以前からこの「さざ波通信」サイトには、アクセスしておりますが、投稿させていただくのは初めてです。
現在をも含めて私は日本共産党員ではありません。取り巻く環境には党員が多数存在します。自身のアイデンティティーとその影響もあって、支持者の範疇に入ることはたしかです。
仰せの通りに、インターネットサイトを通して、一面的乃至一方的な論述に対して多面的乃至各方向からの批評、批判があると云うことは、民主主義の発展に極めて重要な要項になっていると存じます。これは日本共産党の発展に対してもとても大切なことであると考えます。
党等の団体組織化は、社会を形成するに、絶対多数の社会的方向性を決定づける為には必要不可分のものであることは良く承知をしておりますが、私個人は、組織化の内に入ることをよしとしないし、そこでの拘束に対して極めて違和感をもつ自身の性格上、敢えて自身のみで民主主義の王道に果敢に挑戦すべく、茨の道を選択している訳です。
団体組織化は社会にとって有効必要でありますが、現民主党のそれのように、民主主義の根幹に抵触するような様相を呈すれば、それは国民にとって害毒以外のなにもので無くなりますし、当然、早急に排除せねばならない状況になってしまう訳です。これは民主党だけの問題だけでなしに、全ての組織団体に云えることでしょうし、日本共産党もその枠から外れることは出来ません。
従って組織化の内容が極めて重要であるでしょうし、この内容を決定する方法、形体が有る意味最重要の課題であることは自明の理であります。これの本当の民主化が組織内容をして充分なる結果を育むこととなるでしょう。
組織外の見聞からは、日本共産党の民主集中制決議の内容は、大凡前述の件を実践されているものと思っているのですが、しかし、これとて絶対と云う言葉を冠してはいけないものだと思っているのです。私は、人間の性は悪であると認識していますし、その考え方から導き出した結論としては、哲学の認識論の範疇でしょうが、人間という生物の思考思索に於いては絶対はあり得ないと思っているからなのです。比較的多数によって導き出された結論といえどもです。人間は間違えを犯す生物ですから。
この"人間の性"を前提として、最近の日本共産党へアプローチしてみたいと思います。一応機関誌「赤旗」の論述を党の基本的思索結論として取り上げ、これについて私見を述べてみたいと思います。
「赤旗」の論述、論説は、民主主義的観点から拝察すれば、日本国民にとって、その大凡は、間違いのないものであると思えるのです。外部からの醒めたものの見方を通しても、納得いくものであろうと思います。しかし、ここに論述されてない、私達日本国民にとって重要なものがあるのです。これは、「赤旗」だけを唯一の情報源としている方には残念ながら見えないと思います。
余談ですが、菅井様は物品を購入されるとき、カタログ等を取り寄せますでしょうか。そしてどのような見方をされるでしょうか。
私は、各社カタログの記述していない部分を比べて抽出します。ここにその製品のウィーク・ポイントが隠されています。どのような個人、団体も不利になる要因や他者をして有利に導く内容を改めて記述しません。話を戻しますが。
《というのは、「ここのところの脱原発のデモ、それは、共産党が組織したものでも、協力団体になっているものでもないのに、つづけて志位氏自身が参加しているばかりか、赤旗で予告、大きな報道までして、参加を促し、さらには集会の空撮写真を一面にのせた即日号外を集会の場で大量にまいているからである。また、別の市民主体のデモに、党本部の宣伝カーを貸しだしているなどという協力をしているからである。これを赤旗の拡大のための宣伝とのみ見るべきではない》と菅井様の言です。
私は、これが「共産党は独善で嫌い」といわれてしまう所以なのであると思います。自分達が後からの場合は、先達の行為に対して謙虚な意思表示が必要であるし、ある意味そこへ参加させて貰っているのだと云う意識をきちんと持ち合わせ、赤旗誌上でも正確にこの組織について言及し、尚かつ、納得出来る範囲は協力を惜しまないスタイルを取るべきであると思います。組織としての私が、私が、という我は捨て去るべきであろうと思うのです。個の代表からなる、個々の自然発生的なものへの、組織化された団体のそれへの接触の仕方を間違い、その上この運動の主役は私達等と間違えた主義主張を表明すれば大事な民主主義運動を破壊しかねないことになってしまうのです。
それが出来れば民主主義運動は希望の大きな力となると思うのです。どの大きな組織にもこの問題はつきまといます。この一寸した所謂世間態の問題(本当はとても大切な人間感覚です。) への接触の有り様について、日 本共産党の民主集中制がきちんと機能しているかどうかが問題なのです。これがきちんと機能していれば、赤旗の拡大のための宣伝とは思われないでしょう。
日本共産党の綱領について触れることはしませんが、ここで改めて前述の問題に触れることにしましょう。不利になる要因や他者をして有利に導く内容を改めて記述しないということです。これが排他的自意識過剰の範囲であると、何をか況わんやです。
「赤旗」によれば、<暴走メディアと赤旗>と云う特集を組んで、所謂マスコミの論調についての分析と主張を論述しておりますが、内容は大凡その通りと思います。しかし、その中で「赤旗」そのものが暴走メディアになりさがっていることが、みごとに隠蔽されているのです。
それは、司法汚染という極めて国民にとっての重要な問題です。司法汚染の問題に関しては、日本共産党は誰より早く神経質に反応する組織であったはずです。
戦前、戦後を通して、日本共産党は不条理、不合理の内に謂われのない犯罪に貶められてきたのかをいやというほど経験させられて来て居るわけで、その枠で語れば、この司法汚染は看過できない大問題であるはずなのです。これは所謂小沢問題そのものです。
菅井様の指摘されるように、インターネットの情報がなければ「赤旗」の情報を最高最上の民主主義情報として私達は信じていたでしょう。ところがですインターネットの情報を精査してみると、政治とカネの問題として、「赤旗」も何のことは無い、暴走メディアと同様に、同じ犯罪を犯してしまって居たわけです。
インターネットの情報には、小沢氏の金の流れが、領収書と云う図形化された形によって全世界に向かって表示されて居るわけで、強権の捜査力を持つ、検察が総力を挙げて、小沢氏の犯罪を立証しようとしたわけですが、ついに所謂犯罪としての形に追い込む事が出来ませんでした。つまり犯罪では無かったわけです。
ところがどうでしょう、「赤旗」はこの問題について、検察の捜査能力より高い調査能力を持つかの如くに、現在もあいも変わらずに、小沢問題について、誌上にて論述しております。もし、一政党が検察の強権捜査能力より高い調査能力を持つと云うことであればこれはこれでとても怖いことであります。小沢氏個人の問題をひとまず置いておくとして、取り巻く検事や裁判官の犯罪に日本共産党がなぜ論陣を張らないのでしょうか。極めて解せない話しであろうと思われます。現民主党政府も認めている、検察官の犯罪について、「赤旗」誌上には、現在まで一切の記述がありません。これで日本共産党は公正公平な政党といえるでしょうか。もし、この問題を小沢氏個人と日本共産党との関係と云う観点からのものであろうとするならば、これは尚更重大な問題であろうと思われます。個人をして犯罪に貶めてしまうからです。
インターネットの情報は、善し悪しは別として、精査することによって、それ以前の情報がいかに操作されていたのだと云うことにたどり着きます。相当の分量で正確な情報であると認識していた「赤旗」にも、これだけの重大問題が隠されているわけです。何を信じてよいか分からない時代になってしまいました。この司法汚染の問題を放置しているということは、日本共産党と検察の間に何かがあるのではないかと、勘ぐってしまうことになります。現在の志位氏をはじめ幹部会員諸氏による民主集中制に疑問を呈しているのは私だけでしょうか。菅井様も同様に思われるでしょうか。
真摯なインターネット情報サイトには、前述の問題を含めて日本共産党への投稿、コメントが多数寄せられています。内容から云えば、批判的であることはいうまでも無いのですが、その底流には日本共産党へのエールが感じられるのです。ですからそのような意見に対して、日本共産党が真摯に向き合う必要があると考えます。党勢拡大を考えるならば、このような声にしっかりと耳を傾けるべきでしょう。支持者、サポーターは党員よりはるか大勢の人達なのですから。