野村監督は監督としての力量もさることながら、人生の名言も数多く残している。私はその中でも、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのが一番気に入っている。この名言は私が共産党に、いま、一番言いたいセリフでもある。
共産党が選挙でなぜ勝てないのか。これは「負けた理由を科学的に検証しない」からである。「負けには、必ず要因がある」この分析を放棄し、「反共攻撃が行われた」あるいは、「方針は正しかったが国民が理解しなかった」、「中央は正しい方針を出したが、下部の党員がその方針通り戦わなかった」、もしくは「赤旗新聞の拡大が進んでいなかった」と総括している。
この総括はいつも同じであるから、戦う前からわかっている。また具体的実践的総括でないから、次回以降の戦いの武器にもならない。だからまた負ける悪循環である。
この状況を捉えて私が敢えて思うのは「ばっかじゃなかろうか共産党♪」(このフレーズは野村監督が楽天の監督の際、交流戦で巨人軍と戦い、巨人軍のボーンヘッドで勝った際、上機嫌で歌った言葉(替え歌)である。)この総括(方針)を取り続ける限り負け続ける。以下具体的に共産党は何を間違っているのかを見てみたい。
<まず基本的なことから見ていきたい。>
選挙は政党間の戦いであると共に階級闘争でもある。それぞれの政党は国民のいろいろな階層を体現している。自民党は、基本的には大企業や富裕層の意向をくんだ政党である。公明党は創価学会という宗教政党であるとともに福祉(弱者を抱えた)政党である。民主党は、自民党政治に飽き足らない国民の中間層を取り込んだ政党である。労働組合の多くも支援している。ここまで説明し、共産党はどの階層を代表した政党なのか、現状ではイメージしにくい政党になっている。本来共産党は労働者階級の政党であり、働く勤労国民の政党(農民漁民なども含む)でなければならない。
現在の共産党の最大の危機は、どの階層に依拠(立脚)して、政党として戦うのか、そのイメージ戦略に失敗していることである。そのことを共産党自身が語ったのが、四中総の「保守との共同」である。
共産党は、働く勤労大衆の政党であり、アメリカ帝国主義や日本の独占資本主義の国民に対する収奪や民主主義の抑圧に反対し、勤労国民の生活と人権を守るために戦う政党である。しかし、現在共産党は、このイメージを打ち出した戦い(宣伝)を行っているかと問えば、答えは「NO」である。共産党は、自らの政党の優れたイメージを国民大衆の中に広めることを躊躇し、自らの政党のイメージをその時の受けの良い方向へ流し、尖閣列島問題など「愛国主義」的イメージを流してでも党の支持拡大を狙っているが、これが衰退を早めている。ここに共産党のイメージ戦略の最大の誤りがあり、国民の支持を失いつつある。
その時に受けの良いほうに行く、ご都合主義のポピュリズムが共産党の衰退を進めている。こんな宣伝(尖閣列島や北朝鮮の安保理決議違反など)をいくらしても共産党を国民は信用しない。なぜなら餅は餅やであり、保守層の喜ぶ政策をいくら出しても元々の保守政党があり、それを上回る信用を保守層から共産党が得ることは不可能である。
たとえばこの間の尖閣列島の方針を出し、自民党や財界からほめられたと赤旗に書きまくったが、これで本当に共産党の支持は増えたのかの検証を共産党はおこなったのか、私は全く増えていないと思っている。さらに石原都知事が右翼的に尖閣列島を買うという方針を出した段階で、共産党の政策はすでに魅力を失っている。(右へ右へと政策を変えても、本来の右には絶対に勝てない)共産党が依拠すべき国民は、社会的弱者であり、平和を愛する人であり、民主主義をこよなく愛する人であり、国家権力との戦いを求めている人たちである。なぜこの人たちに依拠せず、保守層に支持拡大を求めるのかこれらの政策を考えている人たちは、おそらく生活実感のない東大出の官僚集団(共産党内の)だと思っている。
党が、働く者の政党であるなら、その国民大衆の願いが党中央に吸い上げられるシステムを作らない限り、党がとんでもない変節をしていくことを実証していると私は思っている。以下この間の誤りを具体的に見ていきたい。
<一斉地方選挙後の共産党の方針>
一斉地方選挙および大阪ダブル選挙で党は、戦い方を決定的に誤り大敗した。私はこの2つの選挙での共産党の政策の誤りを徹底的に批判し、党に15通の意見書を出してきた。以下簡単にその主張を述べると
◆一斉地方選挙での私の批判
○震災復興を最大の課題に据えることは間違っている。その地域の課題を争点にして戦うのが地方選挙の課題である。
○3.11の震災で原発が崩落し、国民の命が危機にさらされている状況下の戦いで、原発に反対せず、「安全優先の原子力政策」という党の方針は関西電力の「原発の安全点検」どこが違うのか
○橋下・「維新の会」が、国民を扇動し右翼的再編を画策している状況下で、橋下・「維新の会」と戦う方針を打ち出さず、橋下氏の打ち出す個々の政策(カジノ・阪神高速延伸ストップ・・選挙公報)では橋下・「維新の会」と対決したことにはならない。
◆大阪ダブル選挙での私の批判
○共産党の選挙での最大のスローガンは「安全・安心・やさしさの大阪」このスローガンがいかに馬鹿げているかを徹底的に批判した。これは選挙のスローガンでなく、行政用語であり選挙に勝った首長が施政方針演説で使い言葉である。あるいは警察の掲げる防犯の標語である。このような没階級的標語(スローガン)では、選挙では絶対に勝てない。
○橋下・「維新の会」と真っ向から対決するためには、橋下の政治手法を明らかにし、それと戦うことが必要と主張したが、共産党は橋下の政治手法を「横暴」や「暴走」さらには「国民を襲う」という表現を使い、「独裁」という表現を最終版まで避けた。(告示日以降「独裁」という言葉を使ったが、すでに時遅しであった。)
○共産党のビラ、および明るい会のビラ、およびポスターすべてが全くのピンボケであり、共産党の政治的劣化を証明する戦いであった。これらの誤りをそれぞれ分析し批判を加えて来た。
しかし私の15通の意見書はすべて無視され、共産党は何ら回答をよこしてこなかった。ここに共産党の国民政党としての資格要件に欠けていることが分かり、それ以降、批判を続けることになった。
この間(尖閣列島の方針から北の衛星(ロケット)批判まで)の(政策)は、従来の共産党のイメージの打ち消しに走り、逆に「アメリカ帝国主義や日本の独占資本主義との対決はしませんよ」と媚びへつらい、平和とか人権とか憲法とか戦後の革新(保守に対立する概念)が大切にしてきた政策をすべて覆い隠し、共産党は権力と対決する危険な政党でなく、権力側と一緒にやっていける政党です。という売り込みを一生懸命している。しかしこの戦いは全く成功せず、共産党の支持は限りなく0%に近付きつつある。共産党の指導部は何を考えているのか、私には全く理解できない。
<保守と革新の対立軸を消し去る共産党>
戦後の日本の政治は、憲法を対立軸にした保守と革新の陣地戦の戦いであった。1960年代から70年代かけて、社共共闘による革新自治体が、京都をはじめとして、東京、大坂、全国津々浦々に成立し、日本の人口の4割が革新自治体に住むとまで言われた時期があった。
しかし、1980年代以降、保守勢力の巻き返しの中で、自公共闘路線が活発化し、また部落解放同盟の運動方針を巡って、共産党と社会党が対立し統一戦線が崩壊し、革新自治体の高揚は、ほぼ消滅していった。
この時代の革新と保守の対立軸は何であったのか、見ていきたい。
保守のイメージは、日本国憲法を否定し、先の戦争を正当化し、戦後の民主主義を否定しアメリカ帝国主義の目下の同盟者として日本の国家運営を行っていこうとする自民党に代表された動きであった。
これに対して革新側は、日本国憲法を守り、先の戦争を侵略戦争とみなし、二度とこのような過ちを犯さない平和な日本を目指し、民主的な教育を守り、人権を尊重し、国民本位の政治を革新統一戦線をつくり実現することを目指していた。
そして、この戦いは互角の戦いであり、このバランスの下に日本の政治は行われ、共産党はその先頭になって戦い、革新自治体の誕生の大きな原動力となってきた。この戦いの中で共産党も大きく成長した。
しかし、1991年ソ連をはじめとする社会主義社会が崩壊した中で、戦後の55年体制も崩壊し、政党間の離合集散が進み、1994年6月に自社さ政権による村山内閣が実現したが、1996年1月には、自ら退陣した。1996年には社会党の衆議院議席は15議席となり、事実上社会党が崩壊し社会民主党と改組したが、革新陣営の総崩れ減少が始まった。
この時点で共産党は、社会党を支持していた良心的な革新層の受け皿になりえず、結局革新側がやせ細ってしまった。
<共産党が多数派になれない最大の理由>
なぜ、共産党は社会党崩壊後の良心的革新層の受け皿になりえなかったのか、その最大の障害は、共産党の持っている組織原則民主集中制に対する国民の拒否反応の大きさからきている。民主集中制の組織原則は、共産党に対する弾圧が国家権力によって大々的に行われているような政治状況下では必要な組織原則であるが、今日のような社会で、また共産党の議員が国会で活動することが保証されている状況下で、真の国民政党を目指すなら、どうしても脱皮しなければならない組織原則である。現在の共産党の躍進を妨げているのは、「反共攻撃」が行われているからでなく、内なる組織原則が、民主主義社会に全くそぐわない組織原則にあるからである。
<共産党は何を見誤ったのか>
ところが、共産党はこの組織原則が共産党躍進の最大のガンであることに気づかず、共産党の優れた方針を投げ捨て、現在の国民大衆の気分感情に合わすことによって支持の拡大を目指すことを考えている。しかしこれは大きな誤りであり、共産党の崩壊を早めている。
共産党は、「その時代の支配的な思想はすべて支配階級の思想である」ドイツ・イデオロギー(マルクス/エンゲルス)であることを忘れ、国民の大多数が一致している課題に首を突っ込み「実は共産党もそう思っているのですよ」と話しかけ、共産党の支持を拡大しようと思っている。その典型が、天皇制や国旗・国歌の容認さらには自衛隊の容認である。最近では、尖閣列島に対する見解や、北朝鮮の「衛星」(ロケット)に対する声明である。また、原発に対する共産党の政策にも表れている。(原発絶対反対」を言い切れない)
この共産党の姿は、戦後の民主主義陣営が勝ち取ってきた主張(政策)をすべて投げ捨て、保守側の主張の虜になり、あたかも共産党の一貫した主張のように叫んでいる。これほどバカげたことはない。
共産党は尖閣列島の共産党の政策は自民党がほめてくれた、財界がほめてくれたと有頂天になっているが、これは共産党が保守勢力の理論的支柱になったにすぎないのである。共産党は尖閣列島でこれだけほめられたのだから選挙でも票が増えると思っていたが、何ら効果はなかった。このことから学ぶべきである。
尖閣列島の問題点はすでに先に述べた。ここでは、北の「衛星」(ロケット)の件の問題点を説明する。これはまさにアメリカ帝国主義の世界戦略に賛成するか否かの問題である。アメリカが世界の警察官であり、アメリカが原爆を持ってよい国や大陸弾道弾ミサイルを持ってよい国を決め、それに従わすというわけのわからない論理を共産党は認めてしまった。(つい最近(4月19日)インドが核弾頭搭載可能な長距離道弾ミサイル、アグニ5の発射実験を行ったがアメリカは何も言わない。・・こんなおかしな論理である。
<再度共産党が投げ捨てたもの一覧を書いてみたい>
ここで重要なことは、戦後の保守と革新の対立軸をよく見ていただきたい。保守の側の主張は一貫している。革新の側(共産党)は、ほとんど投げ捨てている。これでは革新が負けるのは自明の理である。共産党は国民大衆が保守化したというかもしれないが、そうではなく、共産党が革新側の理論を投げ捨て、武装解除してしまったから、大衆が保守化したのである。
<共産党が放棄したもの>
1.アメリカ帝国主義・・・この呼び方をしない。現在の赤旗は「アメリカ」である。しかもアメリカを敵視しないと志位委員長がアメリカにまで行って明言してきた。(注1)帝国主義とは、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進める思想であり、現在のアメリカを表す適正な表現である。
注1:2010年5月25日赤旗
私たちは、5月7日午後、米国務省で、ケビン・メア国務省日本部長、多国間核安全部ジョナサン・サンボア氏と会談し、核兵器問題と日米関係についての日本共産党の立場を米国政府に伝えました。
私は、「もとより私たちは反米主義ではありません。米国の独立革命、民主主義の歴史に大きな敬意を持っています。その観点から、私たちの立場を率直に伝えたい」とのべて、つぎの諸点を話しました。
2.日本独占資本主義・・・この表現もやめ・・現在は「財界の言いなり」などの表現に変えている。日本独占資本主義と財界とは、まったく別のものである。「独占資本主義」という言葉は、憲法改正し再び軍国日本へ歩みだす体制と捉えている。財界という言葉の響きは、単に経済的利益に聞こえる。
3.憲法を守る・・・・・・一斉地方選挙・大阪ダブる選挙でこの言葉は一切出なかった。この間の選挙を見ても、社民党は憲法を守れと常に主張しているが共産党はこの主張は行なっていない。(中心政策に加えていない)
4.安保条約反対・・・・・今回の北朝鮮の「衛星」(ロケット)打ち上げに対する、一大軍事演習に対して全く反対せず、アメリカと日本軍事行動を容認した。(赤旗にこのことを触れている記事があるがすべて共産党の主張でなく、これに反対している人がいるという客観的報道で逃げている。)
5.民主主義を守れ・・・・
(1)橋下・「維新の会」との対決を避けている。あるいは全くピンボケな批判をしている。これは大阪府委員会だけかもしれないが、共産党の出すビラ出すビラすべてピンボケである。橋下・「維新の会」と戦うと題した大阪民主新報の記事、府会議員団のビラ、その主張は「35人以下の学級」が最大の主張になっている。(この主張は間違ってはいないが、従来からの主張であり、橋下・「維新の会」との対決のスローガンではない。)対決を避けているのか能力がないのか全く分からない。(これらは私のブログに詳しく載せている。よければ見に来てください。)
(2)検察の暴走を糾弾する
小沢問題の共産党の対応の問題。(国家権力と戦う参照)
6.人権の擁護・・選挙の広報等を見てもこの言葉が出てこない。中国の人権活動家劉暁波氏のノーベル平和賞の受賞の際の報道は、中国よりで彼の業績を認めなかった。
7.国家権力と戦う・・これは小沢問題で共産党は検察側の不法行為の重大さを見逃した。
この裁判の重要性は村木事件で明らかになった検察権力の不法行為の恐ろしさである。検察が証拠をでっち上げ、国民を犯罪者にしてしまう。とりわけ有力な政治家を検察が不当に逮捕して、国家の政治のあり方に影響を与えるという、とんでもない事実が明らかになった。この裁判で裁かれるべきは第一に検察権力である。
マスコミの論調で限りなくグレーに近い無罪という言葉があるが(赤旗もこの立場を取っているが)無罪は無罪でありそれ以上は何も無い。それが裁判の常識である。水谷建設からの献金問題など検察のリークに踊らされ、刑事被告人をあたかも犯罪者のように報道し、無罪が確定しても、未だに問題だと新聞で書きたてるのは明らかに人権侵害である。
特定の人間憎しで、国家権力の犯罪という大きな問題を見逃している。これも、共産党の劣化の表れである。
8.原発反対・・これについては、今までから多くを語っている。一言で言えば、命を守る立場から、原発絶対反対の立場が出せない。ややもすると平和利用を語ってしまう。
9.革新の統一戦線・・これは相手側の社会党がこけたため、仕方がない面もあるが、直近では大阪の茨木市長選挙で、新社会の候補者が反橋下・「維新の会」で出馬したが、共産党は反橋下・「維新の会」以外の候補者を支持した。これが四中総でいう保守との共同の姿である。
<共産党の間違いはいつから始まったのか。>
これは1972年衆議院選挙で大躍進し(38+1(革新共同)で前回比プラス25議席)、民主連合政府が近い将来できると思ったことから始まっている。(これが、全くの幻想であり、立て直しを図る必要があることが明白であるにも関わらず、この方針で突き進み敗北を繰り返している。)
私が一番驚いたのは、共産党の選挙ポスターが富士山になり、赤旗の宣伝文句が「正義の味方、真実の友」になったときである。この時点で共産党は「愛国主義」を採用し、同時に階級対立の議論を放棄した。「富士山」日本国の象徴であり、保守側のイメージであった。また「真実」や「正義」にも階級的な視点が必要であり、権力側の掲げる「真実」や「正義」は労働者階級の抑圧の理論として使われてきた今日まで歴史を覆い隠し、何か絶対的な真実や正義があるようなイメージを振りまいた。
<共産党が気づいていない真理について>
共産党な民主連合政府を夢見、自分たちが政府に入れば国民本位の政治ができると思っている。そのためには、保守層にかわいがられる政党に脱皮しないと政府側に入れてもらえないと考え、連合政権を作る上での障害は何かを洗い出し、じわじわとその政策を変えている。今回の北朝鮮の「衛星」ロケット反対は、アメリカを中心とする大国のエゴとなっている「国連の安保決議を」認め、北朝鮮を攻撃した。
これはアメリカの世界戦略に共産党は反対しない。あるいはいざ鎌倉という政治状況が発生した場合日米安保条約に基づき戦うことを否定しないことの宣言を行ったものである。共産党はおそらくこれで障壁は無くなった、いつでも連合政権に入れる準備は整ったと思っていると思われる。
しかしここに大きな落とし穴がある。今回の消費税論議を見ていても、自民党は小沢氏の排除を行えば賛成すると、小沢排除を消費税賛成の前提条件に据えている。まさに政党間の戦いである。小沢さえ排除しておけば、民主党は怖くない、自民党の復権が行われるとの読みである。政策に一致で簡単に連合が組めるような甘い話ではなく、政党間は自らの権力の奪取のためには血のにじむような努力をしているのである。
これを共産党に置き換えた場合、連合政権に入るハードルは、おそらく共産党の組織原則「民主集中制」の廃止を必ず彼らは求めてくると思っている。しかしこれを認めれば共産党は「ガタガタ」になる。共産党の幹部はここまで読んで政権参加を考えているのか疑わしい。お人よしの集団である。連合政権に参加したとたん、組織的解体を迫られ、結局は破滅していく。
これを回避するためには、まず自ら民主集中制度をやめ、民主的な共産党の運営を行い党勢を立て直しその後民主連合政府を目指さない限り、共産党は社会党と同じ運命をたどると私は見ている。