その中心問題である、と私は考えます。
民主集中制などはその一端ではあるけど、一端に過ぎない。より根本的には、ロシア革命・レーニンへの総括が全くできていない所にあると 考えるものです。
本来味方であったハズの赤軍英雄部隊のクロンシュタットの反乱は反乱と言う よりも、当初は、いくらかの緩和政策と民主化の要求・諫言、、と言った性格のものだでした。
にもかかわらず、レーニン・政治局側は無視し、反乱と決めつけて、同じく赤 軍のトハチェフスキー将軍の精鋭部隊を急派して激烈な戦闘と弾圧を加え、赤軍兵士家族5万人をほぼ皆殺し にした。
トハ部隊の赤軍兵士の中には、トハチェフスキー=レーニン・政治局側の命令を 拒否し、あるいは逃亡しようとした者たち もかなりいたが、それらは、背後からの銃弾に虐殺された。
トハチェフスキー将軍はクロンシュタット側の要求や立場は一切部下の士官兵 士に秘密にして、政治的な盲目状態にして クロンシュタット赤軍側への総攻撃を厳命し、逆らう士官兵士はこれまた虐殺し て総攻撃を敢行したわけです。
また、同年(1921年6月)には、クロンシュタットが一段落すると直ちに タンボフ県の農民一揆にトハチェフスキー精鋭部隊 を送り、敗残して森に逃亡した農民たちに(女性子供もいたと言う)毒ガスによ る燻りだし作戦まで敢行させたのです。
これは、まぎれもない事実であって、反共攻撃などではない。
その後もレーニン・政治局の承認のもとに、あちこちで、毒ガスが使用された という。
レーニン・ボリシェビキ(政治局・中央委員会)こそが、反共、、もう一度言 いますが、反共、再度言いますが、反共及び反革命、再度言いますが反革命に転落堕落して、ロシア革命を変質挫折さ せていった張本人ではないでしょうか?
共産主義という言葉はコミュニズムの訳語であることは、今さら言うまでもあ りません。
では、コミュニズムという言葉の原義はなんでしょうか?(いまさらです が、、今さら過ぎてちょっと照れまよすね。)
そこには、ただたんなっるソーシャリズムではない、人民の共同や連帯や協和 と言った意味が込められている言葉の ハズです。
人々の共同、連帯、協和、これがソーシャリズムという言葉を敢えて選ばずに コミュニズム、という言葉を選んだマルクス やエンゲルスらの意図ではなかったのか?と推察している次第です。(単なる推 察ですみません)
しかし、レーニン・ボリシェビキはどうだったか? ここに、1921年6月11日付の全露ソヴィエト中央委員会の指令を再度示し ましょう。
1、自分の名前を言うことを拒否した市民は(市民!!)裁判にかけずにその 場で射殺すること。
2、人質を取った場合は(人質!!)処罰すると公示し、武器を渡さなかった 場合は射殺すること。
3、武器を隠し持っていることが発見された時、一家の最年長の働き手を裁判 なしでその場で射殺すること。
4、ゲリラ(農民一揆参加者)をかくまった家族は(夫や息子をかくまった家 族ということ)逮捕して他県に追放し、所有物は没収の上、一家の最年長の働き手を裁判なしにその場で射殺すること。
5、ゲリラの家族や財産をかくまった家では、(つまり、行く当てもなく親族を 頼ったならばその親族の家は、ということ)最年長の働き手を裁判なしでその場で射殺すること。
この命令は厳重に容赦なく実行すること。この命令は村の集会で読み上げること。
このどこが、コミュニズムの精神(人々の共同、連帯、協和、、、)なのだろ うか??
およそ、コミュニズムという言葉とかけ離れた、唾棄すべき悪逆非道の行為そ のものではないでしょうか?
たんなる民主集中制の問題なのではない、、日本共産党の創立の起源そのもの が問われているのでしょう。
この程度のことは、今や、誰でも容易にネットでアクセスできる情報なのです から。
このロシア革命とレーニン・トロッキーらへの徹底的な批判がローザ・ルクセ ンブルグからなされていることは これまた、有名な歴史的事実です。
そのローザの言葉を再確認しましょう。
「(レーニンらの路線は)社会の全般的な野蛮化をもたらさずにはおかないだろう。それはいかなる党派も逃れる ことができない、鉄の法則なのだ。」
「(プロレタリア独裁においては)、、、(革命派)政府の支持者、あるいは政党(革命側の)のメンバーだけの自由 は絶対に自由ではない。」
「自由とは、常に思想を異にするものの自由でなければならない」
(Freiheit ist immer dieFreiheit des Andersdenken.)
ローザの言葉は、彼女が革命家として、決してコミュニズム(人々の共同、連 帯、協和、、というような原義)の 本来の原義を踏み外すことがない立場を堅持していることを示している、と私は 考えます。
それに対して、レーニンは、、まさに反共であり、反革命に他ならない、と私 は考えます。
少々過激かもしれませんが、諸兄のご批判も甘受するつもりです。