引用は全て「」で表記し、出典を示さない「」については全て、一般投稿欄2012年2月26日付 日本に福祉国家を 『丸氏の2月19日付の投稿について』からの引用です。
1、
「丸氏より膨大な投稿をいただいたが、膨大な返答を書く時間的余裕にかけるため、いくつかの要点に絞って反論と見解を出すもので、丸氏の見解への反論がなかったから、丸氏の見解を容認したとかの理解はやめていただきたい。」
まず、私の投稿が「膨大な」ものとなったのは、日本に福祉国家を氏の提起、反論にできる限り回答を寄せようと試みた、私なりの日本に福祉国家を氏とその主張に対する誠意と努力の表れ、とご理解いただきたい。また、私にとって日本に福祉国家を氏の主張・見解を知るための唯一の手がかりは、日本に福祉国家を氏自身のさざ波通信投稿文が全てであり、また、その内容が私の投稿・見解に対する批判・反論である場合には、私の投稿のどの部分、どの見解についてどのように日本に福祉国家を氏が批判・反論をしているのか、という事と共に、投稿のどの部分、どの見解については批判・反論を“していないのか”、という点も日本に福祉国家を氏の主張・見解を理解する上で重要な判断材料であると認識している。そのような認識が特別に不当・不自然なものとは考えていない。また、日本に福祉国家を氏が私の投稿・見解に対して選別的に批判・反論“しなかった点”について、それが私の見解を「容認」したものではなく、(「時間的余裕にかける」等の理由から書きはしなかったが)実は批判・反論がある、ということを判断するには、超能力や読心術でも行使しない限り不可能であると考える。そして私は超能力や読心術を行使することができない。むしろ何の確証も無いにもかかわらず、書かれてもいない日本に福祉国家を氏の“批判・反論”を私があれこれ勝手に憶測するならば、それこそ根拠のない決め付けやレッテル張りに堕してしまうおそれの方が強いだろう。しかしながら、それが日本に福祉国家を氏のたっての要望ということであれば(正直、後出しジャンケン的言いがかり、という印象も受けなくも無いが)、日本に福祉国家を氏の恣意的・選別的な“反論したりしなかったり”について、今回はより慎重に取り扱うよう心がけたいとは思う(期待に沿えるかは保証の限りではないが)。
2、
1997年は消費税率が3パーセントから5パーセントへと引き上げられた年であったが、同時に「秋以降のアジア通貨危機の影響(引用者注)・不良債権による大銀行や証券会社の破産・BIS規制による銀行の融資の貸しはがし・貸し渋りによる中小企業の倒産の激増・公共事業削減による失業者の増大というように、・・・・・・多くの経済状況を悪化させる消費税に直接関係をしない経済要因が重」なった年でもあった(注、1)。また、97年以降、深刻な不況と税収減が生じた。
(引用者注)
「7月にタイのパーツがヘッジファンドに空売りをかけられ通貨が暴落するというアジア通貨危機が勃発し、インドネシア・韓国などに飛び火し、アジア諸国が経済の大混乱を招き(韓国ではこの時の危機を朝鮮戦争以来の国難というようである)、日本のアジア向け輸出産業が大きな打撃を受けることとなる。」
このときの日本の経常収支は大きくは減少していないようなので、少なくとも、海外の金融危機が輸出の大幅な減少を招いて急速に景気が悪化した2008年のいわゆるリーマンショック時の状況と同列にアジア通貨危機の影響を論じる訳にはいかないように思われる。
(注、1)
「97年の急激な景気後退と、以降基本的に今日まで続くことになるデフレ不況のさらなる長期化を”(いわゆる9兆円の負担増と言われた、97年の社会保険料引き上げ、所得税特別減税廃止を含む)消費税増税のせいだ”と言うのは、いささか早計かもしれない。少なくともこの時の景気悪化の原因を消費税増税(を含む9兆円の負担増)だけに求めることは、正確さを欠くであろう。」(一般投稿欄2012,2,1付 丸 楠夫 「消費税増税論者が立つ、ある前提について――――その再考を迫るいくつかの点」)
とあるにもかかわらず、
「消費税増税が景気悪化・税収減の主要因と決めつける手法は、詐欺的手法ではないだろうか。」(一般投稿欄2012,2,11付 日本に福祉国家を 「丸氏の2月1日付投稿「消費税増税論者が立つ、ある前提について―その再考を迫るいくつかの点」に関しての反論」)
「丸氏は詳しい97年当時の経済情勢を知らなかったかもしれないが」
と、書いてあることすらまるでなかったかのようにして話を進める日本に福祉国家を氏の態度は、「見解への反論がなかったから、・・・・・・見解を容認したとかの理解はやめていただきたい」と言っていた同じ人の態度とは思えないものである。人はえてして、他人に厳しく自分に甘いものであるが、日本に福祉国家を氏を反面教師として自戒していきたいと思う。
「まず「97年の消費税増税が」「97年以降の景気低迷と所得税・法人税の落ち込み」に影響を与えたかどうかに関してであるが、元財務副大臣の峰埼直樹氏によれば、97年を細かく4期に分ければ、97年1~3月は引き上げ前の駆け込み需要で実質GDP成長率がプラスとなり、4月に消費税引き上げがあり、4~6月期はその反動で大きな落ち込みが生じたが、7~9月期は元に戻っており、消費税引き上げは景気に対しニュートラルとの見方を示している。」
「消費税が景気後退の主要因ではなく、・・・・・・」
「4月に消費税増税後一時は景気が低迷した。しかし、夏には景気が持ち直したが、・・・(中略)・・・秋以降多くの経済状況を悪化させる消費税に直接関係をしない経済要因が重なり97年以降の不況・税収減が生じたと結論づけることができよう。」
「丸氏は詳しい97年当時の経済情勢を知らなかったかもしれないが、共産党・赤旗はそれを知らなかったでは済まない話で、上記で述べたような97年当時の経済情勢を知りながら、故意に隠ぺいし、97年の消費税引き上げで、景気が悪くなり、税収減が生じたと主張するのは、ペテン以外の何物でもない。」
峰埼直樹氏の依拠するデータを文中から特定することはできないが、『社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書』の46ページに、1997年の実質GDP成長率と実質消費支出の四半期ごとの推移がそれぞれグラフで示されている。このグラフを見ると97年1~3月は消費税率引き上げ前の駆け込み需要で実質GDP成長率・実質消費支出ともにプラスとなり、4~6月期でその反動からの大きな落ち込みが生じたものの、7~9月期には「元に戻っ」た、「持ち直した」ように見える。
さて、実質消費支出の推移を示したこのグラフの左上には(前期比 %)と書いてある。また、四半期ごとのGDP成長率は前期比で示すのが一般的かと思われるが、同『報告書』46ページの実質GDP成長率のグラフにも特に断りが無いことから、こちらも前期比でのプラスマイナスをグラフ化しているものと思われる。それを踏まえて、まずGDPのグラフから見ていくと、7~9月期の実質GDP成長率はマイナス0.4パーセントである。これは、「大きな落ち込み」を示した4~6月期(マイナス0・8パーセント)を基準(ゼロ)として、7~9月期はそこからさらにマイナス0・4パーセント実質GDP成長率が低下したことを示している。つまり、4~6月期の「落ち込み」があまりに大きかったために、(実際にはそこからさらに実質GDP成長率は低下しているにもかかわらず)7~9月期は折れ線グラフだけ見れば上向いているように見える、というのが7~9月期の実質GDP成長率の「元に戻っ」た、「持ち直した」の実態であることがわかる。次に実質消費支出のグラフを見ていくと、(実質GDP成長率が更なるマイナスだったのに対し)こちらの7~9月期はプラスを示しているが、このプラスも、あくまで4~6月期の「大きな落ち込み」時を基準(ゼロ)としてのプラスである。基準となる前期(この場合は4~6月期)の「落ち込み」が大きければ大きいほど、ほんのわずかな「回復」であっても数値・グラフ上では相対的に大きく「回復」したように見えるのは、GDPのグラフの場合と同様である。(注、2)。むしろ、こうして改めてグラフで実質消費支出の推移を見ていると、アジア通貨危機後の10~12月期や金融危機後の98年1~3月期の落ち込みと比べても、消費税増税後の実質消費支出の落ち込み(注、3)は決して小さいとは言えなかったように見える。
以上のことから、日本に福祉国家を氏が97年の事例において「消費税引き上げは景気に対しニュートラル」、「4月に消費税増税後一時は景気が低迷した。しかし、夏には景気が持ち直した」とする論拠は定かではないように思われる。また、「共産党・赤旗」に対し(単なる見解の相違、ということを超えて)「97年の消費税引き上げで、景気が悪くなり、税収減が生じたと主張するのは、ペテン以外の何物でもない」とまでに断定的に非難する論拠も定かとは言い難いように思われる。少なくとも(単なる見解の相違、ということを超えて)「97年の消費税引き上げで、景気が悪くなり、税収減が生じたと主張するのは、ペテン以外の何物でもない」とまでに断定的に非難する以上は、日本に福祉国家を氏にとって、ここで私が述べたような事柄は「知らなかったでは済まない話」であると思われるが、どうであろうか。
(注、2)
ただし、同『報告書』には、7~9月期の実質消費支出については前年同期比でも0.4パーセントプラスとなったともあるが、これについては同時に、基準となる前年同期(96年7~9月期)の実質消費支出が低かったため、とする見解についても言及されている。素人考えだと、7~9月期の数値は4~6月期における大きな落ち込みの再反動、消費税増税に伴う乱高下の影響もあるような気がするが、どうだろうか。
(注、3)
中国電力エネルギア総合研究所によると、97年の消費税率引き上げ前の駆け込み需要は約7000億円(96年度の実質民間最終消費支出の約0.2パーセント、同実質GDPの約0.1パーセントに相当)、税率引き上げ後の個人消費押し下げ効果は約7兆1000億円(97年度の実質民間最終消費支出の約2・5パーセント、同実質GDPの約1.4パーセントに相当)と試算している。
3、
「さらに財務省のホームページを見ていくと、97年を境に歳出と公債発行額が大きく増大していることが分かる。・・・・・・公債発行額が増大した要因としては、一つは、”消費税を増税したにもかかわらず引き起こされた”税収減を補うため、もう一つは歳出増に対応するため、が考えられる。次に歳出増については、急激な経済悪化を受けてのいわゆる”景気対策”による多額の財政出動が大きな要因の一つといえるだろう。」(一般投稿欄2012,2,1付け 丸 楠夫 「消費税増税論者が立つ、ある前提について――――その再考を迫るいくつかの点」)
「不良債権問題の深刻化を受け、国会は98年7月から10月まで金融国会を開催し、金融再生法を成立させ、不良債権処理のため銀行などへ約22兆円の公的資金の注入がなされている。 ここでの問題は、不良債権問題はバブル期の銀行の融資の焦げ付きが要因となっており、消費税増税は不良債権問題には全く関係がない問題と指摘しておきたい。」
上記日本に福祉国家を氏の記述は、消費税を増税したにもかかわらず引き起こされた税収減を補うため、急激な経済悪化を受けての財政出動に加えもう一つ、97年を境に歳出と公債発行額が大きく増大した要因について補足的に具体例をあげていただいただけのものであろうか。上記については私から述べるべきことは特に無いように思われる。
4、
「デフレ不況下の消費税増税が景気に悪影響があるかどうかは、経済学者でも見解が分かれるかもしれないが、私は小野善康教授の「消費税増税自体は景気に悪影響を及ぼしません。」(小野善康『成熟時代の経済学』 岩波新書、2012年、117ページ)の見解に依拠したいと考える。」
2008年の内閣府試算によると、消費税率を2パーセント引き上げると初年度には消費者物価を1.63パーセント押し下げ、実質GDPを0.6パーセント押し下げるという。一方内閣府経済社会総合研究所によれば、消費税率を1パーセント引き上げると1年目に実質GDPを0.1パーセント、2年目に0.27パーセント、3年目に0.26パーセント押し下げるという。2011年の野村総合研究所の試算では消費税率を3パーセント引き上げると年間実質GDPを0.24パーセント押し下げるとし、ニッセイ基礎研究所によれば消費税率を1パーセント引き上げると実質GDPを0.24パーセント押し下げるという。2006年の三菱総合研究所の試算では消費税率を10パーセントへ引き上げると(現行から5パーセント引き上げ)、実質GDPは1・9パーセント低下するとし、つい最近の労働総研の試算では消費税率を10パーセントへ引き上げると実質GDPを2・5パーセント押し下げ、100万人以上の雇用を減少させるとし、大和総研の試算によれば消費税率が10パーセントになると、年収500万円硬いで年31万円可処分所得が減少するという。
もちろん、これらは、ある“一方の”見解に過ぎないだろう。しかし、日本に福祉国家を氏自身による記述からは、「消費税増税自体は景気に悪影響を及ぼ」さないとする「見解に依拠したいと考える」理由についてまではうかがうことができない。
5、
「2月25日付け朝日新聞の記事では、世界的格付け会社ムーディーズが「社会保障と税の一体改革」が遅れ、消費税増税ができない場合は、日本国債の格付けを引き下げる意向とのことである。日本の国債の格付けが下がり、そこにヘッジファンドが日本国債への空売りを浴びせれば、ギリシャやイタリアのような日本国債の暴落・金利の上昇という可能性も否定できない。」
「朝日新聞の記事によれば、今日本国債を大量に保有する日本の大銀行が国債暴落対策を真剣に検討してもいるようである。今消費税増税をせず、財政再建へ方向性を示せないという事態に遭遇すれば、世界の市場から日本売りが浴びせられ、極めて深刻な恐慌状況に陥る危険性も排除できない。また国連の専門機関であるIMF(国際通貨基金)からは、日本は早期に消費税率を15%まで引き上げ、財政赤字縮小の方向性を示すべきという提言を受けている。世界のマーケットからは、社会保障と税の一体改革が失敗に終わり、消費税増税が挫折した場合は、日本に財政赤字解消に向けた方向性を示せないという評価が下されよう。」
「世界的格付け会社ムーディーズが「社会保障と税の一体改革」が遅れ、消費税増税ができない場合は、日本国債の格付けを引き下げる意向とのことである」という事から、「「社会保障と税の一体改革」が遅れ、消費税増税ができない場合」に、ムーディーズが「日本国債の格付けを引き下げる」といった事については、それが具体的な想定であることは上の説明からもうかがえる。一方で、「そこにヘッジファンドが日本国債への空売りを浴びせ」る事態や「ギリシャやイタリアのような日本国債の暴落・金利の上昇という可能性」については、日本に福祉国家を氏がどのような具体的想定の基で述べているのか、日本に福祉国家を氏の過去の一連の投稿を読み返してみても定かではない。「今消費税増税をせず、財政再建へ方向性を示せないという事態に遭遇すれば、世界の市場から日本売りが浴びせられ、極めて深刻な恐慌状況に陥る危険性も排除できない。」という記述についても同様である。
また、「消費税率を15%まで引き上げ」ることと「財政赤字縮小の方向性を示す」ことは、厳密には2つの別個の事柄である。消費税増税と「財政赤字解消に向けた方向性を示」す事とを結びつける上で、何が必要なのか?という問題意識に立って、私は
「消費税増税によって税収増を実現するためには、少なくとも次の条件のうちのいずれかが絶対に不可欠であることがわかる。
①消費税収以外の税(その他の)収入が(消費税の増収分以上に)減らないこと。または
②所得税・法人税(その他の)収入の減少を補って余りある消費税(収が見込めるだけの消費税)率を設定すること。」
「消費税増税が必ずしも財政再建に直結するものではない=消費税増税を財政再建に結びつけるためには、先に見てきた①②の条件に加え、
③歳出・公債発行額が増大しないこと。もしくは
④歳出・公債発行額の増大を補って余りある消費税(収が見込めるだけの消費税)率を設定すること
という条件が必要であることがわかる。」
「<ア>、たとえ消費税率を引き上げても、それによる税収増加分以上の所得税・法人税減収をもたらす景気後退が起これば、せっかくの消費税増税による増収までもが無効化されてしまうこと。
<イ>、そもそも消費税(増税)それ自体が、消費支出に対していわばペナルティを課すがのごとき租税方式であり、とりわけ97年当時および現在のデフレ不況下においては、消費・内需をますます抑制・縮小させる方向に作用し、デフレ不況を悪化・長期化させる要因となるであろうことが強く懸念されること。」(一般投稿欄2012,2,1付け 丸 楠夫 「消費税増税論者が立つ、ある前提について――――その再考を迫るいくつかの点」)
という提起を行った。今のところ<イ>の妥当性について以外の応答はどなたからも頂けていないものと解している。
6、
「福祉の拡充と消費税増税がセットとして提起され、増税が確実に国民への行政サービスの向上という見返りを国民が感じられれば、消費税増税が消費・景気に悪影響することはないと考える。」
「消費税増税が・・・・・・社会保障・生活保障の拡充に確実に結びつくなら、消費税増税が国民の暮らしを破壊するということはないであろう。」
「消費税増税が消費・景気に悪影響することはないと考え」たり、「消費税増税が国民の暮らしを破壊するということはないであろう」と言ったりできるのは、「福祉の拡充と消費税増税がセットとして提起され、増税が確実に国民への行政サービスの向上という見返りを国民が感じられれば」、「「消費税増税が・・・・・・社会保障・生活保障の拡充に確実に結びつくなら」、といった条件を満たす限りにおいてである(代替不可能な条件である)、というのがここで述べられていることである。逆に「福祉の拡充」や、「増税が確実に国民への行政サービスの向上という見返りを国民が感じられ」ること、「社会保障・生活保障の拡充」それ自体にとっては、消費税増税は(少なくとも理屈の上では)代替可能な条件(財源)にすぎない、という点については確認しておく必要があるだろう。つまり
「スウェーデンのように消費税が25%(食料などへの軽減税率あり)でも大学の学費が無償で、国民が学費を払う必要がない国(公助)がよいのか、日本のように税負担は低いが、大学学費を多く国民が自己負担しなければならない国(自助)か良いのかという選択の問題で、高福祉高負担(大きな政府)か、低福祉低負担(小さな政府)かという選択肢の問題となろう。」
という文中には、「(公助)がよいのか」「(自助)か良いのかという選択の問題」、「高福祉高負担(大きな政府)か、低福祉低負担(小さな政府)かという選択肢の問題」とともに、「(公助)」「高福祉高負担(大きな政府)」を消費税増税によってまかなうか、という「選択の問題」も含まれることになる。つまり「(自助)」「低福祉低負担(小さな政府)」か“消費税増税か”という「選択の問題」となるわけでは必ずしもない、とは言えるだろう。
7、
「税の応能負担原則・累進性に関して検討したいが「人生前半の社会保障の充実」を主張している著名な社会保障学者の広井良典千葉大教授の論は、「消費税そのものに一定の逆進性があるとしても、その使途まで総合して考えると、全体としてはむしろ中所得者以下の層に大きな恩恵があるという点だ。つまり、たとえば1970年代頃までは政府支出に占める社会保障の比重が小さかったため、富の再分配は(税率の累進性)による部分が大きかった。しかし現在では日本を含め先進諸国の政府予算の最大の項目は社会保障である。このため税を『集める』段階より『使う』段階で強い再分配機能が働くことになる。これまでの日本がそうだったように、消費税に反対して結果的に社会保障の充実を遅らせることは低福祉となりかえって生活保障が弱くなる恐れがある。」(広井良典「ポスト成長時代の社会保障」『世界』2012年3月号、岩波書店)とある。
広井氏の議論のように、昔社会保障の不十分な段階では所得の再分配は税で行う割合が高く、税の応能負担の原則が強く求められたが、今日のように社会保障が拡充し社会保障による所得再分配が大きな位置を占める中では、税の応能負担の意味は相対的に低下し、福祉の充実した欧州福祉国家がどこも逆進性があるという消費税の税率が高くなっている。(消費税率スウェーデン・デンマーク25% イギリス20% フランス19.6% ドイツ19%など)食料品など軽減税率あり」
「現在では日本を含め先進諸国の政府予算の最大の項目は社会保障である。このため税を『集める』段階より『使う』段階で強い再分配機能が働くことになる」とあるが、「税を『集める』段階」抜きには「『使う』段階」もないのであり、「『使う』段階で強い再分配機能が働く」といっても、それは「税を『集める』段階」を経た後のことである。そもそも再分配機能において「税を『集める』段階」での集め方とそれを「『使う』段階」での使い方は一連・一体であり、「政府予算の最大の項目(が)社会保障」となったことで「政府支出に占める社会保障の比重が小さかった」時代に比べ「『使う』段階で(の)強い再分配機能が働く」ようになったからといって、再分配機能に適った税の集め方(応能負担原則・累進性)の意義が低下することにはならないのではないだろうか。たとえば、応能負担原則・累進性に依らない財源で一律の学費無償化や子供手当てのような一律の手当てを実施した場合、応能負担原則・累進性に基づけば求められた(得られた)はずの高所得者等の負担(税収入)は望めない(得られない)ままに、社会保障(的)支出だけが一律に行われることになる。ここには収入・資産の多い者から少ない者への再分配機能はなんら働いていない。しかも、逆進性の高い方法で徴収された財源でこのような施策が行われるならば、むしろ「富の再分配」という観点からすればマイナスでさえある。そうでなくとも、消費税増税に伴って年金支給額をスライドさせたり、あるいは給付式税額控除などを導入すれば、当然そのことだけで支出が増えることになる(軽減税率の場合は新たな支出こそ増えないが、本来の税率での税収よりその分税収が減るので、消費税増税に伴う形を変えた支出増と言えなくも無い)。つまり、「税を『集める』段階」での再分配機能(応能負担原則・累進性)を軽視・後退させればさせるほど、その分だけ、「『使う』段階」での支出を増やす必要が生じるだけなのではないだろうか。「税を『集める』段階」での再分配機能(応能負担原則・累進性)強化は「『使う』段階」での「再分配機能」を損なわないし、むしろ強化することに役立ち得るが、その逆は無いのではないだろうか。
8、
「貧困率データーを見る限りでは、税の応能負担の原則を踏み外し、逆進性が高い消費率が高いスウェーデンの貧困率が一番低く、消費税率の低い日本の貧困率がスウェーデンの貧困率の約3倍にものぼる。税の応能負担の意味が所得の再分配であるとすれば、世界で消費税率が高いスウェーデンが最も平等で少ない貧困率であり、消費税率の低い日本はスウェーデンの約3倍の貧困率にあり、広井教授の主張は世界の貧困率データからも実証されている。」
スウェーデンが「税の応能負担の原則を踏み外し」ている(にも関わらず貧困率が低い)という指摘については、また別に検討したいと思う。
9、
「次に法人税など直接税の引き上げは極めて難しい問題と指摘したい。」
「世界では法人税引き下げ競争がし烈を極めている。」
「究極はキューバ近くの西インド諸島に位置する英領ケイマン諸島で、法人税ゼロ・政府への年間法人登録税600米ドルのみという究極の法人税回避地で、人口45000人の小さな島に世界の多くの金融機関が登記上のみの本社を置き、世界34位の世界の金融センターと統計上はなっている。 やはり法人税ゼロの国が存在すれば、世界の企業は登記上だけでも本社を小さな島に移すことも企業はいとわない。」
「法人税の世界的引き下げ競争がある中で、日本だけ法人税引き上げをすることは現実的でなく、結局財政危機の中で、社会保障拡充の財源を大幅に増やすには消費税増税という現実的選択肢しか残されていないと理解するべきだ。」
根本的な問題として「法人税の世界的引き下げ競争」を是正する必要があり、それが「難しい問題」であるのは確かであろう。しかし「難しい問題」であるかどうかと、その「問題」を避けて通ってしまってもよいかどうかは別個の問題であり、取り組んではいるが(「難しい問題」であるために)なかなか成果が挙げられない、というのとそもそも取り組もうとすらしない、ということでもまた、話は違ってくることであろう。
以上は一般論としても、何も法人税率に話を限定せずに社会保険料負担も含めた企業の公的負担で見れば、日本に福祉国家を氏が消費税率が高い国や(日本に比べてはるかに)貧困率の低い国として挙げている国々と比べて、日本の企業負担はまだずいぶんと低いようであるから、むしろ国際的観点から言っても日本の企業負担の引き上げ余地は相当ある、とさえ言えなくも無い。また、企業の海外所得に対する課税強化とか移転価格への対応だとか各種優遇税制の問題だとか、税率をいじる以前にも、法人税収の確保を含む企業の公的負担強化を考える上で、日本一国でもできること、やるべきことはあるであろう。
また、「法人税ゼロの国が存在すれば、世界の企業は登記上だけでも本社を小さな島に移すことも企業はいとわない」という日本に福祉国家を氏の言葉に反して、「法人税ゼロ・政府への年間法人登録税600米ドルのみという究極の法人税回避地」であるはずの「ケイマン諸島」に「登記上のみの本社を置」くのがもっぱら「金融機関」ばかりであることを考えると、金融業以外の多くの業種・企業にはたとえ「登記上のみの本社」ですら「法人税ゼロの国」というだけではおいそれと移せない理由があるものと推測できるが、このようなもっぱら金融機関ばかりが享受している逃げ得は、経済競争上の公平性の観点からも早急に是正されるべきであろう。
少なくとも、無為無策によって「消費税増税」以外の「現実的選択肢」をみすみす失ってしまうようなことだけは、あってはならないはずである。
10、
「リーマンショック前後の税収比較であるが、法人税収が2年で半減以上しているのに対し、消費税収の落ち込みは小さく、消費税収がきわめて安定した財源であることは明白である。」
なぜ「リーマンショック前後の税収比較」においてさえ「消費税収がきわめて安定した財源」となっているのか?
「消費税は取引にかかる税金だ。所得税や法人税のように所得や利益の裏付けが在るわけではない。」(一般投稿欄2012,2,17付 風来坊 「消費税増税について」)
「消費税収がきわめて安定した財源」となっているのは、不況で大幅に「所得や利益」が減収している国民・企業からも、そんなことにはお構いなしに徴税するからこそ、とも言える。消費税の逆進性と言うと所得階層間の逆進性が語られることが多いが、それに加えて、消費税には(不況などで)「所得や利益」が減少した時期ほど負担が重くなる、というもうひとつの逆進性がある。応能負担原則・累進性に基づく課税であれば、不況などで(一時的に)所得や利益、資産の少なくなった時・状態の人や企業の課税負担も軽減する。しかし消費税はそのような機能を持たない(むしろ逆行する)税制なので、所得や利益、資産の少ない人や企業、そして不況などで(一時的に)所得や利益、資産の少なくなった時・状態の人や企業に対する公的な対処は税を「『使う』段階」、社会保障等の支出による方法のみに全く依存することになる。だが、そのような公的な対処が必要となる層、あるいは時期(不況時)は、多くの場合同時に、すでに述べた消費税の二つの逆進性によって消費税負担が大きくなっている層あるいは時期とも重なるであろうから、税を「『使う』段階」、社会保障費等の支出において、それらの層・時期の消費税負担を十分に相殺できるだけの“上乗せ”が行われる必要が生じるということになりはしないだろうか。つまり、消費税率を引き上げれば引き上げるほど、そのこと自体が社会保障費その他の支出をいっそう増大させる必要性を生じさせることになるのではないだろうか?もしそうだとすれば、消費税収の安定性という利点は、所得・資産の多少や好況期と不況期との再配分機能を、税を「『使う』段階」での支出増によってあがなっているだけ、ということにもなりそうである。
消費税の二つの逆進性、「税を『集める』段階」での反再分配機能を緩和するには、複数税率や好況期と不況期で税率を変動させる必要があるが、(後者については言うまでもなく)生活必需品等への消費税の軽減や非課税を行えば、消費税収の安定性は損なわれることになるだろう。不況期においても消費税収が減りにくいのは、不況期においてもそうそう減らすに減らせない消費支出に対しても、情け容赦なく課税しているからこそのものである。その、不況期においてもそうそう減らすに減らせない消費支出において軽減税率や非課税の範囲を拡大すればするほど、「安定した財源」としての利点は損なわれていくことになるだろう(逆に軽減税率や非課税の範囲を狭めれば狭めるほど、そんなことをするそもそもの意味が低下する)。
以上のようなことについて確認しておくことも、決して無益ではないと思われる。
「企業活動でも・個人が預金などする際にもリスクの分散ということはよくおこなわれることである。例として、間接税収が減らないという仮定で直接税8割・間接税2割の割合で直接税収6割減の場合は、税収全体で48%の税収減となる。仮に直接税2割・間接税8割なら、6割減でも税収全体の12%が減少するに過ぎない。リスク分散の観点からは景気の影響を一番受け、税収が激変する法人税や所得税の割合を減らし、消費税収の割合を上げることは、不況による税収の激減・財政危機の影響を最小限化する一番の方法であり、税収の安定性こそ消費税の一番の優位性でもある。」
一口に直接税と間接税の比率を変える、と言っても、たとえば直接税の税率を限りなく引き下げていくだけでも間接税の比率は結果的に拡大してしまうが、それでは「税収の激減・財政危機の影響を最小限化する」ことを見据えた「リスクの分散」にはならないだろう。したがって、直間比率の問題とはまた別に、応能負担原則・累進性に基づく直接税制の拡充・強化は日本に福祉国家を氏の言う“「税収の激減・財政危機の影響を最小限化する」ことを見据えた”、「リスクの分散」の上ではなんら矛盾しないばかりか、是非とも早急に実行するべき方策とさえ言い得るであろう。少なくとも、“「税収の激減・財政危機の影響を最小限化する」ことを見据えた”「リスクの分散」という観点に立つのであれば、単純に直接税と間接税の比率“だけ”を言うのは、いささか本質から外れるように思われる。
「ぜひ消費税増税に反対される丸氏には、美濃部都政の教訓を踏まえ、直接税依存の税収構造で、恐慌・不況期の税収激減期にどのように行財政運営されるべきかという見解をお聞きしたい。」
私がこれまで言ってきたことは、消費税増税の優先順位(消費税増税ばかりを最優先させる、消費税増税“だけを”最優先させること)についてや思慮に欠けた消費税増税論に対する批判であり、それを「消費税増税に反対される丸氏」と断定する日本に福祉国家を氏の文章読解力には大いに不安を禁じえないが、それはさておき。
応能負担原則・累進性に基いた再配分とは、現時点での所得・資産額に基づいた階層間の再配分ということだけでなく、好況・不況に伴う所得・利益等の増減に対する再配分ともなり得る(時間軸での再配分)。それに加えて、日本に福祉国家を氏が縷々述べられる「美濃部都政の教訓」を踏まえつつ一言述べるとすれば、好況期の税収増と不況期の税収減は一連・一体のものとして捉えるべきものであろう、ということではないだろうか。(好況期に)入ってくる金を入ってくるそばから入ってくるだけ全て使い切ってしまえば、その金が入ってこなくなったとき(不況期)に窮するのは当然とも言えるし、また不況期にはたとえ税収減・赤字でも、不況脱却(とそれによる税収増)を図るため財政出動しなければならない場合もある。好況と不況、税収増と税収減をサイクルとして考えるなら、不況・税収減の局面では公債発行もやむをえない場合はありえる(逆に好況局面でむやみに歳出を拡大させることは、経済政策として見ても景気を過剰に過熱させる危険性があると言える(注、4))。また、経済変動に伴って税収が変動することや、「常識的には好景気な時より恐慌・不況期の方が失業者の増加などによる生活保護費の増加や失業対策費の増加など行政需要は拡大し、歳出は増大するはずである」あること、あるいはそもそも政府の歳入も歳出もそれ自体が経済の一部であること等を考えれば、経済と税収(歳入)と財政支出を一体的に考えること、経済の安定を図ること、は、それ自体が財政リスクの分散に通じるあり方であるとも言える。
これらは「行財政運営」論としてはごくごく一般的な部類の話でもあろう。
(注、4)
過剰消費によって経済が危機に直面しつつあるような局面においてなら、経済政策という観点から見て、消費税(増税)は有効かもしれない。
もう少し「恐慌・不況期の税収激減期」に絞った話をしろ、ということなら、「恐慌・不況期」こそ、より徹底して再配分機能を行使する必要があると提起したい。もちろんここでの再配分は“時間軸での再配分”ではなく、一般的な所得・資産による階層間の再配分である。とりわけ、経済において内需・個人消費の占める割合が大きい日本においては、(相対的に)有るところから(相対的に)無いところへの富の移動を政策的に進めて消費の底上げを図ることが、「恐慌・不況期」から脱却する上で是非とも必要となることではないだろうか。その観点から言えば、逆進性の高い方法によって歳入を確保することは、歳出の経済効果を低下させる(あるいは逆進性の問題それ自体が歳出を増大させる必要を生じさせる)点で好ましくないと言える。以上を踏まえれば、「恐慌・不況期の税収激減期」の税収確保策(増税)としては、まず何よりも所得・資産に対する徹底して累進的な増税こそが最優先の第一選択肢となるであろう。また、歳出においてもその安易な増大に対して慎重でなければならないとすれば、一律的、あるいはあらゆる層に向けての(再)分配的な歳出ではなく、(相対的に)無いところへの富の移動につながる歳出・再分配のあり方をより徹底することが重要になると言えるだろう。そうしてこそ、相対的に少ない歳出規模でより大きな経済効果を期待することが可能となるのではないだろうか。例えば、大型開発型事業ではなく家計・生活、労働者雇用の大半を担う中小企業、地域経済により直接的に寄与する事業への歳出に特化する、あるいは社会保障分野においても、再配分的でない一律的な支給ではなく、より再配分的なあり方を強化する(注、5)、といったことが必要であろう。また、大規模な財政出動を伴わない諸施策による、(相対的に)有るところから(相対的に)無いところへの富の移動の政策的誘導・促進(下請け保護規制や労働法制の強化・拡充等々)も、いっそう積極的に取り組まれる必要が出てくるだろう。
(注、5)
かつて、“高齢化問題は障害者問題である”と喝破した人がいた。その人の言わんとしたことは、“加齢に伴い心身が衰えれば皆“障害者”になるのだから、すべての健常者にとっても障害者問題は自分自身の問題となるのだ“という趣旨であったが、その本来の趣旨を離れても、上の言葉は社会保障のあり方について考える上で示唆に富むものであるように思われる。
高齢化問題を障害者問題として捉えるならば、高齢者福祉の問題は“(高齢によって)心身に障害を持つ人に対する”福祉の問題、という観点が生まれる。もちろんそれだけでは高齢者福祉の一面を言い表しているに過ぎないが、そこからさらに“(高齢によって)収入・生活費の確保が困難になった人に対する”福祉の問題、等々、等々と考えていけばどうなるであろう?
“高齢”はあくまで、障害を持ったり、収入の確保が困難になったりする理由・原因の内の一つである。そして、社会保障が果たすべき役割としては、(“原因”の如何にかかわらず)障害や収入確保の艱難という“結果”に対して如何にサポートするかがまず重要なことであろう。もちろん、高齢になればなるほど心身に障害を持ったり、生活費の確保が困難になったりする人の割合が増大することもまた確かであろうが、一律の年齢によって、一律の社会保障給付の対象としたりしなかったりすることに、果たしてどの程度、意義や合理性があると言えるのだろうか?むしろ、年齢(高齢)に対してではなく、収入や資産、障害等のせいで、一定水準の生活が送れなくなることのないよう社会保障を整備していく、という発想・方向性を持たない限り、“世代間対立・世代間格差”論や“年寄りが増えて困る”式の議論からは脱却できないであろうし、また、そのような議論に止まることは生産的でも合理的でもないように思われるが、どうであろうか。
また、「美濃部都政の教訓を踏まえ」という日本に福祉国家を氏の提示する条件からは逸脱してしまうかもしれないが、国の場合には通貨の発行権・供給量調整や金融政策を行使し得る点、「恐慌・不況期の税収激減期」における「行財政運営」上の(財政出動以外の経済政策)裁量余地は地方自治体よりも大きい。もちろんそれらの操作だけで直接に実体経済の改善にどれほど寄与するのかは、(金融規制緩和や戦争や口を開けば減税ばかり言い出す共和党政権の一切合財の尻拭いまでを、多く金融政策の調整で引き受けさせているかの観もある)近年のアメリカの例から見ても大いに疑問である。しかし第一次大意戦後ドイツのレンテンマルクマルクや実質実効為替レートからは乖離した近年の円高傾向等を勘案すると、トータルで見た経済政策の一環として、あるいは他の経済政策との組み合わせとして見て、それら一般が「恐慌・不況期」の(かつ、それ自体には大規模な財政出動を要しないという点で「税収激減期」の)政策対応として、考慮の余地のあるもの、とは言えるのではないだろか。
11、
「次に丸氏は金融資産課税の問題も提起されているが、私は以前述べたようにどのように金融資産を税務当局が把握し、タンス預金(今なら貸し金庫預金)を防ぐのかの方法を編み出すことが必要であろう。現在所得税でクロヨン問題とよく言われるように、自営業者などの確定申告の所得把握が十分に行われていない現状からは、少ない税務署職員でどれだけの資産把握が可能か疑わしい。いずれにしろ消費税増税は行なったうえで、金融資産課税は研究課題にすべきと考える。」
消費税を実際に納税するのは企業や「自営業者など」になる。企業や「自営業者など」が消費税分を販売価格に転嫁することで(その転嫁がそもそも理屈どおりに行かない、という問題については一般投稿欄2012,2,17付 風来坊 「消費税増税について」参照)、最終的に、あるいは結果的に、消費者・国民一般が消費税として納税されることになる“金額分を”負担する。したがって「現在所得税でクロヨン問題とよく言われるように、自営業者などの確定申告の所得把握が十分に行われていない現状からは、少ない税務署職員でどれだけの資産把握が可能か疑わしい。」というのは、消費税の徴収については例外、という話でもない(注、6)。“消費税増税に比べたら、金融資産への課税による税収なんてお話しにならないくらい小さい”ということでない限り、両方が共通して抱える課題を理由として、どちらか一方(この場合は消費税増税)だけを先行実施し、どちらか一方(この場合は金融資産課税)については研究課題にとどめてしまう理由とは成り難いように思われるし、消費税収を確保していく上でも日本に福祉国家を氏の上記のような指摘は当然重要な課題となるものと思われる。
また、現行すでにタンス預金化しているものについてはともかく(新たなタンス預金化を防ぐための一試案については一般投稿欄2011,12,10付 丸 楠夫 「日本に福祉国家氏の消費税増税論について」参照)、各金融機関が把握している情報の精度を考慮すれば、少なくとも(消費税の徴収にも当然かかわってくる)「自営業者などの確定申告の所得把握」と比べて、より正確な課税ベースの把握が金融資産課税の場合は見込み得るように思われる。
もちろん検討すべき課題はまだまだあるかもしれないが、金融資産課税が消費税(増税)と比べ、税制として、また税収確保策としてそこまで格段に劣るものであろうか?
(注、6)
「さらに見逃せないのが、フリンジベネフィットとして企業の消費活動に対する仕入税額の扱いなども、実質的なクロヨン問題が消費税でも存在しており、解決すべき問題だと指摘されている。」(峰埼直樹「民主党はなぜ消費税増税に舵を切ったのか」『世界』2012年3月号、岩波書店)
また、国税庁発表の22年度租税滞納状況を見ても、新規発生滞納額の約半分は消費税である。税目別で見ても、消費税の滞納額は過去10年以上に渡って一貫してずば抜けて高い水準である。
12、
「丸氏からはスウェーデンなど欧州諸国での消費税引き上げの詳しい経緯への質問があったが、詳しく述べるには一冊の本にもなるような膨大な分量に上るため、・・・・・・」
ここで「質問」云々に該当する箇所(一般投稿欄2012,2,19付 丸 楠夫 「日本に福祉国家を氏の2月11日付「反論」について」参照)は、直接には
「私は欧州諸国で消費税引き上げによる恐慌が発生したという話は聞いたことがない。」(一般投稿欄2012年2月11日付 日本に福祉国家を 「丸氏の2月1日付投稿「消費税増税論者が立つ、ある前提について―その再考を迫るいくつかの点」に関しての反論」)
という日本に福祉国家を氏の発言に感じられた投げやりさ、いい加減さに対する批判・非難を込めてのものでもあったことを、一応言及しておく。
13、
「株式市場でも株価は業績がよい、将来性があるなどの企業の株価が上昇するもので、逆の場合は下落するものと理解している。最近の対ユーロでの円高は、欧州で政府債務の信用危機が進み、ギリシャやイタリアなどがデフォルトの危険があり、その危機が他の財政が悪い国(スペイン・ポルトガル・アイルランド・東欧)などに飛び火する危険があっるという日本の現在の状況より厳しい状況が、対ユーロでの円高要因と考える。」
円高の要因の一つとして、日本に福祉国家を氏が指摘されるようなことを否定するつもりは私には毛頭無いが、通貨の場合は株式とは違い、持っているだけでもそれ自体から配当が見込める、という訳ではないので、株式市場と比べれば、その変動にはより需給バランス等々(たとえば通貨供給量とか)に伴う影響がより強く見られるといえるのではないだろうか。
「円高、と一口に言っても、日本と他の主要国それぞれの物価変動も考慮した為替変動指標である実質実効為替レートにおいては、どうも円高とはなっていないようなのである。とすれば、今日本経済や日本の輸出産業を苦しめているとされている円高とは、日本のデフレ経済のもう一面に他ならないのではないか?少なくとも、日本に福祉国家を氏のように「大企業の利益は、外因的要因に大きく左右され、極めて不安定である。」とか、「円高解消は、外国頼みの側面も大きい。」などとばかり言う前に、日銀が金融緩和をする、通貨供給量を増やす、日本政府がデフレ脱却に寄与するような政策に取り組む、とか、日本一国でもできることはあるのであり、それによって円高を是正できる余地もまだあるはずなのではないか?そしてそういったことを、日銀や日本政府はやっていない、出来ていないのではないか?」(一般投稿欄2012,2,19付 丸 楠夫 「日本に福祉国家を氏の2月11日付「反論」について」)
少なくとも、あらゆる事柄をただ闇雲に宿命や運命のごとく見なしてしまうとすれば、選択や行動の余地を自らみすみす狭めてしまう事にもなりかねない。
14、
「日本共産党は、日本の産業をどのように発展させるのかという産業政策がなく、・・・・・・」(一般投稿欄2012,1,28付け 日本に福祉国家を 『桜さんへ 「企業負担について」』)
と言う日本に福祉国家を氏の主張に対し、日本共産党にも「「産業政策」ないし「産業政策」と言い得るもの」はあり、「それを、「産業政策」として不十分である、とか、「産業政策」として間違っている、と言うのならともかく、「産業政策がな」い、と言う日本に福祉国家を氏の主張は、事実に基づかず、事実に反し、論理的整合性も無い主張である。」と私は指摘した(一般投稿欄2012,2,1付 丸 楠夫 「消費税増税論者が立つ、ある前提について――――その再考を迫るいくつかの点」参照)。おそらく私のその指摘を受けてのものであろうと推測されるが、日本に福祉国家を氏の以後の投稿中に、
「共産党が・・・・・・いくら主張しても、・・・・・・共産党に経済政策・産業政策はないと結論付けざるを得ない。」(一般投稿欄2012年2月11日付 日本に福祉国家を 「丸氏の2月1日付投稿「消費税増税論者が立つ、ある前提について―その再考を迫るいくつかの点」に関しての反論」)
「・・・共産党の政策とは、真の意味での政策とは言えないのではないだろうか。」
「共産党中央が主張する、・・・・・・政策が果たして本来の政策といえるのか、はなはだ疑問である。」
といった記述が見受けられる。
だがそもそも、「真の意味での」での、とか「本来の」、といった“余計な修飾語抜きの” 「日本共産党は、日本の産業をどのように発展させるのかという産業政策がなく、・・・・・・」という日本に福祉国家を氏の主張を受けての、(「「産業政策」として不十分である、とか、「産業政策」として間違っている、と言うのならともかく、」)「「産業政策がな」い、と言う日本に福祉国家を氏の主張は、事実に基づかず、事実に反し、論理的整合性も無い主張である。」という指摘に対して、「・・・共産党の政策とは、真の意味での政策とは言えないのではないだろうか。」「共産党中央が主張する、・・・・・・政策が果たして本来の政策といえるのか、はなはだ疑問である。」等と日本に福祉国家を氏が言っているとすれば、明らかに論点がずれていると言わざるを得ない。ただ、明確な前言撤回こそしていないものの、「真の意味での政策」云々の表現から、日本に福祉国家を氏も、(「真の意味での」とか「本来の」と形容できるかどうかはともかく)「共産党の政策」「共産党中央が主張する、・・・・・・政策」が“ある”、ということは(つまり、「日本共産党は、日本の産業をどのように発展させるのかという産業政策がな」い、と言った自分の主張が「事実に基づかず、事実に反し、論理的整合性も無い主張である」ことは)十分認識されたのであろう(注、7)。
(注、7)
かつて日本に福祉国家を氏は、
「共産党中央は、他の問題でも過去の誤りを認めることなく、見解変更のみでその場を取り繕う対応を行なう傾向が強い。過去の誤りは誤りでしっかり総括・自己批判し、その上での方針変更しなければ、誠意ある対応とはいえないものである。」(一般投稿欄2009/5/29 日本に福祉国家を 「日本共産党のソ連評価の経緯から見る問題」)
と、正しくも指摘していた。今回そのような”正しさ”を、自己の「対応」においては貫徹できなかった点が悔やまれる。
それとも、このような理解に対しても
「膨大な返答を書く時間的余裕にかけるため、いくつかの要点に絞って反論と見解を出すもので、丸氏の見解への反論がなかったから、丸氏の見解を容認したとかの理解はやめていただきたい。」
と、また(後出しジャンケンさながらの)お叱りを、日本に福祉国家を氏から受けてしまうことであろうか?
15、
「ところで、89年がバブル景気の真っ只中であることに「全く触れずに」、「89年の消費税導入時は所得税・法人税収は減るどころか大幅に増加している。」事を持って、「「消費税増税は、所得税・法人税の税収減につながる」という前提は崩壊する。」「と決め付ける手法は」、日本に福祉国家を氏の定義においては「詐欺的手法」には当たらないのであろうか?あるいは、「97年以降の所得税・法人税収の落ち込み」には「消費税以外の別の要因」“も”あった事を持って、「97年以降の所得税・法人税収の落ち込みは、消費税以外の別の要因によるものと理解することが妥当である。」(日本に福祉国家を 『反論』)「と決め付ける手法は」、日本に福祉国家を氏の定義においては「詐欺的手法」には当たらないのであろうか?日本に福祉国家を氏にとっての「詐欺的手法」なるものの判断基準がいったいどこにあるのか、正直、私には全くわからない。」
「日本に福祉国家を氏は、「丸氏は、歳出の増大が悪かのような議論をされているが」と言い、あるいは『反論』の後半部分でも再び、「国の歳出が増えることが悪であるかのような丸氏の見解では、介護医療などの分野での内需の拡大は不可能である。」と述べておきながら、私のどの文章・どの語句が、どのような文脈・解釈によって「歳出の増大が悪かのような議論をされている」と言い得るのか、「国の歳出が増えることが悪であるかのような・・・・・・見解」と見なし得るのか、全く明らかにしていない。そうである以上、これは根拠のない言いがかりと言わざるを得ないだろう。私の主張に対して根拠を全く示さない・示せない言いがかりをつけていること、そのような言いがかり的解釈をさも私の主張であるかのように見立てて私への反論を展開している(かのように偽っている)こと、の2点について、日本に福祉国家を氏には猛省と真摯な自己批判を促したい。」(一般投稿欄2012,2,19付 丸 楠夫 「日本に福祉国家を氏の2月11日付「反論」について」)
私に対して「詐欺的手法」という非難を加えたり、「根拠を全く示さない」断定をしておきながら、いざそれへの反論や不当性についての指摘を受けると、「返答を書く時間的余裕にかけるため、いくつかの要点に絞って反論と見解を出すもので」云々、としてなんらの回答も示さず、しかもそのような無回答について、「丸氏の見解への反論がなかったから、丸氏の見解を容認したとかの理解はやめていただきたい。」と言い放つ日本に福祉国家を氏には、そもそも自身の発言に対する誠意や責任感が著しく欠落しているのではないかと疑わざるを得ない。自身の言ったこと、書いたことにさえ誠意も責任感も持たないような人物との間に、果たしてまともな討論が成立するのか大いに疑問を感じる今日この頃である。