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一般投稿欄

共産党を変えましょう(1)

2012/11/22 佐井 健 60代

 「ここまで落ちるか」とは、不破氏が筆坂氏に投げつけた言葉である。
 この言葉が、そのまま党内から不破氏自身に降りかかるのも、今回の選挙結果 の多少の出来事などには関係なく、本格的に、時間の問題になって来た。
 そこで気にかかるのは、一般党員の方々の、「その後」だ。
 以前もここに書いたが、日本に限らず、共産主義に共鳴し、その運動に馳せ参 じる人々も、社会進歩にとって貴重な善意の人々だ。
 多少の自己犠牲は厭わず、みんなが共同して、人間を大切にしあう社会をつく ろうというのが、その初心の最大公約数だと思う。
 だが、「自己完結してしまっている教義」を掲げる組織というのは、共産党に 限らず、どうしても「特定の個人」が頂点に立ってしまう。そうすると、必然的 に「教えを垂れる」、「教えに導かれる」という構造が、組織とその構成員の 「行動原理」となる。
 誰もが、その段階まで自己を組み込んで行くには逡巡はあるものの、初心が清 廉潔白であればあるほど、それが推進力となり、「その行動原理と自己は一体で あるべき」となる。
 そうなると、「現実」というものの、その人にとっての「見え方」も、少しづ つ、しかも大きく「変わって来る」ようになる。
 「現実」は、多様な根を張り巡らしている「現実」ではなく、「教義」の「真 理性」や「絶対性」を「証明」するための「教材」となってしまう。
 不破さんの「科学の目講座」が、志位さんの「報告」や「結語」が、まさにこ れだ。
 党員の方にとっては、嫌な言葉遣いかもしれないが、一種の「洗脳」であり、 「サブリミナル効果」を狙った手法を、彼らはこの数年、意図的に用いていると 思う。
 減紙による中央の収入不足が続いていても、党員はなかなか赤旗収入を増やそ うとしない。党員の大半を占める高齢者を、同本気で拡大に駆り立てるか。
 “彼らが若かりし頃、大いに青年学生の運動が盛り上がっていた頃、彼らはマ ルクスを語り、レーニンや綱領を論じ、その結果、党勢拡大も進んだ。古典・綱 領講座で、あの雰囲気を復活させよう、そうすれば拡大に動く可能性がある”
 ところが、その意図が結果を制約する。
 マルクスを、時空を超えて、今日の己が組織の利益=自己利益に結びつけて語 ろうとする欲が勝り、その結果、「講座としての質とレベル」が、過去のそれを 上回って、完全に時代適合不全を来たし、「語るに落ちてしまっている」という ことに、彼らは気づかない。
 70年代から数十年を経た現在は、社会も、個々人のレベルも、大きく進歩して いるという現実が、彼らには、全く見えていない、見ようとしていない。
 彼らにとってのマルクスは、夢よもう一度にすがりつく者の「三種の神器」 だ。(続)