小宮山量平さん、4月13日の夕刊でご逝去を知りました。葬儀も告式も行わないという遺志は、生涯を貫く反骨の精神を堅持した証しですね。
教師という職業に自信を失い失意の日々を送っていた若い頃、あなたが世に送り出した灰谷健次郎さんの『兎の目』『太陽の子』を相次いで読む機会に恵まれました。なにかが私の心にわき出る想いでした。小宮山さん自らが選者となっている愛読者文集応募のことを知り応募しました。臨時的任用教員として時間講師時代のことを綴った文章は、三冊に及んだ『99の人生との出会い』に掲載していただき、それがあなたとの出会いでした。
あなたは戦時中も平和への意志を持ち続け、戦後は季刊雑誌『理論』に拠って、戦後の民主化と文化の創造に努めました。しかし、GHQの検閲は厳しく小宮山さん自らの評論も他の論者の文章も伏せ字や発禁の処分を受けました。あなたは児童文化に将来を期待して、大阪の野上丹治兄弟の作文集『つづり兄弟』や創作児童文学・脚本として、近藤健、今江祥智、倉本聰、灰谷健次郎など次々にすぐれた文学者を子どもたちに出会わせて下さいました。
なによりも、小宮山さんご自身が長編自伝小説『千曲川』四部作を世に送り出し、路傍の石文学賞を受賞されました。数々の評論集を出版されました。日本の出版界の前途を憂い、青少年に希望を与える営みに取り組まれました。郷土の信州と上田市とを愛して、美術館や出版ミュージアムの建設にも取りくまれました。草の根から文化を耕し続けたあなたの営みは忘れ去られることがないでしょう。小宮山さん、私達は自らの足元であなたを継承していきます。