れば取り壊すことが出来ない。
そのような人類の手に負えないものを何故作るのか。それは資本というものが利潤追求以外にどんなことにも関心も持たないからである。
資本主義とは目隠しされた馬車馬のように資本が走らねばならない社会制度である。そして世界戦争を二度も経験し人類破滅の危機を生み出す核まで撒き散らせてきたのだ。
資本主義は今日では破壊的になっている。私はこの状態を我慢できない。だから資本主義制度を新たな制度に変更する以外にないと感じている。資本主義制度は改良の余地はない。その条件は熟しきっている。