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共産党を「変」→「替」えましょう その2
日本共産党の党名も組織原則も「幹部構成」が根底から崩されるまでは、決して変わりません

2013/1/11 佐井 健

(1)「マルクスの共産党」と「レーニンの定式化した共産党」とは別物  このページをご覧の方は先刻ご承知かも知れませんが、「共産党」とは、レー ニン「考案」の組織です。もちろん日本共産党は「レーニン共産党」です。日本 共産党は、このところ、不破さんの手で、少しづつ立ち位置を変えているように 見えますが、本質の部分において、変わるものではありません。
 そして、レーニンの共産党も、日本共産党も、「共産党宣言」のカール・マル クスとは関係ありません。こう言うと語弊があるかも知れませんから、念のため 付け加えれば、マルクスにとっては、「レーニンの定式化した共産党」などは、 全く関与をしていない「よそ者」、「別物」なのです。歴史的に両人がかぶって ないから、というだけではありません。
 「宣言」に述べる「マルクスの共産党」とは、歴史は必ず進歩し、支配・被支 配の社会は滅びて、万人が互いの幸福のために共同出来る社会が必ず来る、とい う「信念を述べた集団」を指すものです。そこには、レーニン流の「民主集中 制」=中央集権体制や「プロレタリアヒューマニズム云々」、などなどは全くあ りませんでした。
 いや、それは違う、レーニンの民主集中制は「マルクスのプロレタリアート独 裁」を発展的に具体化したものではないか、という人もいるかも知れません。
 レーニンも、昨今の日本共産党も、何かにつけてマルクスを引っ張り出して語 るものですし、何より、ほぼ一世紀にわたって世界中に「マルクスレーニン主 義」なる用語が、世界を二分する対立という緊張感の中で流布されましたから、 マルクスとレーニンは切っても切れない関係のように思わされただけです。
 マルクスが「プロレタリアートの独裁」を叫んだのは、レーニンが現実に実行 した労働者、農民、商工業者、兵士などへの各種の強制や収容所送り、銃殺など とは、意味においても次元においても全く違うものです。
 マルクスの時代は、今よりも更にはるかに「野蛮な資本主義の時代」であり、支 配される側の貧困は目を覆うほどのものであり、彼らの自発的連帯や団結も甚だ 弱いものだったようです。それでも、団結して立ち上がろうと奮闘した人々は、 くり返し現れました。
 しかし、権力側の粗暴極まる執拗な弾圧の中で、それらは潰されてしまいます。 その中からマルクスは、「日々肥大する欲の虜」である資本家というものは、 易々と権力を手放す輩ではないこと、一旦権力を手放したように見えても、あり とあらゆる手段に訴えて奴らは権力の奪還と保持に、ひた走るであろうことを痛 感するのです。
 だからマルクスは、やがて労働者が取るべき権力を、極めて磐石なものであるべ きとの思いを込めて、つまり「労働者階級の独裁」と表したのです。
 それは、労働者階級が権力を掌握できる状況となった際は、あらゆる警戒感持っ て、全ての事に立ち向かわなければならないというマルクス自身の強い思いを、 哲学的に表明したものです。「哲学概念」と私は受け止めています。
 例えば、「卑劣不当な連中には鉄槌を下す」という言葉を発するのを新聞テレビ などで見聞きすることがあります。だからといって、それを言った人が、ある集 団の人間に対して、実際に鉄槌を振り下ろすでしょうか。変質的犯罪者でもない 限り、そこまでやる人はほとんどいません。それは強い怒りや憤りの表現として 使われているからです。
 ところが、レーニンは、「独裁」をストレートに、それも恐るべき形態で現実 化させました。先ほど述べたようにその対象は大部分が資本家とは縁もゆかりも ない人々です。
 レーニンは、確かにマルクスのいくつもの文章は読んだのでしょう。
 「マルクス主義の三つの源泉と構成部分」を見れば、マルクスを多角的に研究し 尽くしたかのように思わされてしまいます。しかし、「独裁」をこれほどまでに 残虐性を持った形で具現化したところを見ると、彼はマルクスの基本思想を全く 理解していないばかりか、彼自身の、労働者をも含めたその人間不信というもの が、恐るべきレベルのものであったということに、嫌でも気付かされてしまうの ではないでしょうか。
 後に、「マルクスレーニン主義」としてまとめられた中にあるレーニンの「論 文」類の大半というものは、全てクーデター同然で権力を掌握した後、その権力 の正当化と強化、ひいては絶大化を狙って、マルクスに無理やりこじつけて語 り、綴ったものに過ぎません。
 私事になりますが、私は10代から数十年、今も、やはりマルクスファンです。 マルクスは、圧倒的大多数を占める虐げられた人々の最終的解放は、どうすれば 勝ち取ることが出来るのかを、生涯真剣に考え、悩み、あがき続けた人でした。 (だからといってマルクスが全人格的に申し分ないとは思いませんが)。そのため に様々な思考方法に学び、その中で、いくつもの仮説を打ち立てました。
 そして晩年は、権力争奪などに関する抽象的思考からは離れて、資本主義の本 質、根源となるものの実証的解明に尽力し人生を終えました。
 その「資本論」は、単なる数ある仮説の中の一つとして埋もれてしまうレベルで はありませんでした。ひとつの学説として普遍性を秘めていたのです。だから資 本論は、無視できない学問として成立し、その後の世界に広く受け入れられたの だと思います。
 それも、マルクスを騙る「レーニン・スターリン共産党」の言動が、世界規模で 膨大な数の反マルクス感情を生み出して来たという状況の中でも。
 次は、民主集中制=共産党の中央集権制度の背景にあるモノ、それはマルクスの 思いとは全くかけ離れた、カルトとほぼ変わらない「危険なカゲリ」について、 愛すべき小林多喜二についても語りながら、述べさせて頂きたいと思います。(続く)