(3)「中央集権体制の堅持」につきまとうカルト化について
前回も述べましたが、「労働者による社会主義革命の成功」は、弱肉強食が猛威
を振るう時代の進歩派の学者や人道主義に立つ知識人などをはじめとして、多く
の人々から、強烈な歓声で受け止められました。
マルクスが模索した社会主義権力樹立への道、それに人類史上初めて成功した
レーニンの「革命技術論」も同様に、「事実の重み」(当時は!)の中では、
「目からウロコ」だったのでしょう。「民主主義的中央集権制」もその一つでした。
なにしろ、その時代、各国では、社会主義やマルクスどころか、「民主主義」さ
え、激しく弾圧されていた時代、日本では、幸徳秋水などがでっち上げで処刑さ
れた時代のことです。政府に対する様々な自発的運動などが弾圧される反面、こ
のような運動には内部からの離脱や裏切りが避けられないものでした。
そこに、レーニンの「革命レシピ」の必要不可欠要件の一つとして示されたのが
前衛党であり、その組織原則は軍隊同様の鉄の規律である「民主的中央集権制」
でした。
今の私たちは、ソ連・東欧が「あのような経緯」で腐敗・消滅したことを知って
います。レーニンの語る「社会主義」や「民主的中央集権制」に、正義や道義は
もちろん、何がしかの価値のカケラさえ見出すことが出来ないことも知っています。
今や、日本共産党の中央幹部でさえ、これを知らない人は、ほとんどいないで
しょう。
というよりも、日本共産党の中央幹部というのは、これを知って、これを使って
「弱者救済」、「真の民主主義」、「社会主義的変革」の言葉に吸い寄せられて
来る善意の人々を、おのれのために活用しているというのが実際の姿です。
レーニンは、期せずして早死し、スターリンがあとを継ぐのですが、レーニンが
もう少し長生きしていたら、間違いなくスターリンと同等のことをしていたはず
です。なぜなら、スターリンの路線の基盤である、中央集権体制と党による独裁
は、前回述べたように、レーニン自身の基本スタンスだったからです。
この点でも不破哲三氏は、まったくもってイイカゲンな取り繕いに終始しています。
ソ連が覇権主義、大国主義に走ったのはスターリンの性格に起因するというのです。
その反面では、民主集中制については、その放棄を求める学者党員に対し、「敵
前で解党しろという様なもの」とまで言って組織排除しました。
どうやら不破氏の人間観は、取り巻く社会環境よりも、生来の気質に主因を求め
るタイプのようです。「科学の神様」然として、党に君臨する不破氏としては、
独裁的権力を独占する立場の人間でも、生来の気質が良ければ問題ないのでしょ
う。自分がそうだ、と言いたいのでしょうから。
「民主集中制」とは、中央集権体制、実質的には独裁以外のなにものでもありま
せん。いや、「民主」とわざわざ付けているのだからそうではないだろう、と思
う人こそ、不破氏には、かっこうの狙い目なのです。
しかし、レーニン型共産党が「民主」という時、それは,「偽装」に過ぎません。
日本「民主」青年同盟を見ればわかります。
民青を、自身で体験した人や、この欄を見ている人には「何を今さら」でしょう
が、この問題は、放置も棚上げもできない現在進行形の深刻な民主主義破壊行為
です。幸い、民青は消滅段階を迎えてはいますが・・・。
民青同盟は、規約で、組織の最下部たる班の総会も含めて「機関が決定を行うと
きは、上級機関の決定を踏まえる」こと、また、「民青の内部問題は民青内で解
決する」と定めています。これでは、なにかを決める場合、常に上級機関の意向
を伺うことを前提条件としていることと同じです。下からの会員の総意を積み上
げて物事を決定することが、はなから保証されていません。
また、本来、「機関が決定を行うとき」に「踏まえる」べきものは、公正・公平
に定められているべき会則・規約ですが、この団体では「規約」そのものが、
「上に従え」と言っている。これではまるで闇社会の「掟」です。
この上、更に、「民青の内部問題は民青内で解決する」との定めを規約において
いるところを見れば、どう読んでも、これは、「おもてに出しちゃならんぞ」と
いう意味でしょう。
こんなことでは、いじめもセクハラもパワハラも、上級機関に差しさわりがあ
ることやないことも含めて、全ては上級機関の意のまま、為すがままになって不
思議はありません。上級を絶対視すること、憲法や社会規範よりも、上級機関を
重んずる掟の中に身を置けということは、DVやマインドコントロールに見る代表
的な手法であり特徴でもあります。
つまり、民主青年同盟に付されている「民主」とは、「全く民主的でないどころ
か反民主主義」の意味で使われる彼らの業界用語(逆意味の言葉)であることが
分かります。
民青は、上級が下級に対して、常に「拘束権を持つことが前提となっている組
織」であり、その会員になるということは「拘束されることを容認した」という
ことと同義です。
そのような会員が増えるということは、社会の進歩の阻害要因が増大することに
つながるということに、外に対しては口やかましく民主主義云々を叫ぶ共産党幹
部の「民主的」感性はピクリともハタラカナイのです。
「権力は腐敗する」という、民主主義のイロハを、都合よく使い分けているのは
何故でしょうか、簡単です、それは、歴史の中に例外を見出し得ないように、彼
らも「敵権力と闘うフリをして見せる『己の権力のウマミ』」を知っており、手
放したくないからです。
「権力のウマミ」、これも前例に漏れず、何に縛られることなく、自由に「お手
盛り」出来ることにつきます。
「お手盛り」にも、それなりの経済学があることは歴史が教えています。自分の
「今の取り分」と、これからの取り分(できれば拡大再生産)への投資です。
「投資」とは善意の人を惹きつけるための道具の維持コストです。その基本アイ
テムが「赤旗報道」です。道端で倒れている人がいる、困窮している人がいると
いうのもこの世の現実ですが、それを知らぬふりして「素通りは出来ない」とい
う人がいるのも、この世の現実であり、多少時代が変わろうと、善意の人々は尽
きません。
この人々への「網掛け」に成功すれば、民主集中制こそ、彼らの経済特権にとっ
て「最大の打出の小槌」になります。
ですから、「民主的中央集権制」、これに「難くせ」をつける者は、彼らにとっ
て最大の「邪魔者」なので、たとえ高名な学者党員だろうとボロクソに非難し、
排除するのです。
党中央幹部であった人や、中央本部の関係団体に関わった人などが党から排除さ
れたあとに、党中央に対して、週刊誌などで、何らかの反論をする人がいます。
しかし、彼らの党の幹部連中に対する批判は、それ以前に誰かによって為された
ものと、ほぼ同じような論調で、いつも「切れ味がまるで弱い」という傾向があ
ります。その最大の原因は、過去には「ともに特権にあずかり、分け前をもらっ
ていた」ところにあるからです。そこの部分まで含めて不破氏等を批判してしま
うと、それは自分が過去に特権待遇にふんぞり返っていたことを露呈してしま
い、同情を引きたい世間を、逆に敵に回してしまいかねないからです。
レーニン型共産党とは、「中央集権」で成立し、「中央集権」が確実に上層部の
「腐敗の肥大化」を促し、その結果、レーニンが帝国主義に規定した「全身の毛
穴から血を滴らせて終末を迎える」という姿そのものを、党自体がなぞり、歴史
のゴミ箱へと退却します。
しかし、その過程でも、多くの善意という名の犠牲者は伴います。
戦前もそうです。小林多喜二をはじめとした多くの人々の善意の闘い、それを持
ち駒のように、無謀な闘争司令の中で操ったスターリン共産党とその日本支部の
幹部たち。
戦前の日本共産党の闘いとは、「スターリン独裁国家」対「絶対主義天皇権力」
の戦いが基軸です。だから、彼らは、スターリン共産党日本支部に「なびかな
い、かしづかない」一般市民の手になる、「自発的な民主主義確立をめざす運動
や戦争反対の運動」は、自分にとって利益のないものとして敵視・誹謗し続けた
のです。
敗戦後、価値観のコペルニクス的転回という国民状況の中で、宮本顕治は、自身
と日本共産党を、多喜二の同列に置くことに、まんまと成功しました。そのこと
で反戦、民主化の「歩く伝説」,「しゃべる伝説」の地位をほぼ独占的に手に入
れました。そして、これも皮肉な結果ですが、このことによって、戦後民主主義
社会における「革新」分野での「正義の独裁」の「もっともらしさ」と立場を確
保したのです。
小林多喜二ら、表舞台で闘った者たちは多くは、捉えられると同時に激しい拷問
の中での死を余儀なくされました。一方で、裏から闘争司令を出し続けたスター
リン共産党日本支部の幹部らとその直属部下は、ほぼ、戦後へ生き残りました。
宮本顕治が捕捉され、特異な待遇を受けるのは、スターリンソ連と大日本帝国の
双方に覆われた疑心暗鬼という名の暗幕の中、そして、スターリン日本支部が仕
掛ける帝国内での内部かく乱闘争という中での出来事でした。(続く)