12月16日、歴史に残るであろう総選挙が終わり、安倍自民党の大勝という結果をもたらした。安倍自民と親和的な石原維新と合算すれば348議席となり、優に衆議院の2/3を越えるところから極右勢力の圧勝という印象を与えている。ガラパゴス化した旧左翼である社共の後退は既知のものとしても、その印象は新党である日本未来の党の惨敗という事実で補強されている。
しかしながら、安倍自民の大勝ちはその政策が以前にも増して支持されたものではなく、野田民主党政権の公約破りの消費税増税の強行や、いわゆる「第3極」の分裂によってもたらされた「他力本願」の勝利であったことも事実なのである。自民党の比例区の得票数が大敗した前回より219万票も少ない1662万票であることが事実の指標となる。
石原維新の1200万票と合わせれば、そうではないと見なす見解もあるであろうが、石原維新への投票は安倍自民への投票とは異なり、政治改革(中央官僚主権の打破)を希望した票なのであって合算するのはまちがいである。
問題は、09総選挙における民主党マニフェストの継承者で今後の政治改革の核となるべき日本未来の党が惨敗したことである。「第3極」が分裂したことで日本未来の党の候補者が小選挙区で勝ち抜くことは難しくなったことはまちがいないが、比例区の得票総数が共産党より少ない342万票であったことから、惨敗の原因をめぐって議論百出となっている。
民主党「A」である小沢らも民主党「B」である野田政権も喧嘩別れはしたものの、同じ民主党じゃないかと忌避されたとする見解、極右勢力が圧勝するように見える最近の社会風潮から惨敗を当然視するものや、政治権力に影響を及ぼせない単なる批判勢力を国民は当てにしないとするもの、あるいは、日本未来の党は左翼勢力と国民に認識されて選択の対象外にされたのだという意見まである。
小沢自由党が2000年総選挙で660万票獲得していた数字と比較しても、その半数ということでは納得がいかないとする「国民の生活が第一」支持者の声も多い。私の予想でもあまりに少ないという印象になるのだが、そこから大がかりな開票操作という陰謀論も出て来ている。
そこで、取り急ぎ、若干の検討をしてみよう。私の考えるところでは有力説は、日本未来の党が左翼政党と認識されて排除されたとする見解であって、この見解を一つのヒントとして考えてみよう。
なるほど、嘉田代表は、いわゆる「環境派」と呼ばれ保守的な国民意識を持つ者からすれば左翼的に見えるであろうし、脱原発、消費税増税凍結というメーンスローガンは社共とほぼ同じである。加えて合流してきた「国民の生活が第一」の小沢代表が日本未来の党では一兵卒となり、「政治オタク」は別として、大半の国民の前からは姿を消したこともあげられよう。
こうした政党の外観を左右する大きな要因からすれば、「国民の生活が第一」という小沢党は総選挙直前に国民の前から「フェイドアウト」してしまったわけで、小沢党支持者と国民の大半とでは見ている政治風景がまったく違ったものになっていたと言えそうである。
ここで若干の数字を上げてみよう。09総選挙における共産党の比例票が494万票、社民党は300万票である。2012総選挙ではそれぞれ369万と142万票で、共産党は125万票減、社民党は158万票減となっており、合計すると社共の減少数は283万票である。この減少数は投票率の減少(69.28%から59.32%)の影響とは考えにくく、減少分の大半は日本未来の党へ移ったものと見てよいであろう。
つまり、日本未来の党の得票数342万票の5/6ほどは社共の票であると思われることも、この党が国民には左翼政党と見なされたとする説の有力な傍証になるであろう。
他の諸説は日本未来の党の得票数の副次的な諸側面を説明するもので、とりわけ、小沢党の支持者と国民の大半とでは見ている政治風景があまりにも異なっていたからこそ、その結果に納得いかないことにもなるのである。「第3極」の分裂が確定したうえに、野田による突然の解散劇に押されて、急遽立ち上げた政党のために、日本未来の党は十分に準備した体制を取れなかったことや、どの党も脱原発「的」な政策を掲げたため選挙の争点が脱原発から景気対策に移ったこと、そして小沢バッシングの負荷を重く見過ぎたことが結果として左翼政党と見なされるという、言わば「エアポケット」に落ち込むことになったのである。
圧勝した自民党が支持を大きく広げたわけでもなく、石原維新の改革ポーズも早いうちに地が出るであろうから、敗北の主要な原因がわかれば、来たるべき参議院選に向けて日本未来の党も対策を立てられるであろう。