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一般投稿欄

困った状況になった。

2012/12/18 アルチザン 60代 工芸家

 今回の衆議院議員選挙の投票率は、大幅に減少し、大量の国会議員を獲得した 自民党の得票は総投票者の40%位のものであった。大凡60%の人々は他を選択した わけである。更にそれは総有権者の60%に満たない数値であった。よって自民党 は国民の23%のみに支持されていることになる。これはいくら何でも不自然であ る。このようなことで、益々、アナーキスティクな傾向が増大し、同時に社会不 満不安が大量に醸成さる下地が形成されてしまった。これは歴史にその範をとれ ば、極めて恐ろしい結果を招きかねないことは周知の事実なのである。更に戦後 生まれなのに、戦前の思想体系にどっぷりとつかってしまって抜け出せないよう な人物が代表であるわけで、これからの日本国の有り様を本当に憂慮している。

 更なるアナーキスティクな思考思索が蔓延する状況は、改めて述べる必要もな い程に拡大するであろう。これを回避させる為の法整備(国民一人当りの授受権 利の不公平=所謂一票の格差)の不備と、我田引水やご都合主義による選挙制度の 欺瞞化、受け皿としての政党の非充実状況、更に戦略的失敗が大きな影を落とし たことは間違いなかったと思う。所謂死票が累々と云う状況になってしまった。 国民の意思を遍く公平に国政に反映させるには、日本共産党の主張するように、 比例代表制にするのが最も公平なことだ。さすれば、一票の格差などすぐに是正 される。しかし、我田引水を徹底的に利用し築き上げた選挙制度で、自ら三年半 の冷や飯食いを強いられた自民党が、この選挙を期に、この旨味を絶対に手放そ うとはしないことは誰にも読めることだ。

 本来民主主義発展のプロセスについて何某かの知識と経験があれば、ある程度 の高等教育を受けた人々には社会変革についてのエネルギーは内包されているの だと、且つ合法的手段を持ってしてそのプロセスを高見に至るまでの努力を惜し まないものであると私は勝手に解釈していたし、NET社会に於けるブログ等の主 義主張から見えてくる、若者を含めての有り様に何某かの期待を持ち続けて来た のも事実であった。
しかし、この事実認識と希望的観測の狭間にあって、我が国のNET社会の選挙に 関わった結果は、諸外国にみられる荒波に象徴されるような大きなうねりのよう な大変革に相反し、失望の奈落に私を落とし込んでしまった。投票所の監督責任 者をしていた知人の言によれば、投票に来たのは殆どが年輩者であったと云う。 その時点で彼は、「この戦いは敗北したと思った。」と云う。若者が動かない。

 世間に不満を述べながら、取りも直さずこのアナーキスティクな状況を作り出 しているのも我々自身なのだと云う認識が、若者を中心に無さ過ぎるのを、心配 しているのは当然私だけではあるまい。
民主主義の発展、発達は低回願望の状況のなかでその存在の弁証法的考察の確認 によって更なる段階へと飛躍をとげるのであるが、その認識もさること乍、これ を実践するためのエネルギーが無ければ、そこには何もなし得ないと云うことに なる。
日本共産党員の老齢化も、この若者の認識状況にあっては仕方の無いものと写 る。

 もうすぐ70才にならんとする筆者の世代は、直接に戦争の体験認識と云うもの は無いが、戦後の小学時代での日常のひもじさは、現在でも脳裏に焼き付いてい る。団塊世代の諸兄諸姉の小学時代は戦後復興が開始され、地についてからのこ とで、小生の妻などは、話しをしてもその実感が全くと云うほど無い。
現在の若者が育まれた環境は、家庭をも顧みずに働いた団塊世代の人達を親に持 つ。
バブル崩壊以前に、人生の出発を迎え、厚い庇護の元世間への認識を得、安易な 世界観の中で今日まで来ている。従って社会的責任の所在についてかれらの認識 を再確認せねばなるまい。危ない政権になって、自が身に降りかかる火の粉が現 実のものとなったとき、一気に社会的責任に目覚めるのだろうが、その時に守っ てやれる我々の存在は消へゆくものへとなっているかもしれない。

 この若者達の再教育と思想的、政治的受け皿を、思索を煮詰めての再構築を早 急にせねばなるまい。自薦、他薦を問わず真摯に民主主義を標榜する個人、団体 に参加を呼びかけ、真に小異を捨て大同につくを確認し、時代の流れと、目指す 世界観へ力を合わせて実践して行くプロジェクト・ティームの設定を期待してい る。
日本共産党へもこのことを期待しているのだか、今回の選挙でも、足を引っ張る ことはあっても、助勢すると云うスタイルはとれず仕舞いで、よりよい世界への 魁には当分なれないような気がする。透徹した理論はそれでよいのだが、兎に角 仲間作りがこれほど下手な党も無いものと思う。いつも一人ぼっちだ。だから正 論を語っても誰も周りが寄りつかない。もっと周りに優しくなくてはいけない。

 人生の長さが伸びたとは云え、私の生きられる時間は、大凡後20年である。そ の間に何度低回願望を繰り返すのか知る由もないが、何某か素敵な未来が語れる ような世界を醸成できないものかと思いを巡らせている。この ゛さざなみ″に 思いの丈を上載する諸兄諸姉も私と同様と思うが、日本共産党が国民の誰にも好 かれる政党に脱皮して貰いたいと思っている。

 再び皆さんの記憶に留めておかれたいのは、司法汚染に対する日本共産党の見 解である。
なしくずしにごまかす積もりでいるようだが、必ず精査をし、自己批判して貰い たい。言った責任はある。
ごまかしてはいけない。