(4)社会進歩のための本物の運動母体を今こそ
日本に社会主義・共産主義の用語や考え方が見え始めたのは、1880年前後では
ないかと言われていますが、未だ、はっきりしたことは分かっていません。
ロシア産「レーニン革命」、「レーニン革命レシピ」以前のことです。今日でも、それがどのように日本人に受け止められ広められていったのかは、よく分かっていません。
しかし、大逆事件などの歴史経緯を見れば、無政府主義の潮流なども含め、個
人の主義主張の中に、社会主義的な思想や概念が、少しづつ根付き始めていたこ
とが分かります。
日本共産党は、そのような古くからの潮流の「正当」な部分を「歴史的に」引
き継ぐことで、党の創立がなされたのだと主張します。
しかし、その内容は貧しく、まるで歴史の断片を「お手盛り」で粉飾した決算書
みたいなもので、体制擁護のための「記紀」研究と変わりません。
そもそも、日本史研究の中でも、こと近代については、みなさんご承知のよう
に、「様々な事情」から、一部の例外は除き、古代史「研究」に傾けられる情熱
などには遠く及ばないような粗末な扱われ方を、学者、研究者などによりなされ
て来ました。
特に、近代黎明期の運動史、思想史の系譜となると、当時の薩長新政府が、天
皇を中心とした新支配者の絶対権力確立を図る時期でもあったために、思想の監
視や弾圧はのちの特高警察に劣らぬほど激烈を極めていて、弾圧後はそれらの殆
どを闇から闇へ葬りました。官許以外は、今でも、手掘り、手探りで探し出し続
けられているのは、そのためです。
今後これらが発掘・研究されて行くことで、日本の近代において、思想や国民の
運動、マルクスを含めた社会主義思想の諸潮流が、どのように受け取られてこの
国で定着し始めたのかの経緯とその内容の展開などが、少しづつわかって来るの
だと思います。
そして、ロシア「革命」、レーニン流「社会主義」、一党独裁・中央集権型
「共産党」が、どのように誤解されて多くの善意の人々、社会活動家や知識人な
どに受け入れられて行くに至ったのかを明らかにすることが、現在の私たちの重
要で不可欠な課題なのだと、私は思っています。
20世紀は、資本主義の国際化の時代と呼ばれ、また、帝国主義による市場争
奪のための戦争の時代とも呼ばれます。そして一方では、社会主義思想の実態的
崩壊の時代のようにも言われています。
社会主義は、万人はひとりのために、ひとりは万人のためにある社会をめざす考
え方であり、運動であるはずですから、これが、たとえ20世紀であろうが、簡
単に消滅したりさせたり出来るものではありません。
しかし、「レーニン流」は、人間が織りなす歴史によって、多くの悲惨極まりな
い史実を山のように積み上げて残し、人間とその社会にとって、誰が見ても明ら
かな「害悪」であることが歴然としたことによって葬り去られました。
ロシア「革命」の熱狂が、多くの優れた人々の目を、その人々の善意ゆえに、惑
わせてしまったということも、20世紀の事実であり、今後への大きな教訓だと
思います。決してその生き方を批判するものではありませんが、小林多喜二らも
そうでした。
だからこそ、21世紀の私たちは、多喜二らを、「レーニン型共産党の宣伝物状
態」からはずして、彼らが生きた貧困と抑圧への闘いの人生を、先人が生んだ
「共同社会をめざした闘い」の国民的遺産として位置づけ直すことが必要だと思
います。
そのことと合わせて、私たちが今、緊急の課題とすべきは、私たちの身の回り
に、あらゆる問題で「共生」をめざす「共同活動」を推進することだと思います。
日本共産党にひどい目に合わされ、それと闘った人でさえ、「本当は、ああいう
政党は今こそ必要なんだが・・・」という声を目にしますが、「ああいう政党」
とはどんな点を指しているのでしょうか。
社会の仕組みによって虐げられ、切り捨てられようとしている人を支援する地道
な活動を日々実践し、行政や政治に意見をしている人々は、個人に限らず組織と
しても、共産党意外にも既に多数存在しています。いや本物が既にあります。民
青や共産党に惹かれた経験のある人には、そのような地道な組織が、あまり目に
つかないのかもしれません。その理由の一つには、地道な活動をしている団体や
組織は、共産党の赤旗のような大言壮語的言辞を、決して弄さないから、という
のがあるだろうと思います。
「21世紀と輝く青春の未来」とか、「○○を読めば生きる勇気が100倍」など
の宗教団体まがいの言い方は、現実に根ざした活動をしているほとんどの団体
は、決してしません。広告のやり方としても感心しません。
末端党員に自爆(料金の肩代わり)を繰り返させても、素知らぬ顔で拡大を党員
に迫る日本共産党には、このような地道な団体は、赤旗拡大の土壌になる可能性
でもない限り、取るに足らないでしょう。しかし、宮本顕治ではありませんが、
かつてのレーニン型共産党日本支部は、間もなく、腐敗しきったその幹部らの血
膿と、その真の姿を、公然と晒しながら終末を迎えます。
より良く生きるために私達は様々な選択をします。でもその選択肢から、共産党
は外しましょう。そして思想信条を超えた本物の共同運動を紡ぎましょう。